第十五話 踏み込む勇気
ラグナたちが到着する、少し前。
息を切らしながら、俺は錆びついた扉の前に辿り着いた。心臓が耳の奥まで響くほど激しく脈打っている。肺は焼けるように熱く、呼吸を整えようとしても、うまく息が吸えなかった。前回と同じように、錆びた扉がゆっくりと開いた。金属の軋む音すら立てず、まるで意思を持つ生き物のように、その口を開く。俺を内部へ招き入れているようにも見えた。俺は警戒しながら、薄暗い室内へ足を踏み入れた。鼻の奥を、独特の金属臭が刺激する。冷え切った空気が肌にまとわりつき、外の世界とは切り離されたような感覚に襲われた。
〈前回、使用を拒否された防護服について、使用許可を申請しています〉
ゼロの声が頭の中に響いた。俺は無言で頷いた。返事を待つ間、静かな室内でじっと立ち尽くす。時間の流れが、ひどく遅く感じられた。やがて、ゼロから報告が届いた。
〈緊急事態と判断され、個人用防護服の使用許可が下りました。手前のロッカーに収納されています〉
指示されたロッカーを開けると、中には灰色の防護服が畳まれていた。俺はそれを取り出し、恐る恐る袖を通した。すると、生地がひとりでに収縮し始めた。まるで生きているかのように形状を変え、俺の体格に合わせて密着していく。窮屈さはなかった。むしろ、身体の輪郭がはっきりと意識できるようになった。
「……こんなので、本当に大丈夫なのか」
薄い生地一枚で、ラグナの槍を防げるとは思えなかった。俺は不安を押し殺すように、袖口を強く握りしめた。
〈衝撃と熱に対する耐性は、一定水準を満たしています。ただし、完全に攻撃を防げるわけではありません。過信は禁物です。無理な行動は避けてください〉
予想どおりの回答だった。それでも、何も身につけていないよりはましだ。そう自分に言い聞かせる。
「……なあ。あんな化け物じみた強さの相手に、勝てるわけねえだろ」
〈一つ、作戦があります〉
俺は半信半疑のまま、ゼロの言葉に耳を傾けた。
〈魔力を持つ者は、魔法を行使できるだけではありません。魔力によって身体能力そのものも強化されています。まずは、その強化を一時的に弱めます〉
「どうやって?」
〈この機体には、魔力を弱める装置が搭載されています。ただし、効果範囲は狭く、起動した瞬間に相手にも察知される可能性があります。使用するのは、決定的な瞬間だけです〉
「決定的な瞬間?」
〈早い段階で起動すれば、相手に警戒され、距離を取られる恐れがあります。効果範囲も、この機体の周囲に限られます。相手が接近した瞬間、身体強化を弱める。それが、今回の作戦における唯一の好機です〉
「……つまり、近づいてくるまで待てってことか」
〈そのとおりです。今、起動するべきではありません〉
俺は唾を飲み込んだ。
「その隙に、俺は何をすればいい?」
〈以前、緊急発動によって使用した、あの出力を再現します。カイは、光学ブレードを最後まで振り切ってください〉
「……それだけで、いいのか?」
〈はい。カイに必要なのは、戦闘技術ではありません。必要なのは、踏み込む勇気だけです〉
俺は返事をしようとした。その瞬間だった。外から、扉を叩きつけるような音が響いた。衝撃が金属を伝わり、室内の空気まで震わせる。
「出てこい」
扉越しに、ラグナの声が響いた。抑揚の乏しい声だった。だが、その一言には、有無を言わせない圧力が込められていた。俺は答えなかった。息を殺し、扉の陰に身を寄せる。全身が強張り、指先が冷たくなっていく。自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえた。
「隠れても無駄だ。すでに居場所は割れている」
ラグナの声が、再び響いた。俺は唇を噛みしめたまま、身じろぎ一つできなかった。沈黙が続く。時間が経つほど、胸の奥を締めつけるような圧迫感が強くなっていく。
「……まあいい。開けさせてもらう」
その声とともに、扉の向こうで金属が擦れる音がした。ラグナが槍を構え直したのだろう。
「フレイムランス」
鋭い詠唱が響いた。次の瞬間、槍状に凝縮された炎が扉へと叩きつけられた。爆発にも似た衝撃が走り、轟音が周囲を震わせる。熱気が扉の表面を覆い、室内の空気まで激しく揺さぶった。俺は反射的に身をすくめた。だが――扉は、びくともしなかった。炎が消えたあとには、表面に焦げ跡が残るだけだった。金属に歪み一つ生じていない。
「厄介な……」
扉の向こうから、ラグナの舌打ちが聞こえた気がした。俺は震える手で拳を握りしめた。爪が掌に食い込むほど強く。
「……何とか、やり過ごせねえのか?」
〈逃げ切るのは困難だと思われます。出入口はここだけです。さらに、すでに周囲を包囲されています〉
「じゃあ、隠れたままなら……」
〈この機体には、カイが長期間生活できるだけの食糧はありません。また、時間を稼ぐほど、相手に対策を講じる猶予を与えることになります〉
逃げ場はない。どこへ行こうとしても、あいつらが待ち構えている。ここに隠れ続けることもできない。ならば、もう――。
「……分かった。開けてくれ」
覚悟は、もう決めたはずだった。俺は深く息を吐き、胸の奥に渦巻く恐怖を押し込めるように、ゼロへ告げた。
〈了解しました〉
重い駆動音とともに、扉がゆっくりと開き始めた。隙間から差し込んだ外光が、暗い室内を一気に照らし出す。眩しさに、俺は思わず目を細めた。外には、武装した騎士たちが待ち構えていた。扉が開いた瞬間、彼らは一斉に身構え、手にした武器をこちらへ向ける。その中心に立つラグナが、俺を見据えた。そして、目を細める。
「やはり、お前が災いを呼ぶ者か」
その言葉を聞いた瞬間、腹の底が冷たくなった。災いを呼ぶ者。俺が何をしたというのか。何も分からないまま、俺はただ、生き延びようとしてきただけだ。それでも、目の前の男は俺を敵と見なしている。俺は震える足に力を込め、一歩前へ踏み出した。懐から光学ブレードを取り出す。柄を握りしめると、刀身が淡い紫色の光を放ち始めた。
「……かかってこい」
喉の奥から絞り出した声は、自分でも驚くほど大きかった。森の静寂を切り裂き、騎士たちの間に響き渡る。足は、今にも崩れ落ちそうなほど震えていた。逃げ出したいという衝動が、全身を駆け巡っている。それでも、俺は視線を逸らさなかった。ラグナは何も言わず、ゆっくりと槍を構え直した。穂先が外光を受け、鈍い光を返す。周囲を取り囲む騎士たちの気配も、一斉に張り詰めていった。もう、逃げ道はない。ならば、前へ進むしかなかった。




