第十二話 災いを呼ぶ者
「よろしかったのですか」
背後から声をかけてきたのは、先ほどカイを運んできた騎士の一人だった。声には、上官に対する疑念を隠しきれない硬さが滲んでいる。
「アルド殿はともかく、神子候補様まで庇われては、あまり強く出られませんでしたが……このまま帰してしまって、本当によかったのでしょうか」
ラグナは足を止めなかった。石造りの廊下を、一定の歩調で歩き続ける。靴音だけが、高い天井に硬く響いていた。
「構わない」
「しかし、あの少年が、あの日の一件に関わっている可能性は……」
「可能性の話をしているのではない」
ラグナは、そこでようやく足を止めた。だが、振り返らない。前方を見据えたまま、淡々と言葉を続ける。
「証拠もなく拘束を続ければ、こちらの心証が悪くなる。それだけのことだ」
「では、あの少年への疑いは晴れたと?」
「そうは言っていない」
ラグナの声には、感情らしい起伏がなかった。その抑揚のなさが、かえって部下を戸惑わせる。
「泳がせる、ということだ」
「泳がせる……」
「無理に締め上げれば、尻尾を出さぬまま、貝のように口を閉ざすだけだ。だが、放っておけば……向こうから動く」
ラグナは、廊下の窓へ視線を向けた。灰色の空の下に広がる教会の庭。その先には、敷地を出ていく小さな背中が見えていた。
「あの目。あれは、何かを隠している人間の目だ」
「では、監視を?」
「必要ない」
「は?」
「この街は狭い。逃げ場など、たかが知れている」
ラグナは、それだけ言うと、再び歩き始めた。感情を感じさせない一定の足取り。部下はその背に短く一礼すると、少し遅れて後を追った。
(魔力なしなど、本当に存在するのか)
歩きながら、ラグナは胸の内で呟いた。魔力を持たなければ、明かり一つ灯すことすらできない。この国では、幼い子供ですら僅かな魔力を持っている。そんな人間が、誰にも見つからず、十年近くも生き延びられるものだろうか。確信には至らない。だが、拭い切れない違和感だけが、腹の底に静かに沈んでいく。
(魔力なし……いや)
ラグナの足が、わずかに止まりかける。
(災いを呼ぶ者か)
◆
教会の敷地を出てから、俺はずっと足早に歩いていた。人の波を縫い、石畳を蹴るように進んでいく。周囲を気にする余裕などなかった。傷の疼きさえ、もう感じない。ただ、この場から少しでも遠ざかりたい。その一心だった。
(どうして、こうなったんだよ)
スラムの外から戻ってきたとき、俺は安心してしまった。そこで、油断した。心のどこかで気を緩めていた、その一瞬の隙。そのせいで、帰ってきたところを見られてしまったのだ。悔やんでも、もう遅い。
〈昨日話した巨大魔道具まで向かう計画を、早めたほうがよさそうですね〉
「数日って話だったけど、大体何日ぐらいかかるんだ」
早口になりそうなのを抑えながら、俺は焦りを滲ませた声で尋ねた。
〈現在地から順調に進んだ場合、四日から五日かかります〉
いつもと変わらない、冷静な声だった。
「長くて五日か……」
俺は小さく呟いた。
「もう昼になっちまったけど、今日と明日で頑張って集めて……明後日の朝、出発するか」
頭の中で、残された時間を素早く計算する。この街にいられる時間は、もう多くない。
〈それが適切だと思います。これ以上、この街に留まるのは危険です〉
「……だよな」
俺は、行き交う人々に紛れながら、そっと周囲へ視線を巡らせた。誰かが、まだどこかからこちらを見ている。そんな気配が、いつまでも消えなかった。
聖戦派
聖教会の三派閥の一つで、魔物討伐と軍事を重視する派閥
由来:三女神のグレイシア(最前線の騎士)
考え方:魔物討伐と資源の集中を掲げ、「犠牲も必要」と考える。スラム支援は浪費とみなしている




