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境界なき者  作者: 虎テツ
第一章 アストリア聖王国 三女神教の国

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第十一話 振り返らない

「……大丈夫?」


 ミレイアが、俺の顔を覗き込みながら尋ねてきた。心配そうな声だった。近くで見るその瞳は、澄んだ色をしている。どう答えればいいのか、分からなかった。こんなふうに誰かから気遣われることに、俺は慣れていない。喉の奥には、答えの代わりに戸惑いだけが引っかかっていた。


「……別に。平気です」


 少し痛みながらも、俺は石畳に手をつき、立ち上がりながら、そう答えた。


「無理、してない?」


「していません」


 突き放すような言い方になってしまった。だが、ミレイアは気を悪くした様子もなく、小さく笑った。屈託のないその反応が、かえって俺を戸惑わせる。落ち着かない気持ちのまま、俺は視線を足元の石畳へ逸らした。


「名前、聞いてもいい?」


「カイです」


「カイ。私はミレイア。よろしくね」


 名乗られたところで、どう返せばいいのか分からない。俺は曖昧に頷いた。


「傷、あんまり良くなってないだろ。もう少し休んどけ」


 隣にいたアルドが、心配そうな様子で口を挟んだ。だが俺は、その言葉には答えず、代わりに質問を返した。


「あなた達は、俺をなんで庇うんですか」


「そういう坊主は、なんで俺の飯、いつも受け取ってくれねえんだよ」


 アルドは軽い調子で、いつもの炊き出しでの俺の様子を尋ねてくる。何人もいるスラムの子供の一人にすぎないはずなのに。どうやら、この男は俺のことをよく見ていたらしい。


「……それとこれとは、別の話です」


「そうか? 似たようなもんだと思うがな」


 ミレイアが、そのやり取りを見て小さく笑った。柔らかな笑い声が、張り詰めていた空気をわずかに和らげる。


「で、結局のところ、なんで疑われたんだ、坊主」


 アルドが俺に視線を向ける。その表情には、俺を疑っているような気配が微塵もなかった。


〈目撃証言と、ゴミ捨て場方面で観測された発光現象のことなら、伝えても問題ないと思われます〉


 ゼロの声に後押しされ、俺は当時のことを思い出しながら、重い口を開いた。


「……一昨日、俺の姿を見たって人がいるらしいです。スラムの外に行ったって噂も広まってます。あと、ゴミ捨て場の方で、紫色の強い光が見えたって話も聞きました」


「紫の光は、俺も見た。確かに、魔法の光じゃなかったな。ラグナは、その正体を調べてたんだろうな。坊主がスラムの外から戻ってきたって噂と、時期が重なったからだ」


 アルドは腕を組み、あのときの紫色の光と、魔物の襲撃を思い出すように続けた。


「あの光が何だったのか、俺たちにも分からない。だが、少なくとも……坊主じゃないと、俺は思ってる」


 その言葉に、俺は何も返せなかった。胸の奥に、理由の分からない痛みが走る。


「……なんで、そう言い切れるんですか。証拠もないのに」


「証拠なんて要らねえよ。長年、飯配ってりゃ分かる。坊主は、そんな度胸のある奴には見えねえ」


 アルドはそれだけ言うと、腹の底から豪快に笑った。理屈でも何でもない。ただの勘。それなのに、妙に納得させられてしまう自分がいた。


「……ミレイアさんは? なんで、俺のこと庇ったんですか」


 彼女は少し考えるように視線を落とした。そして、静かに答える。


「あなたが、いつも一番後ろに並んでいたから」


「……それだけですか」


「うん。誰よりも遠慮がちで、誰よりも大人しく待ってる子が、そんな騒ぎを起こすなんて、想像できなかった」


〈根拠もないのに庇う。こういう事例は、これまで確認したことがありませんね〉


 ゼロが、静かに告げる。


(お前も、少しは黙ってろ)


〈失礼しました〉


 これ以上、ここにいる理由はない。傷が疼き、一瞬だけ顔が歪む。


「もう、平気ですから。帰ります」


「待てよ。まだ本調子じゃねえだろ」


「せめて、もう少し休んでいって」


 二人が口々に引き止めてくる。だが、これ以上ここに長居すれば、また何を聞かれるか分からない。それに……ここは、俺のいる場所じゃなかった。


「……いいので。もう、大丈夫です」


 それだけを告げて、二人に背を向ける。そして、教会の敷地を後にした。灰色の空の下、足早に石畳を踏んでいく。背中には、まだ何か言いたげな視線を感じていた。それでも、俺は振り返らなかった。

救済派

聖教会の三派閥の一つで、人を救うことを重視する穏健派

由来:三女神のエルシア(慈悲の医者)

考え方:貧民を救う立場で、スラムの炊き出しなどの支援を続ける

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