第十一話 振り返らない
「……大丈夫?」
ミレイアが、俺の顔を覗き込みながら尋ねてきた。心配そうな声だった。近くで見るその瞳は、澄んだ色をしている。どう答えればいいのか、分からなかった。こんなふうに誰かから気遣われることに、俺は慣れていない。喉の奥には、答えの代わりに戸惑いだけが引っかかっていた。
「……別に。平気です」
少し痛みながらも、俺は石畳に手をつき、立ち上がりながら、そう答えた。
「無理、してない?」
「していません」
突き放すような言い方になってしまった。だが、ミレイアは気を悪くした様子もなく、小さく笑った。屈託のないその反応が、かえって俺を戸惑わせる。落ち着かない気持ちのまま、俺は視線を足元の石畳へ逸らした。
「名前、聞いてもいい?」
「カイです」
「カイ。私はミレイア。よろしくね」
名乗られたところで、どう返せばいいのか分からない。俺は曖昧に頷いた。
「傷、あんまり良くなってないだろ。もう少し休んどけ」
隣にいたアルドが、心配そうな様子で口を挟んだ。だが俺は、その言葉には答えず、代わりに質問を返した。
「あなた達は、俺をなんで庇うんですか」
「そういう坊主は、なんで俺の飯、いつも受け取ってくれねえんだよ」
アルドは軽い調子で、いつもの炊き出しでの俺の様子を尋ねてくる。何人もいるスラムの子供の一人にすぎないはずなのに。どうやら、この男は俺のことをよく見ていたらしい。
「……それとこれとは、別の話です」
「そうか? 似たようなもんだと思うがな」
ミレイアが、そのやり取りを見て小さく笑った。柔らかな笑い声が、張り詰めていた空気をわずかに和らげる。
「で、結局のところ、なんで疑われたんだ、坊主」
アルドが俺に視線を向ける。その表情には、俺を疑っているような気配が微塵もなかった。
〈目撃証言と、ゴミ捨て場方面で観測された発光現象のことなら、伝えても問題ないと思われます〉
ゼロの声に後押しされ、俺は当時のことを思い出しながら、重い口を開いた。
「……一昨日、俺の姿を見たって人がいるらしいです。スラムの外に行ったって噂も広まってます。あと、ゴミ捨て場の方で、紫色の強い光が見えたって話も聞きました」
「紫の光は、俺も見た。確かに、魔法の光じゃなかったな。ラグナは、その正体を調べてたんだろうな。坊主がスラムの外から戻ってきたって噂と、時期が重なったからだ」
アルドは腕を組み、あのときの紫色の光と、魔物の襲撃を思い出すように続けた。
「あの光が何だったのか、俺たちにも分からない。だが、少なくとも……坊主じゃないと、俺は思ってる」
その言葉に、俺は何も返せなかった。胸の奥に、理由の分からない痛みが走る。
「……なんで、そう言い切れるんですか。証拠もないのに」
「証拠なんて要らねえよ。長年、飯配ってりゃ分かる。坊主は、そんな度胸のある奴には見えねえ」
アルドはそれだけ言うと、腹の底から豪快に笑った。理屈でも何でもない。ただの勘。それなのに、妙に納得させられてしまう自分がいた。
「……ミレイアさんは? なんで、俺のこと庇ったんですか」
彼女は少し考えるように視線を落とした。そして、静かに答える。
「あなたが、いつも一番後ろに並んでいたから」
「……それだけですか」
「うん。誰よりも遠慮がちで、誰よりも大人しく待ってる子が、そんな騒ぎを起こすなんて、想像できなかった」
〈根拠もないのに庇う。こういう事例は、これまで確認したことがありませんね〉
ゼロが、静かに告げる。
(お前も、少しは黙ってろ)
〈失礼しました〉
これ以上、ここにいる理由はない。傷が疼き、一瞬だけ顔が歪む。
「もう、平気ですから。帰ります」
「待てよ。まだ本調子じゃねえだろ」
「せめて、もう少し休んでいって」
二人が口々に引き止めてくる。だが、これ以上ここに長居すれば、また何を聞かれるか分からない。それに……ここは、俺のいる場所じゃなかった。
「……いいので。もう、大丈夫です」
それだけを告げて、二人に背を向ける。そして、教会の敷地を後にした。灰色の空の下、足早に石畳を踏んでいく。背中には、まだ何か言いたげな視線を感じていた。それでも、俺は振り返らなかった。
救済派
聖教会の三派閥の一つで、人を救うことを重視する穏健派
由来:三女神のエルシア(慈悲の医者)
考え方:貧民を救う立場で、スラムの炊き出しなどの支援を続ける




