58 メルヘン小屋にて、トーコ
天川が焦った声で言った。
「わー、もうダメです!! 僕がここに残って食い止めますから皆さんは先に行って下さい!!」
「そんなのダメッ!!」
「バカ!! 天川お前、捕まったら切り刻まれるぞ?」
アノールと私の声が重なった。
刹那、ヤギカワさんが遂に目的地の通路に飛び降り一旦止まると、アノールが階段上の天川に向かって言った。
「オレの管理能力をなめるなよ?」
「えっ?」
「ヨシ! ギリギリタイミング。天川はあれに乗れ! オレは部屋の内部を傍受していたから、先手で手配しておいたのさ。なんたってオレは管理人ヤモリだからなw」
後ろをみると、別の配達ヤギが猛スピードで駆けて来る。 まさか行く時にすれ違ったヤギカワさんそっくりヤギが戻って来た?
「メェ~w」
駆けて来たヤギが私たちの元で急ブレーキで止まった。
「メェ~〜メェ~〜ムェェ!(よく来てくれた。緊急要請対応に感謝する!) さて、天川早く乗れッ。割り増し料金になったがツケだ。後で青草もしくは干し草で払ってくれ。手数料はかかるが分割でも構わない。」
「は、はいっ!」
「ここから来た時とは別の道を行く。トーコみたいに胴に抱きついて頭を絶対に上げるなよ」
「別の道?」
「ああ、お前たちが閉じ込められてる間に、このヤギカワと退避ルートを検討しておいたのさ。特別にヤギ道を通らせて貰う」
「僕が乗っても大丈夫ですか? トーコさんは小柄だからなんとかですが‥‥」
「ヤギの筋力は人とは段違いだ。うだうだ言ってないで早く乗れッ! ほら、来やがった!」
階段の上には美しい顔を歪ませた白衣を纏いし夜叉が、息を弾ませながら立っていた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ‥‥追いついた! 逃さないからッ! ‥‥プッ」
天川がオタオタ乗りかけてる間に、何かがピュッと天川の脇をかすめ、地面に微かな金属音が響いた。
今度は注射針ではなく吹き矢攻撃だ! もしかして先端に毒が? これからの呼び名は "針使いの魔女" でよくない?
「何だ今の!? 針か! ヤギに刺さったら大変だ! いけッ!!」
アノールの声と同時にヤギカワさんが猛ダッシュした。
その時、微かに天川の声を聞いたような気がした。
思い切りしがみつかないと振り落とされてしまう。走ってた時は脚だけだったけど今度は腕もガチガチに固まってる。周りの様子まで気にかけてられないよ。ねえ、天川はついて来れてる?
もう何がなんだか。風を切る音と反響で、足音すらどれが誰のものかわからない。
ヤギ道に入ったらそれはさらに険しく複雑で、すれ違うヤギさんも多くて天川とはすっかりはぐれてしまった。
*
私はメルヘン小屋で夜まで待っていたけど、結局天川は戻って来なかった。
どうすればいいの?
アノールは事後始末で忙しく留守にしてる。黒猫端末のベリルに聞いても表側のことしかわからない。
天川? 1人きりではお月見会は出来ないよ。私との約束はどうなったの?
不安と涙でいつの間にか気を失うようにソファで寝てしまっていたけれど、ふと気がついた真夜中に耳を澄ませても、天川の気配はどこにも無かった。
天川? どこ? あの女に捕まってないよね?
あのどさくさに紛れたギリギリの場面を何回も反芻してみる。
わからない。何度思い返しても。
不安で押しつぶされそう。黒く重たい渦がぐるぐるぐるぐる巡る。
涙が止まらない。
1人で暮らしてた時間が嘘みたいに上書きされてるのに気がついた。
───独りは寂しい。
このフィールドに来て初めての感情。
濡れたソファからムクッと起き上がる。
ベッドでしっかり眠ろう。そして明るくなったら天川を探すんだ。待っててね。どんな手を使っても見つけてみせる。




