悩める人々
カーリンからの別れを受け入れた時、悲しげな表情が脳裏から離れなかった。別れがつらいのかと思っていたが、今考えればそのことに触れてほしかったのかも知れない。
本当は違うのだと言いたかったのだろう。強引にでも引き戻しておけば、彼女は真実を語ってくれたに違いない。
すべては架空の話に過ぎないのだが。
アレックスは、やり場のない苛立ちを弄んだ。カーリンの結婚、創立五十周年祭とイベントが迫るなか気持ちだけが空回りする。
「ミュラー少佐、スピーチの原稿は出来ているかね?」
「……」
フレッドの呼び掛けにも反応しない彼に、隣にいたビアンカがデスクをノックしてやっと気が付いた。
「あ、はい。なにか?」
「体調が優れないのではないかね?」
「考え事をしていたものですから」
以前行われた慰霊祭でシノブが倒れた件がよほど堪えているらしく、大事な式典を前に安心した風だった。
「主任、かなりナーバスになっているみたいね」
フレッドとの簡単な打ち合わせが済むと、ビアンカがこちらへ椅子ごと身を寄せる。
「私まで倒れたら、呪われたスピーチと噂されるだろうな」
珍しいアレックスの冗談に、ビアンカは笑って課業の準備に取り掛かった。二人を眺めていたセドリックはため息をつく。
原因は、昨日かかってきたチェリーからの電話にあった。
『五十周年祭、わたしとカルマン大尉が行くことになったから』
「カルマン大尉のお供は、カーリンじゃないのか?」
アレックス達がまだ恋人同士だった頃、ランディは必ずカーリンを随行させていたのに、今回はチェリーに役が回ってきたらしたい。
いくら気まずいとはいえ、公私混同しないのが彼等の鉄則だと思っていただけに腑に落ちなかった。
短い間をチェリーが素早く読み取って『わたしじゃ役不足?』と不満げな声を漏らした。
「そうじゃなくてさ、このままでいいのかなって」
『カーリンが、その日を挟んで三日ほど休暇をとっているのよ。カルマン大尉ははっきり言わなかったけど、きっと参事官と婚前旅行かもね』
「それはちょっと早すぎるんじゃないのか?」
『出向するって噂なの。ここを離れる前に確立した証が欲しんじゃない?』
相変わらず情報が早いと、セドリックは我が恋人に感心する。もし彼女の予想が正しければ、結婚も秒読みに入ったことになる。式を挙げてしまえば、いよいよカーリンは手の届かない所に行ってしまう。
― ミュラー教官、ほんとにこれでいいんですか?
本人に直接問いたいところだが、先ほどの様子ではやめておいた方が良さそうだ。
チェリーが、部屋に戻るとカーリンは旅行の身支度をしていた。どうやら休暇の準備中のようだ。
「屋敷に帰るの?」
「うん。いろいろと片づけたいことがあるから」
「訓練生の頃は、あれだけ寄りつかなかったのに」
確かにあの頃は帰省するのが億劫だったが、アレックスと交際するようになって頻度は多くなった。
― わたしが結婚するって知ったら少佐、どう思うかな?
彼のことだから、自分より素敵な女性と幸せな人生を送って……。できればわたしがその役をしたかった、と切なくなる気持ちを胸の奥へ押し込む。
「学校の五十周年祭なんだけど、わたしが行くことになったわ」
「ごめん。私の代わりなんだな」
「気にしないで。公費でセドリックに会えるんだから儲けものよ」
言った後からチェリーは、罰悪そうにこちらを見た。
「彼に伝言ない?」
「セドリックに? 立派な教官になるように頑張れって……」
「そっちじゃなくて、ミュラー教官」
グリーンの瞳が大きく見開いて間が空く。
「公私ともにお世話になりましたって、伝えておいて」
「……わかった」
それからは会話が続かず、カーリンは支度に戻りチェリーは肌の手入れをするのだった。
その夜、カーリンの元へフィリデオから電話がきた。
『ウエディングドレス、完成したよ』
「えっ?」
思い掛けない彼の台詞に、心臓が激しく脈打つ。先日はカタログを参考に大まかなデザインを決めただけだったが、フィリデオはそれを実行してしまったのだ。
『細かい寸法直しが必要だから、今度の休暇で着てみなよ』
「うん……」
沈む声に、フィリデオが笑う。
『僕からのプレゼントだから、細かいことは気にしないで』
― そうじゃないんだ。そうじゃなくて……。
費用を気にしていると思われたらしいが、カーリンの本音は違っていた。もう後戻りはできない覚悟と寂しさ。
『楽しみだね』
弾む声に、カーリンも静かに言う。
「そうだな、楽しみだよ」
式典を明日に控えて、アレックスは眠れない夜を過ごした。緊張ではなく胸のざわつきが眠りを妨げる。
彼女が隣にいたら……と、禁断の思考を頭の外へ追い出すべく寝返りを打った。
明日は、ランディとチェリーが来るらしい。親友が言うには、カーリンは休暇をとっているとのことだ。
また逃げたな、口元が綻ぶ。考えるより体が先に動くものだから、行動した後から後悔する。表情豊かで純情な彼女は、最高の恋人だった。
― 意外と引きずるものだな。
ベッドから起き上がると、冷蔵庫からミネラルウォーターを抜き取って喉に流し込む。
テーブルの上に置いた携帯電話が鳴ったので手にした。
『寝てましたか?』
カーリンからだった。ひどく動揺したが表には出さない。
「いや、構わんよ」
『明日は行けなくてごめんなさい。代わりにチェリーが行くのでよろしくお願いします』
『了解』
毎晩のように電話で語らっていた日々を、互いに思い出していた。
『あの、少佐』
「ん?」
カーリンの言葉は続かず、かすかに聞こえる吐息に耳を澄ます。
なぜ、今になって電話を掛けてきたのか。
結局、カーリンは彼のデータを削除出来なかった。だから、他の男性と添い遂げる今、これが最後と心に決めていたのだ。
そのせいだろうか、思っていたより落ち着いていられる。
『チェリーに伝言を頼んだけど、やっぱりわたしから伝えておきたくて』
「俺に?」
躊躇いがちに「今までありがとうございました」と彼女が言った。
まるで金輪際会えなくなる物言いに、アレックスの脳裏に親友の言葉が蘇る。
― プロポーズ、受けたんだな。
確信したが、直接本人には聞けなかった。完全に自分の存在が彼女から消えてしまうのが恐かった。
「声が聞けて嬉しかった。ありがとう」
『じゃあ、お休みなさい』
「ああ、お休み」
いつものように挨拶で会話が終わる。どちらともなく電話を切ると同時に、カーリンの頬に熱いものが流れた。
― さよなら、少佐。大好きだったよ。
二人が過ごした時間が走馬灯のようにお互いの脳裏を駆け巡る。つらい思いもしたが、時が経てばいい思い出と変わると信じて未来へ進む。
アレックスは通話が終わっても尚、電話を握り締めたままだ。声を聞いてしまって彼女への愛がまた募る。
カーリンが必要とするのは自分ではなく、フィリデオだと言い聞かせた。もし、あの電話で彼女が一言でも未練を口にしたなら、駆け落ちも覚悟したかも知れない。
耳に残るカーリンの甘く切ない声が、また理性を奪っていく。
― しっかりしろ、アレックス・ミュラー。明日の役目を果たすのが先決だろう?
自分に叱咤するも釈然としなかった。
いよいよ最終話!! 前・後編の二部構成となります。
本当にカーリンは結婚するのか!? その時アレックスは!?




