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貸し借りは過去の思い出ともに消えゆく

「カーリンは、こっちのドレスの方が似合うよ」

「そうかな」

「やっぱりさっきのがいいかも」

 カーリンは、フィリデオの部屋で結婚式の予定を立てていた。今日はウエディングドレス選びということで、フォン・メレンドルフ家御用達の店からカタログを取り寄せたとのことだ。主役より嬉しそうにページを捲るフィリデオに、カーリンはくすりと笑った。

「なんか、わたしよりフィリデオが着たいみたいだ」 

  真っ赤な顔で、慌ててカタログを閉じてしまう動作も新たな発見だ。こうして少しずつフィリデオの知らない部分を見つけては、笑ったり怒ったり二人の距離と時間が埋まっていくのだろう。

「でも、フィリデオ。どうして、家族にも内緒にするんだ? やっぱり、わたしじゃ相応しくないから?」

 カーリンはれっきとした貴族の令嬢だが、立ち振る舞いはとてもではないが淑女とは縁遠いと、自身も自覚しているだけに気後れした。

「いつも親の言うなりだから、いきなり式を挙げて驚かせてさせてやりたいんだよ。大人しくていい子のフィリデオは卒業ってわけさ」

「おば様もさぞびっくりするだろうな。どうなっても知らないぞ」

 笑いながらまたカタログを開くカーリンに影が差す。肩を掴まれた途端、視界が動き天井と熱い眼差しのフィリデオが息がかかるくらい近くにいた。

 押し倒されたと気付いたカーリンは鼓動が速くなる。

 無言で体を被せてくる彼に抵抗できず、身を任せた。あと数ミリで重なる唇にカーリンは目を閉じたが、その瞬間はやってこなかった。

 そっと目を開けると、彼と目が合った。

「フィリデオ……?」 

「ごめん。焦り過ぎた」

 フィリデオは小さく笑って体を離すと、カーリンを引き起した。冷めた紅茶を替えるため、キッチンへ行く彼を目で追うとはっとする。


 ― 涙!? 


 流れる涙の意味を知ったカーリンは、頬を伝う雫を慌てて拭った。それは嬉し涙ではなく、無意識に彼を拒む涙。


 ― また、フィリデオを傷つけた……。

 

「ケーキ、食べる?」

 まるで何事もなかったかのように振る舞う彼に、自己嫌悪が止まらず「ごめん」の一言が精いっぱいだった。

「言っただろ? ゆっくり時間をかけていこうって。ケーキはショコラとチーズスフレ、どっちがいい?」

「フィリデオは、チーズスフレが好きだったよね?」

「よく覚えてたね。少しは僕に興味が湧いたかい?」

 気持ちの歯車が今ゆっくりと動き始めたのをお互い感じていた。




 式典も一週間後に迫り、アレックスは礼服に袖を通した。姿見の前で異常はないか確認していると、様々な出来事が走馬灯のように蘇る。

 慰霊祭で親友を侮辱した教官を殴りかかろうとしたこと、それを止めた訓練生のカーリン。学校のロビーにて、彼女の膝枕で一夜を過ごしたのも慰霊祭だった。

 

 ― カーリンにも借りがあったな。


 とうとう返さぬままとなったが仕方ない。

 脱ごうとした時、ドアがノックされたので開けてみるとシノブだった。

「お忙しいところすみません」

「構わん。何か?」

「フレッド主任が、至急確認したいことがあるので教官室へおいでください」

「それをわざわざ伝えに? 電話でもよかったのだが」

 すると、シノブはいきなり頭を下げた。意味が解らずただ見下ろすアレックス。

「ミュラー教官が倒れられたあと、参事官とお会いしてそのことを話しました」

 自分の浅はかさに耐えながら黒い瞳を潤ますシノブに、顔を上げるよう促した。

「余計なことだとバルバート教官にも止められましたが、元はといえばわたしのせいでもあるので……」

「それで、彼はなんと?」

「リヒター伍長と一晩過ごしたけど何もなかったと」

 高鳴る心臓に、アレックスは痛む胸を抑える。

「ミュラー教官から貰ったネックレスを失くして、夜通し探していたそうです」

 

 ― だから、あの時なかったのか。

 

 すべては、お互いの言葉が足りなかったすれ違いだと愕然とした。別れると告げられたあの日、もう少し彼女に食い下がって話し合っていれば、こんな結果にはならなかったのだ。

「なぜ、今になって言う?」

 そこには軽い怒りが込められていたが、シノブも覚悟の上である。

「言ったところで元に戻らないでしょう。でも、知らずに別々の道を歩むのは、もっと後悔するのではありませんか!?」

 強い口調に鋭い視線を送ったが、シノブは動じなかった。

「彼は、もしあなたがリヒター伍長を奪うなら文句は言わないと仰ってました。裏を返せば、奪ってもいいと公言しているような……」

「カワサキ教官!!」

 紅潮するシノブに一喝する。

「これ以上は処罰の対象にするぞ」

「ずるい方です。肝心な時に、そうやって上官ぶってはぐらかすなんて」

「なんだと」

 思わずかっとなり、感情むき出しでシノブを睨みつけた。どうやら、彼女は大人しく従順だと勝手に解釈していたらしい。

「リヒター伍長に未練がないというなら、私は遠慮なくあなたを狙います」

「なっ!?」

 大胆発言に言葉を失うアレックスを尻目に、シノブは「失礼します」と一礼してドアを閉めた。


 ― はあ……。怖かった……。


 バタンとドアが閉まる音と同時に、シノブはその場にへたり込む。彼女は本当に、大人しくて従順な女性なのだ。それなのに上官にケンカを売ってしまったのだがら、心臓も尋常ではない速さでリズムを刻む。

 だから、その様子を見ていた人物に気付くのが遅かった。

「随分と威勢のいいタンカを切りましたね」

「マーティン伍長!?」

 驚きで声が裏返るシノブに、笑いを堪えるセドリックがいた。恥ずかしさが先に来て、あとからとんでもないことを口走った後悔が彼女を慌てさせる。

「ミュラー教官を狙うって言ったのは言葉のあやで、わたしそんな気はまったくなくて……」

「わかってますよ。カワサキ教官が煽らなかったら、俺がやろうと思っていましたから」

 差し伸べるセドリックの手に掴まり立ち上がった。

「ミュラー教官、俺の時はカーリンを強引に奪っていったんですよ」

「そうなの?」

「俺も一発殴りましたけどね」と、頭を掻いて苦笑する。

 教官室へ帰る道すがら、セドリックは当時を振り返って語り始めた。


 ご存知の通り、カーリン達の教官が彼だったんです。俺としては憧れていた人が、なんであんな落ちこぼれの班を担当するんだと不愉快でしたね。

 だから、カーリンのことがますます嫌いでした。はっきり言って、学科は赤点スレスレで本能で動くような子でしょ?

 ミュラー教官とも反りが合わない彼女に、最初はザマーミロと笑っていたけど模擬戦をしたとき、倒れる彼女を抱き留めたらときめいちゃって。

 俺と対等に組み合うくせに華奢で綺麗で、不本意ながら一目惚れです。

 あっ、先に惚れたのは俺が先なんですよ。でも、カーリンは、次第にミュラー教官を目で追うようになって、そのうち恋しちゃって。

 俺も負けないようにあの手この手で攻めましたけど、鈍いですから彼女。

結局、ミュラー教官絡みで泣くカーリンを慰める損な役ばっかり引き受けて嫌になりました。

 でも、恋ってすごいですよね。『虚仮の一念、岩をも通す』っていうじゃないですか。あのミュラー教官を振り向かせるんですから大したものです。

 それで、忘れもしない雨の夜に訓練場に呼び出されて「カーリンを愛している」ですよ。

 頭きて殴ったけど、今となって考えれば避けようと思えば出来たのに、敢えてしなかったのはあの方なりの謝罪だったんだなって。


 長い廊下をセドリックは面白おかしく語ったが、色々つらい思いをたくさんしたに違いない。

「ありがとう」

「いいえ。お陰で俺もチェリーと出会えましたからチャラですね」

 二人は、顔を見合わせて笑った。


 



 

初恋って実らないものなんでしょうか? 二人の揺れる想いにもうすぐ決着が!?

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