迷走
翌日、アレックスは完全な二日酔いで朝を迎える。
昨夜、というよりランディの肩を借りてどうにか学校内の私室に辿りついた頃には日付は変わっていた。
ズキズキと痛む頭を庇いながら上体を起こす。何かが手に触れたので隣を見ると、ランディが安眠とは程遠い表情で眠っていた。シングルベッドに大の男が二人並んでよく寝れたものだと、呆れるのを通り越して感心する。
思い返せば、つらい時や滅入っている時にはランディがそばにいてくれた。ここ、一年はその役目はカーリンだったが。
気配に気付いたのか、ランディがうっすらと目を開けた。
「ん……、おはよう。相変わらず目覚めはいいな」
「一緒に寝てたとは、道理で暑苦しいはずだ」
「久しぶりに、お前の温もりと感じながら眠ったよ」
にやりと笑う彼の目の下には、やはり狭くて寝不足だったのかクマができている。こんな顔を見せられたら突っ込む気も失せるというものだ。
シャワーをランディに譲って、アレックスは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し一気に飲み干す。酒が抜けていない火照った体に、冷たい水が行き渡るのを感じた。
そして、蘇るのは昨夜の会話。
カーリンにプロポーズしたらしいぞ
元々彼女は、フィリデオの婚約者だ。自然な流れだといえば当然ではあるが、一抹の淋しさが胸をよぎる。
親友はカーリンを奪い返せとけしかけるが、自身より人を優先するアレックスの性格では無理な相談だ。なにより彼は教官で私情を挟むのは、カーリンに告白したあの夜だけだと心に決めている。
― しっかり悩め、アレックス。後悔しないようにな。
シャワーを済ませたランディは、ベッドの端で頭を抱える彼にささやかなエールを送った。
一方、カーリンはというとプロポーズの返事はまだだが、すっかりフィリデオのペースで物事が進んでいく様子に戸惑っていた。結婚の話はまだ秘密にしたいという彼の意向を守り、チェリーにも話していない。
だが、そこは勘が鋭い彼女は何かを察しているようだ。
「ねえ、カーリン。参事官と何かあった?」
「い、いや。別に」
紅茶を飲みながら答えるカーリンに、鼻の先まで詰め寄る。
「ほんと?」
「ほ、ほんとだよ」
泳ぐ目にチェリーはたまらず吹き出した。
「あんた、ほんと嘘が下手ね」
「嘘じゃないって!!」
「はいはい、そういうことにしておいてあげる」
深く訊こうとはせず、クッキーに手を伸ばすチェリーをカーリンがまじまじと見つめる。
「な、なによ?」
「チェリーはセドリックと結婚したい?」
チェリーが口から「ぶはっ」とクッキーの粉を噴き出したので、テーブルの上はくずだらけとなった。
「汚いなあ。わたしにはいつもこぼすなと言っているくせに」
「変なことを言うからでしょ!?」
二人で慌ててテーブルを拭いて、ようやく落ち着いたチェリーが紅茶でのどを潤す。
「ひょっとして彼にプロポーズされたとか?」
今度は、カーリンが紅茶を噴き出した。
「へえ、図星?」
チェリーは半眼でこちらを窺っているので、カーリンは目を逸らした。
「そうねえ。先のことはわからないけど、いつまでも一緒にいたいとは思うわよ」
「そっか」
いつまでも一緒にいたい、その気持ちが大事だとカーリンは今回のことで嫌というほど感じた。アレックスとあんなことにならなければ今頃は……と、また逆戻りする。
そう思うこと自体フィリデオに対しても誠実ではないし、考えてはいけないと反省した。結局、アレックスの電話番号は削除できず、もしフィリデオに知られたら気まずい。きっと彼のことだから、許してくれるだろうが甘えてばかりもいられない。
「受けるの?」
「正直、どうしていいかわからない」
「まだ教官が好きなの?」
答えに迷った。
日が経つにつれてつらくはなくなったが、フィリデオといっしょにいるとつい彼と比べてしまう時がある。
だが、フィリデオがそばにいると安心して身を委ねる自分もいた。心の大部分は彼で占めつつある。
― わたしって、いい加減だな。
問い詰めたりせずチェリーは静かに待っていたが、ついにカーリンの口からはっきりした答えが出なかった。
プロポーズの返事が先延ばしのカーリンだが、決断の時は確実に迫っていた。
部隊より少し離れたカフェで会っていたフィリデオが切り出した。
「出向?」
「うん。ちょっと長引きそうだから、一緒に来てくれると嬉しんだけど」
つまり、返事がほしいのだと鈍いカーリンでも感じ取れる。
今の彼女には誰と一緒にいると幸せになれるのか、どれが人生の正解なのか分からなくなっていた。
アレックスから貰ったネックレスもとうとう見つからない今、また彼の元に戻る選択肢は絶たれた。
「今すぐ愛さなくていいから、そばにいて」
微笑むフィリデオの声色は、いつになく優しい。
「ゆっくりと時間をかけて幸せになろうよ」
テーブルに置いたカーリンの手の上に、彼の手が重ねられた。温もりが、じんわりとカーリンの心に染み渡る。
「こんなわたしでいいの?」
「カーリンだからいいんだよ」
彼女の瞳から涙が溢れた。フィリデオと共に生きていく決心と、アレックスを想わない覚悟がそうさせたのだ。
「ありがとう、フィリデオ」
「こちらこそよろしく」
二人は笑って、互いの手を強く握り締める。
カーリンとフィリデオが新たな一歩を踏み出した頃、アレックスは来週に迫った創立五十周年記念祭に向けて準備に追われていた。
幸か不幸か、カーリン達の結婚について考える暇もなく多忙な日を過ごす。ビアンカやシノブ、セドリックが、そのことを話題にしないところをみるとまだ知らないらしい。
「当日はアレックスがスピーチするんでしょ?」
終礼前にやっと会えたビアンカが訊いた。
「ああ」
「スピーチ嫌いのあなたが受けるなんて珍しいわね」
「わがままを言える立場じゃないからな」
「次期主任候補としての覚悟?」
「次期主任候補としての意地だ」
自分の台詞に被せて微妙な訂正を加えるアレックスを、ビアンカは物珍しげに見つめる。
「なんだ」
「ううん、なんでもないわ」
「バルバート教官、カルマン大尉から何か聞いているか?」
「いいえ。なにかあった?」
ビアンカとも長い付き合いで、嘘をついていれば見破る自信はある。まんざらとぼけている様子でもないので、本当に聞かされていないのと確信した。
「倒れて以来、私に気味悪いほど優しいものでな」
「ランディは、今も昔もあなたを愛しているわよ。わたしが妬けるくらいにね」
書類を渡そうと近くにいたセドリックが、ぎょっとした顔でこちらを見ているのを目の端で感じる。
「最近は、あいつに借りっ放しだ」
「借りときなさい。今まで散々貸していたんだから」とビアンカは婚約者にも容赦ないが、それがいいのだと惚気るランディに一理あると納得した。
勝気で、時には軟弱な新兵より男らしい部分もあるが、根は誰よりも繊細で臆病だ。告白してアレックスの傍にいられなくなるよりは、友人の関係を選んだのに彼の一語一句に喜怒哀楽する。
そんな彼女を愛したランディは、今のアレックスの同じ心境だったのだろうか。
「今、幸せか?」
突然の問いにビアンカは、目を丸くしたが微笑みへと変わった。
「その台詞、そっくりあなたに返すわ。アレックス・ミュラー」
カーリンがフィリデオと結婚して笑顔でいられるなら、それは何ものにも代えがたい幸せである。
― 詭弁だな。
本音と建て前に自嘲するアレックスだった。




