巡る思惑
今朝のカーリンは、また心ここにあらず状態だった。
フィリデオからの突然のプロポーズに悩む部下のしわ寄せが、直属の上官であるランディにもろ反映されて忙しいというものではない。
事情は知らないが、困り果てた顔で座っていられるとこちらまで胃が痛くなるので、仕方なく他の部署の応援に行かせた。彼女のことだから、体を動かせば少しは気が紛れるに違いない。
庶務に励むそんな彼の元へ、珍しい客が訪れた。
デスクに差す影に顔を上げると、スーツ姿も決まっているフィリデオである。
「これは参事官。リヒター伍長ならただ今席を外していますが」
携帯電話で呼び戻そうとするランディを、フィリデオがとめた。
「今日は、あなたに相談があってきたんだけどいいかな?」
いつもならそこらのソファに座って話を聞くのだが、どうやらそんな雰囲気ではなさそうなので応接室へと移動した。
女性の下士官がティーセットを運ぼうとしたが、ランディが受け取り人払いをする。
「参事官が俺に相談とは珍しいですね」
向き合ったランディが口を開く。
「カーリンに休暇を取ってもらいたいんだけど、いつ頃なら手が空くかな?」
「休暇?」
ランディが怪訝そうに尋ねると、ひと呼吸置いてフィリデオが言う。
「カーリンとの結婚準備を進めたいんだ」
驚いて目を見開く彼に、構わずフィリデオは続けた。
「出向する前に式だけ挙げようと思って」
「彼女は受けたんですか?」
フィリデオは、肯定も否定もせず微笑んでいる。
休暇など、わざわざ上官に出向いて確認するまでもない。ましてやランディは、アレックスの親友なのだ。本人に報告しなければならない状況に追いこむフィリデオの意図を探る。
「ミュラー少佐には?」
「今のところは、カーリンとカルマン大尉だけだよ。あまり大袈裟にしたくないし、二人きりでしようと考えているから」
「あいつが知れば奪いに来るとでも?」
ランディが言うと、カップを口元へ持っていくフィリデオの手が止まった。
「親友の君から見てそうすると思う?」
逆に訊かれて、ランディは「う……ん」と腕を組んでしばし考え込む。
「しないでしょうね。昔っから道理に外れた行動はしない奴ですから」
「でも、心労で倒れるくらい愛したカーリンの結婚式だよ」
「なぜ、それを!?」
アレックスが緘口令を敷いたはずなのに、ランディは首を傾げたが黒髪のあの女性が頭に浮かんだ。
「カワサキ中尉?」
「彼女を責めないでやって。ミュラー少佐を思ってのことなんだから」
確かに気丈なアレックスが目の前で倒れたんだから、シノブでなくてもなんとかしてやりたいのが親心ならぬ友心だ。
― 全部知ってて、なぜ俺に相談するんだ?
フィリデオの言葉に隠された奥深い心情を読もうと、思考を巡らすが億劫になってやめた。そもそもランディは、心理戦やタクティクスは性に合わず直感で行動するタイプなので、その点はカーリンと似ているかも知れない。
これまでのやり取りでわかったことは、結婚の計画を水面下で進めたいのと、アレックスだけは知られても構わないということ。
「何を考えていらっしゃるんです?」
「他意はないよ」と涼しげな表情のフィリデオを、胡散臭そうに見やった。
休日、ランディはシャトレーズ軍人学校へ来ていた。
本来なら真っ先にビアンカに会いたいところだが、大事なミッションを控えているので今回の訪問は内緒にしている。
この前電話で会う約束をしたのだが、アレックスは何かを感づいている風だった。
『俺を心配しているのか?』と訊く彼に、ランディはおどけて返す。
「愛しのビアンカに会うついでだ。まあ、お前も愛しているけどな」
『また馬鹿なことを』と、呆れるアレックスは声に張りがなかった。
こんな様子だから、結婚報告をする羽目になったランディは盛大なため息をつく。
― また、ぶっ倒れなきゃいいけどなあ。
鉄の心臓かと思いきや、失恋で倒れた親友の見かたが変わり気が気ではなかった。
教官室で仕事をしていると聞いたランディが向かってみると、忙しく指を動かしてノートパソコンに入力している私服姿のアレックスを見つけた。
「よお、休日出勤とは相変わらず真面目だな」
「早かったな。もうすぐ終わるから座っててくれ」
「なにやってんだ?」と横から覗くと、びっしりと埋まった数列に思わず眉を顰める。ランディも普段やっているだけに休みの日まで見たくなかった。
ビアンカの席で雑誌を眺めたりと時間を潰していると、やがてアレックスがノートパソコンを閉じた。
「待たせたな」
「いいってことよ。お陰で仕事に没頭するミュラー少佐が見られたし」
二人は並んで部屋を出た。
外はまだ日が暮れていないが、街並みの一角にある地下のバーに二人は入っていく。店内は淡い色の照明が灯っているうす暗く、だが不快な雰囲気はしない落ち着いた場所だった。
こういう店に来ると、アレックスらしいとランディは思うのだ。
「少し早かったな」
ランディが苦笑すると、アレックスは「たまにはいいさ」と早速、乾杯したばかりのグラスに口をつける。
「この間はすまなかった」
「気にするな。お前に貸しておくのも悪くないからな」
ランディは笑ってみたものの、頭の中ではこれから話す内容を必死に組み立てていた。そんな彼の態度を見抜いたのか、アレックスが先に切り出す。
「カーリンのことか?」
「あ、ああ。実は先日参事官が来られて、まあいろいろと話をしたんだが……」
言いづらそうな親友を、アレックスは黙って待っていた。ランディは、ぐいと酒を一気に飲み干して大きく息を吐くと意を決して向き直る。
「カーリンにプロポーズしたそうだ」
一瞬、二人を取り巻く時間が止まって気がした。アレックスは大きく目を見開いたが、すぐに目を細めて「そうか」と呟くのみだ。
「それだけか?」
静かに受け止める彼が気味悪く、ランディは怒鳴る。
「参事官は結婚するつもりだ!! カーリンが承知したら、もう手が届かなくなるんだぞ!!」
まばらの客がこちらに注目するのを、目の端で感じたランディは罰悪そうにグラスを煽った。
「俺にどうしろと? まさか奪い返せって言うんじゃないだろうな?」
「本当に愛しているなら、俺だったらそうする」
「もう遅い」
すると、ランディは鋭い眼で目の前の友を凝視する。
「俺の知っているアレックス・ミュラーはどんな逆境でも信念を貫く男だ。フラッツェルンの時も……」
「それとこれとは事情が違う」
相変わらず極論を投じる男だと、アレックスはいささかうんざりした表情で二杯目の酒をオーダーした。
ランディの追及を逃れんとペースが速すぎたのか、はたまた病み上がりの体がついていけなかったのか珍しくアレックスが先に泥酔した。
「おいおい、いくらなんでも飲み過ぎだ」
こちらも珍しく介抱する側になったランディは、心配そうに顔を覗きこむ。ビアンカのように酒癖は悪くないが、鍛えられた長身は背負うには重過ぎた。
「悪いな」
「謝るくらいならしっかり歩け」
ランディは足元がおぼつかない彼の腕を掴むと、首に回して肩を貸す。
しばらく歩いていると、アレックスが何かを呟いた。
カーリン……。
確かにランディにはそう聞こえた。すぐ横にある彼を見やると、下りた前髪で表情は窺い知れない。
― 強がりやがって、素直じゃないな。
滅多に弱みを見せない親友が本音をこぼしたので、ランディは思わず頬を緩ませた。




