傷心の朝
どんなにつらくとも、陽が昇れば一日が始まる。そのことをカーリンは今朝、痛感した。
「カーリン、起きてる?」
チェリーの声にゆっくりと寝返りを打って顔を向ける。
「目の腫れ、だいぶ引いたみたいね。夕べ冷やしておいてよかった」
ベッドから起きたが頭が重く気怠い。失恋はかなりのエネルギーを消耗するようだ。
「おはよう」
声もしわがれて憔悴しきった親友にチェリーはため息をつく。
カーリンが部屋に帰ってきたのは夜も遅い時刻だった。
「どうしたの!?」
チェリーの第一声に、彼女が虚ろな目を向けたのでこれは只事ではないと察した。
「教官とケンカした?」
「相変わらず鋭いな」
「そんな顔していれば誰だって言うわよ」
腫れぼったい目に青白い顔色、半日見ない間にすっかりやつれている。
「また教官を困らせたんじゃないでしょうね!?」
チェリーが腰に手を当てて説教をしようとしたがやめた。いつもなら惚気け話ともとれる愚痴がが飛び出すのだが、今回はよほど深刻なのかそれがない。
会話は続かず、しんと静まった部屋で時間だけが流れた。
やがて、カーリンが重い口を開く。
「少佐と別れたんだ」
「え?」
チェリーは聞き間違いかと二、三回瞬きをした。
「冗談にしては今いちね」
「本当だよ」
確かにカーリンは、「嫌い」とわめくことはあっても「別れる」とは口にしたことがないのだ。
どうやら本当らしくまた大粒の涙が頬を伝う。
「教官は認めたの?」
「ごめん。せっかくチェリーも応援してくれてたのに」
「そんなのいいから、どうなのよ!?」
頷くカーリンに、チェリーがテーブルに置いた携帯電話を取って操作し始めた。
「教官に確かめる」
「だめ!!」
カーリンが慌てて手を伸ばしてもみ合いになる。リーチの差はあるがチェリーもこればかりは譲れない。
「自分が何したか分かってるの!? 別れるってことはもう逢えないのよ!!」
― ああ、そうか。逢いたくても逢えないんだ。
チェリーの言葉で皮肉にも別れた実感がようやく湧いて、しゅんとして大人しくなった。
「それでいいの?」
出会いもあれば別れもある。チェリーも一人の相手に恋がいつまでも続くとは考えてもいない。だからカーリン達がそうなっても不思議はないが、ずっと二人を傍で見守ってきただけにいたたまれなかった。
恋愛に疎いながらも全力で恋するカーリンとそれに応えようと精一杯愛したアレックス。不器用な二人を見ていると、はらはらして気持ちが温かくなって応援したくなる。
納得いかないが、身も心もボロボロになるまで傷ついた親友に言葉が出ない。
「どうにもならないよ」
小さく笑うカーリンの頬にまた涙が伝った。
「そんなに泣くなら別れなきゃよかったのに」
言い方はきついチェリーだが、彼女が眠りにつくまでずっと付き添っていたのだった。
カーリンはチェリーに促されて食堂へ向かった。普段は朝から食欲全開の彼女が少しだけ口にして箸を置いてしまったのだからかなり重症である。
チェリーに仕事場の入り口まで送ってもらうと自分のデスクで仕事に取り掛かった。
「おはよう、カーリン」
「おはようございます、カルマン大尉」
明るく弾んだ声と挨拶を交わすとランディの後ろ姿を見つめる。
モスグリーンの軍服に広い背中。
― 少佐の方がちょっと逞しいかな。
比べるのは昨日まで恋人だったアレックスのそれ。追い掛けて抱き締めてすがって……、思いは尽きない。恋が実るまで時間が掛かっていたのに、終わりは呆気ないものだった。
傷心の余波か今日のカーリンは気味が悪かった。バリバリと仕事をこなしていたかと思えば、ランディを見つめると瞳を潤ませて彼をギョッとさせる。
昼近くにチェリーは管轄外の上官に呼び止められると、今から訊かれる内容が想像できてため息をついた。
「お呼びですか? カルマン大尉」
「カーリンの様子がおかしいんだけど、なにかあったのかい?」
「どんな風にですか?」
白々しく訊いてみる。
「珍しく仕事が捗ったかと思ったら、こっちをじっと見つめるんだよ。まさか俺に惚れたとかないよな?」
真剣に悩むランディだが、「あ、それはないです」と即答されて憮然とした。
チェリーが黙っていて、カーリンの解りやすい態度は知られるのも時間の問題である。なら、直属の上官にもあらかじめ心の準備をしてもらった方がよさそうだ。
「どうせバルバート教官経由でバレると思いますけど、別れたんです」
「へえ!! あの教官見習いと別れたのか?」
的外れな発言に無礼構わず大袈裟なため息をつく。
「別れたのは、彼の上官とカルマン大尉の部下ですよ」
目の前の女子が何を言っているのかピンとこず目を白黒させている。やがて、ランディは理解したのかひきつり笑いを浮かべた。
「冗談にしては出来が悪いな」
「ですよね。わたしもカーリンから聞かされたときは信じられませんでしたから」
ふざけた様子もなく淡々と喋るチェリーに、ランディの顔が強張る。
「嘘だろ……?」
「わたしはカーリンで精一杯なので、教官はよろしくお願いします」
呆然と立ち尽くすランディに敬礼するとチェリーは仕事へ戻っていった。
あれは夢だったのか。
そう思えるほどアレックスはいつものように出勤の支度を済ませて教官室へ向かう。だが、体には露骨に現れて毎日欠かすことのなかった朝食を今朝は摂っていない。失恋は想像した以上に心身に堪えた。
教官室へ入りデスクに着くと仕事に取り掛かる。
「大丈夫? 顔色悪いわよ」
隣の席でビアンカが心配そうに尋ねた。
「最近、食べてないしどこか具合が悪いの?」
一緒に食事をしても彼の適量とは程遠い量を残して終えるのだ、心配にもなる。
「公休もたまってるんだから、一日くらい彼女とのんびりしてきたら?」
事情を知らないビアンカが笑いながら言う。
― その彼女と別れたんだがな。
朝一番にする話題ではないと敢えて伝えなかった。
そして、ついに恐れていた事態が来た。
「アレックス、ちょっと顔貸して」
昼休み、アレックスが食堂から戻って来るや否や物凄い形相のビアンカが立っている。
「あとにしてくれないか」
「いいから」
座っていた彼の腕を掴んで無理矢理立たせて、階段の下に連れ込むとビアンカは正面から睨みつけた。
「どういうこと!?」
この様子だとランディあたりから連絡がきたらしい。思ったより遅かったな、と苦笑した。
「カーリンと別れたんですってね」
「ああ」
「どうして!?」
「大声出すな。訓練生が見ている」
興奮して詰め寄る彼女を小声で窘めると、訓練生達の視線にきづいたビアンカは声のトーンを落とす。
「この間のスキャンダルの件? ちゃんと話せば解決することじゃない」
「もう済んだことだ」
「アレックス!!」
「わたしのせいなんです」
いつ来たのか二人の間にシノブが割って入った。
「あなた!!」
「よせ。これは私の問題だ」
まるで諸悪の根源とばかりにシノブを睨みつけるビアンカを窘めた。
「リヒター伍長はわたしが必ず説得します。だから……」
「あなたが関われば余計こじれるのが解らないの!?」
女性二人は彼のために険悪な雰囲気となっているが、当人は宥める気力すら湧かない。
「頼むから、一人にさせてくれ」
言い争うビアンカとシノブに苦渋の表情で呟いた。




