親友
口を堅く閉ざして背を向けて去るアレックスに、ビアンカとシノブは罰悪く顔を見合わせた。もっとも傷ついているの彼で、当事者でもない二人がどうこう言い争っても仕方がないのだから。
「ごめんなさい。つい感情的になってしまって」
「いいえ。わたしもいけなかったんです」
二人は交互に謝罪した。
「ミュラー教官は今でも好きです。でも、こんな事態は望んでいませんでした」
今にも泣き出しそうな表情のシノブに何も言えなかった。アレックスに長い間片想いだったビアンカは彼女のつらさは嫌というほど理解できる。
「わかった。今の言葉、信じるわ」
「ありがとうございます」とシノブはわずかに微笑んだ。
それから数日経ったある日、目覚ましのアラームが鳴り響いたがアレックスはすぐに起き上がれなかった。ベッドから腕だけ伸ばしてテーブルの上をまさぐるとようやくボタンを押して解除する。
体は鉛のように重く頭は朦朧としたこんな気怠い朝は久々だった。ベッドからおもむろに降りて身支度を済ませると戦闘服に袖を通す。着慣れた感触なのに今朝はやけに肌を刺激した。
勤務に就くべく足を引き摺るように部屋を出た。
食堂で朝食を摂ろうとしたが、ここのところ食欲が湧いてこなかった。少しでも食べなければ体がもたないと口まで持っていっても胃が受け付けず吐き気がこみ上げる。
このままではまずいと焦ってはいたが気持ちだけが空回りした。結局また手をつけず食事を終えると教官室へ向かう。
席に着くや否や、彼を見たビアンカが小声で尋ねた。
「大丈夫なの? 医務室、行く?」
「え?」
「顔色が悪いってもんじゃないわ」
いつも「大袈裟だ」と突っぱねるのだがその気力すらない。課業の準備をして無言で椅子から立ち上がると大きく視界が揺れた。
「アレックス!!」
ビアンカの悲鳴にも似た叫び声が朦朧とした意識の中で響く。膝が崩れ落ちるのを感じたが自分のではどうすることもできずそのまま床に倒れた。
アレックスが目を開けるとぼんやりとした視界に白い天井が映った。
「気がついたか!?」
どこかで聞いた懐かしい声に首を廻らすと、傍らには不安げに見つめる親友。
「ランディ……」
混沌とした意識が一瞬士官学校の頃と勘違いさせた。
「バカ野郎!!」
アレックスがここにいる理由を問うよりも早くランディが怒鳴った。
「なんでも独りで抱えこみやがって!! どうして俺に話してくれないんだ!?」
あまりの剣幕に、アレックスは唖然として反射的に「すまん」と謝るくらいである。
「俺はお前の何なんだ!?」
うっすらと目に涙を浮かべる彼に、本気で心配させたと反省した。
「そりゃすぐ会えないが、通信手段はいくらでもあるだろう」
「お前は彼女の直属の上官だ。迷惑掛けたくなかった」
「それが迷惑なんだよ」
吐き捨てるランディに最初の疑問を投げかける。
「なぜここへ?」
「ビアンカが連絡くれたんだよ。『わたしじゃ役不足だからあなた来て』って泣きながら。一体何人の女を泣かせれば気が済むんだ?」
昔からそうだったとランディの説教が始まる。本来はアレックスの役目だが今回は立場が逆転してしまったようだ。
そんな彼を可笑しくあり有難くもある。士官学校の同期は、生死を共に分かち合った戦友でもあるのだから。
士官学校で一緒だったランディはどこか飄々としていた。物事を楽観的に捉えて生真面目なアレックスはそんな彼に呆れつつも羨ましくもあった。
そして、ランディがいたからこそフラッツェルン紛争で生き残れたと感謝もしている。絶望的な状況でとてもじゃないがアレックス一人では収拾しきれなかったであろう。
不安を抱く兵に一喝してアレックスに従う決意させたのも彼だった。
「敵に撃たれるか味方に撃たれるか、好きな方を選べ!!」
物騒な言い方だが、この一言で多くの者が助かったのである。
口にこそしないが、アレックスが誰よりも信頼しているのはランディだ。その親友が勤務を放って駆けつけてくれた。
上体を起こそうとしたが額に鋭い痛みが走り顔を歪める。
「倒れた際に額を打ったんだ。痛むか?」
ランディが背中に手を添えて手伝ってくれた。「少し」と答えたアレックスは腕に繋がれた点滴に初めて気が付く。
「激務による過労と失恋の精神的ダメージが原因らしい」
そんなことまで診察で分かるかと本気で驚くアレックスにやっと親友の表情が崩れた。
「後半の件はカルマン医師による見立てだけどな」
だが、またランディが真剣な眼差しになる。
「俺の部下を泣かせて勤務に支障をきたすなって言ったはずだぞ」
「泣いているのか?」
アレックスの脳裏にカーリンの泣き顔がよぎった。
「仕事はしてるよ。でも、時々泣きそうな顔で俺を見つめるんだ。きっとお前を重ねてるんだろうな」
ランディは続ける。
「やりづらいなら転属するかと訊いたら、自分だけ特別扱いはできないってさ。もし、迷惑が掛かるならその時は俺の判断に任せるとも言ったよ」
随分大人になったなと感じた。そして、カーリンらしいとも。
「それでこそ俺が育てた教え子だ」
教官口調にランディが苦笑交じりに「面倒臭い奴らだな」と呟いた。
「なあ、お前はそれでいいのか?」
「え?」
「カーリンを愛しているんだろ?」
『愛していた』ではなく『愛している』と進行形で訊くランディ。その旨が分かるからこそ頷いた。
「アレックスはいつも人のことばかり考える。たまには自分のために無茶してもいいんじゃないのか?」
「彼女が決めたことだ。それにそうさせたのは俺だから」
かつての恋人を想うたびに激しい後悔で胸が苦しくなる。別れてなお、無意識にカーリンの面影を追っている自分がいた。
《ミュラー少佐!!》
明るく元気な声で呼ばれた気がして振り向く時もある。着信音で鼓動が抑えきれない夜もある。
失ってから分かるのでは遅く過ぎた。
「俺はどうすればいい?」
長い沈黙の後、アレックスが絞り出すような声で訊いた。
「想い続けるのは罪じゃない」
肩を震わせる彼にランディが抱き寄せる。最初は驚いたアレックスだが、親友の体温が傷ついた心に心地よくて身を預けた。
しばらくして医務室から出てきたランディをビアンカが迎えた。
「具合どう?」
「今、眠ったよ。手負いの獅子って感じだけど、今日一日ぐっすり休めば大丈夫だろう」
ビアンカと並んで歩こうとしたら、黒髪の女性が不安げにこちらを見ている。
「カワサキ中尉だったね。しばらく」
「あの……」
彼がアレックスの親友だと知っているだけに申し訳なさそうに項垂れた。
「いつものように接してやって。じゃないと、あいつもやりにくいからさ」
細い肩に手を置いて笑うと気が楽になったのかシノブも小さく笑う。ビアンカが部屋に帰るよう促してシノブは一礼して去っていった。
「教えてくれてありがとな」
婚約者の肩を抱いて囁いた。
「ごめんなさい。わたしったら取り乱して勤務中だったのに」
「いいんだよ。優先すべきは愛しき者達ってね」
「カーリンとのこと、相当堪えているみたい」
「ずっと突っ走って来たからいい機会だったかも知れないな」
「そばにいて何もしてやれなかった。今度のことだって、わたしがちゃんと気付いていたら……」
「ストップ!!」とビアンカの唇にランディの人差し指が押し当てられる。
「お前の婚約者は俺だぞ。なんでそんなにアレックスばかり構うんだ?」
ランディが拗ねた口調で詰るので呆れたがこれも彼なりの優しさだった。




