素直になれなくて……
「教官として彼女達に出会って考えが変わった」
当時の光景は今でもはっきり思い出す。チェリー、リコ、ソフィアそしてカーリンが不安な眼差しを向けていたことを。
何人もの教官に見捨てられて人間不信の彼女達と最初から上手くやっていた訳ではない。特にカーリンとは反りが合わずに衝突ばかりしていた。
だが、共に時を過ごすにつれて、儚くも強い彼女から目が離せなくなった
「カーリンは俺に人並の幸せをくれたんだ」
気丈な男が切なく語る姿に、フィリデオはたまらずグラスを煽る。
「そんなに愛しているなら、どうして彼女を悲しませる?」
咎める口調に、言葉に詰まったアレックスも酒を煽った。愛すれば愛するほどすれ違う気持ちを持て余す。
「僕はあなたみたいにお人好しじゃない。欲しいものはどんなことをしても手に入れる」
焦れる思いがフィリデオの口を突いて出て、アレックスの胸を貫いた。
「だから、カーリンを奪うよ?」
カーリンは失いたくないが、果たしてこのまま一緒にいて幸せになるのか。ふつふつと湧き上がる不安が形になって現れた。
使い古した台詞だが、愛する人には笑顔でいてもらいたい。
「カーリンが決めることだ」
気持ちとは裏腹に綺麗事しか言えない自身がもどかしい。
「どんな結果になっても知らないよ」
フィリデオは吐き捨てるように言って立ち上がった。
二人にそんなやりとりがあるとは知らずに、ベッドで寝転んだカーリンはふと枕の上にある携帯電話に目をやった。
以前なら喜んで掛けていた電話も、今はそんな気にならならず躊躇う。
三時間も車に乗りっ放しは運転しないカーリンでもきついのに、アレックスはおくびにも出さず平然としていた。
事故に遭ったら大変と回数も控えていたが、ここぞという時は駆けつけてくれる。そんな彼の優しさを踏みにじったのもカーリン自身だ。
だが、自分の身の回りの人間がアレックスを庇う度に、カーリンは意地を張って素直になれなくなった。シノブとの噂の件も一人蚊帳の外だっただけに孤独感で押し潰されそうになる。
だから、狙い済ませたような着信音にカーリンの心臓は止まる寸前だった。画面の表示でアレックスだとわかったので受けずに眺めていたが、長いコールに何故か受けなければいけない気がした。
「こんばんは」
『寝てたか?』
低い声がカーリンの心にしみ渡る。
「ううん、大丈夫」
やっとまともに話せたと彼は安堵した様子だ。
「今日はごめんなさい」
『謝るな。約束していなかったんだから仕方ない』
― ほら、やっぱり自分のせいにしちゃうんだ。
フィリデオといたのに咎めない優しさがたまらなくつらい。
『ちゃんと話せていなかったから心配していたんだ』
「カワサキ教官のことはショックだったけど、わたしのためだったんですよね?」
『ああ』
「それでも話してほしかった」
『すまない』
「なんだか二人して謝ってばかりですね」
カーリンはクスッと笑った。こうしていると、あんなに悩んでいたのが嘘のように自然に振る舞える。
「今度の休み、そっちへ行ってもいいですか?」
自分でも驚くほど素直に言えた台詞に、よほど嬉しかったのか彼は『いいよ』と即答した。
完全にわだかまりが消えたわけではない。この問題が解決しても新たに起こるかもしれない。
それでもいいと思った。こうやって少しずつ絆が深くなるのだと、この時までカーリンは信じていた。
約束の日、カーリンはあのネックレスを付けて姿見の前に立っていた。久々に恋人のためにお洒落をするのはなんだか照れ臭い。
「また、参事官様とデート?」
肌の手入れをしているチェリーが半眼でこちらを見ていた。
「ううん。学校に行ってくる」
「学校? 何しに?」
「少佐に会うんだよ」
「そう!! よかった!!」
二人の仲を気に掛けていただけに、チェリーは本心から喜んでいるようである。
「セドリックに言づけある?」
「わたし達のことはいいから、しっかり甘えてきなさいよ」
にこやかな笑みのチェリーに見送られて、カーリンは部屋を出ていった。
アレックスと付き合い始めて何度か乗った電車の窓をカーリンは眺める。流れる景色はまるで彼女の感情そのものだった。
年上の恋人は純粋で明るい彼女を愛したと言っていたが、今の状態はとてもじゃないが程遠い。嫉妬で優しささえ見えなくなった愚かな自分に嫌悪する。
負の感情は著しく気力を奪うらしく、先のことが考えられなくなるくらい心が重い。
これまで全力で恋してきたカーリンに初めて迷いという火が灯る。それは簡単には消えず胸の奥でくすぶり続ける。
祖母や彼の父親が言っていた通り、所詮は無理な恋だったのか。相応しくないのは自分で、どんなに背伸びしても届かない想いに打ちひしがれる。
アレックスに会ったら迷いも吹き飛ぶだろうか。彼の温もりを全身で感じれば安心できるだろうか。
ほんの数週間までは確信できたのに、どこか遠い存在の彼。
― なんだか疲れちゃったな……。
カーリンはこつんと窓に頭を預けた。
休日だというのに、教官室へ向かう者がいた。黒髪を靡かせて歩くシノブである。臨時勤務の彼女にとって課業がない休日は、仕事を片付ける貴重な時間なのだ。
中へ入るとソファに寝息を立てる人物がいるので、若干の期待を持って覗きこんだらやはりアレックスだった。
大抵休みの前日は明け方まで仕事をこなして、ソファをベッド代わりにして仮眠をとっている。これでよく激務に耐えられると感心するほどだ。
そのせいか、最近痩せてきたように思えた。訓練で体が締まってきたという考えもできるが、食欲も落ちているようでビアンカも心配している。
シノブは、教官と恋人を両立させようとする彼が無理をしているようで傍にいてつらかった。そして、解ろうとしないカーリンに苛立ちを覚える。
ほっそりとした指でアレックスに触れようとすると、気配に気付いたのか目を醒ましておもむろに上体を起こした。
「おはようございます。そのソファ、すっかりあなた専用のベッドになってしまいましたね」
珍しく冗談を言うシノブに思わず苦笑する。
「おはよう。もうこんな時間か」
腕時計が示す時刻に慌てたようで、背もたれに掛けてある戦闘服の上着に袖を通した。
「カワサキ教官こそ休日出勤か?」
「ミュラー教官みたいに有能ではありませんので」
「よく言うよ」
今朝のアレックスは表情は明るいが顔色が悪かった。
「部屋でちゃんとお休みになった方がいいですよ」
「そうも言ってられない。カーリンが来るんでね」
― だから無理をなさったんですね。
シノブの胸がちくりと痛む。
アレックスがソファから立ち上がろうとすると立ち眩みがして体がよろめいた。
「ミュラー教官!!」
シノブが慌てて抱き留めると、ふわりと彼の体温を感じた。
「大丈夫ですか!?」
「軽い立ち眩みだ」
「医務室へ行きましょう」
「少し休めば良くなる」
「ミュラー教官!!」
アレックスはゆっくりと体を離そうとしたが、シノブが硬直して動かなくなった。
「カワサキ教官?」
彼の肩越しに見えた金髪の女性にシノブは罰悪そうに呟く。
「リヒター伍長……」




