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譲れない彼女への想い

 あれから数日過ぎてもアレックスとカーリンのすれ違いは続いた。定時報告となっていた電話もないのが当たり前になりつつある。

 多忙な毎日が幸か不幸か彼に考える余裕すら与えず、今日もセドリックの運転で各関係者の挨拶回りだ。

 いくら有能とはいえアレックスも人間で、車に乗った途端に軽くため息をつくと目を閉じて一言も喋らない。

 饒舌な彼も気味が悪いが沈黙も怖い気がする。

 何はともあれ、疲労は着実に上官の精神力と体力を削っているように思われた。

「この頃、お疲れのようですね」

 ルームミラー越しに言う部下に、アレックスはおもむろに目を開ける。恐らく、この間の空振りはチェリーから聞いているはずだ。

「目の錯覚だ」と強がるものだから、セドリックはついあの台詞を口にする。

「今度、チェリーを迎えに行くのでカーリンを連れてきましょうか?」

 ちらっとミラーを窺うと鋭い視線に一喝された。いつもなら大人しく運転に専念するところだが、そうはいかない事情がセドリックにはある。

 チェリーがカーリンを心配しているからだ。シノブとの噂を知ってて黙っていた自分にも責任があると落ち込んでいる。

 決して言動には出さないがセドリックはそう感じた。恋人の悩みを取り除いてやるのも彼氏の役目というものだ。

「ご存知ないでしょうが、ミュラー教官の周りって空気が重くてたまらないんですよ」

 ご存知なかった。


 ― だから、誰も近寄らなかったのか。


 道理で、他の教官や訓練生達も用が済むとそそくさと戻ってしまうのかと妙に納得したところで、内ポケットにる携帯電話からバイブレーション機能が作動した。

「アレックス・ミュラーです」

『こんにちは、フィリデオです。今、お話して構いませんか?』

 一番関わりたくない相手に気乗りしないが、部下の手前悟られぬよう無表情に徹した。

「移動中なので構いません」

『では手短に。僕と会って頂けませんか?』

「あいにく予定が詰まっていまして……」

『カーリンのことです』

 拒否する旨を読んだのか、言い終わらないうちにフィリデオが言葉を被せてきた。

『会って頂けますね?』

 カーリンをネタにして、頼みというより脅迫に近い物言いにアレックスは眉を顰める。既に彼の意見など求めていないようだ。

 学校へ戻って予定を確認したのち、改めてアレックスから連絡するということでフィリデオとの通話を終えた。

 運転しているセドリックにはアレックスの声しか聞こえなかったが、今度会う相手はあまり気が進まないらしい。

「大変ですね」

 心情を思いやって労いの言葉を掛けると、アレックスは窓の景色を眺めたままぼそりと呟いた。

「いづれ同じ立場になるから覚悟しておけ」

 アレックスこそ脅迫じみた台詞でセドリックに憂鬱を植え付けるのだった。



 後日、都合をつけたアレックスは郊外のバーに来ていた。急な調整が入ったため約束の時間よりやや遅れての入店だった。辺りを見回すと窓際の席でフィリデオが片手を挙げている。

「遅れて申し訳ない」

「こちらこそ、無理言ってすみません」

 アレックスが席に着くと、お互い形だけの挨拶を交わした。

 ウエイターが注文を取りに来たので、二人は取り敢えずウイスキーの水割りを頼んだ。こうしてみると、フィリデオとアレックスが二人で飲むのは初めてである。

「今はプライベートだから、友人として接してもいいですよね?」

友人と呼ぶには抵抗があるが、この場で軍人風を吹かすほど空気が読めないアレックスではない。

頷くと、フィリデオはにこっと笑って早速フランクな言葉遣いになった。

「ちゃんと来てくれたんだね」

「心外だな。俺が約束をすっぽかすとでも?」

「まさか。これでもあなたを信頼しているんだよ」

「信頼……ねえ」

 アレックスは皮肉をこめて鼻で笑ったが、フィリデオは意に介さず穏やかな笑みを崩さない。

「スキャンダルをこちらへ丸投げしておいてよく言えたものだ」

 ジェロニモの標的がカーリンだと知ると、フィリデオはアレックスへ移るよう差し向けたのだった。

「結果的にはよかったじゃない。あなたなら上手くやってくれると思ってたよ」

お陰でこちらはそのカーリンとこじれにこじれたと、澄ました顔でコーヒーを飲むフィリデオを恨めしく見やる。

「ところで、カワサキ中尉とはどうなっているの?」

「どうもなっていない」

 シノブの名が出てアレックスは警戒を深めた。

「恋人だと噂になっていたけど、やっぱり思惑があったみたいだね」

「……カーリンに話したのか?」

 低い声と鋭い視線にフィリデオは肩を竦める。

「悩んでいたから相談に乗っただけだよ」

アレックスが眉間にしわを寄せた。彼には電話一本掛けないのにフィリデオには会って相談までしていたとは。しかも、内容は確信のない噂話で。

「彼女だってちゃんと話してほしかったと思うけど?」

「余計な心配を掛けたくなかった」

「黙っている方が余計心配するんじゃないかな。本当にカーリンを愛しているなら、もう少し信じてもよかったんじゃない?」

 フィリデオの言葉がアレックスの胸を深く抉った。現に目の前にいる男とカーリンの仲を疑っている自分がいたからである。

愛と信頼は似ているようで違うのだと恋敵に諭された。

言葉なく無言の彼にフィリデオは言い放つ。

「僕はカーリンを愛してる」

先ほどまでの穏やかな表情が一転して、かつて見たことのない真剣な眼差しに彼女への愛の深さを知った。

「あなたはずるい人だ。僕はずっとカーリンを想い続けていたのに、突然現れて奪い取っていく」


 リヒター・ド・ランジェニエール家と昔から親交があったフィリデオは幼い頃からカーリンと接してきた。

 いつからだろう。兄のように慕う彼女を次第に異性として意識し始めて、気が付けば純粋で美しい少女に恋していた。

 だが、当人はいつまで経っても『フィリデオお兄様』のままで無邪気な笑顔を向けてくる。

 カーリンが高校生になった時だ。真新しい制服に身を包んだ彼女にフィリデオはこう言った。


「もう『お兄様』は卒業して、『フィリデオ』と呼んでくれないか?」


「お兄様がそう呼んでほしいなら」とカーリンが微笑む。

 親戚でなく一人の男として見てほしい。フィリデオにしてみれば告白だったが、恋を知らない彼女には届かなかった。

 それでもいいと思った。いつまでも傍にいられるなら、無理に今の関係を崩すことはない。時間をかけて待つことを選んだ。

 やがて、高校を卒業したカーリンは皆の反対を押し切り軍人学校へ入学してしまった。


「カーリンに恋愛はまだ早いと油断していたら、あなたと恋人同士とはね」 

こんなことなら、意地でも自分のものにしておけばよかったと悔しさを滲ませる。

「幸せそうな笑うカーリンを見て胸が締めつけられたよ。どうして隣にいるのは僕じゃないんだろうってね。もうあんな思いはごめんだ」

切なく話すフィリデオは、訓練生だったセドリックと向き合おうとするカーリンに胸焦がす当時のアレックス自身だった。

 器用に恋愛をこなす風に見えるフィリデオだが、彼もまた嫉妬や焦燥に駆られるただの男なのである。

「失ってからわかるなんて皮肉なものだけど」

 失ってからは遅い。

 カーリンへの感情を持て余したアレックスにオレンジ色の髪の親友が言った台詞だった。

 母親、戦友、部下……、失うものはもうないと思っていたが、彼女と出逢って心が震える。

今日こんにちの俺は多くの犠牲で成り立っている。だから、幸せになる資格はないと思い続けていた」

フィリデオが本心を明かしたように、アレックスも胸のうちを静かに語り始める。


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