論より証拠 その2
カーリンにしては強気な発言にアレックスは唖然とした。
この学校内で課業外に人気のないのを見計らってキスしたことはある。だが、今回は課業中にいつ訓練生が通るか分からないこの場所でしてみせろと言うのだ。
挑発と不安そして期待が入り混じったグリーンの瞳を見つめた。未だ恥ずかしげに応じるカーリンが、こんな無茶を言うのだからよほど思い詰めているのか。
今ここでキスしたら彼女の気が済むのだろうか。
教官の立場と恋人の立場、どちらを選ぶのか試れている気がした。
ジレンマで体が硬直するアレックスに、カーリンは虎の尾を踏んだ気持ちだった。軍人の鑑でもある彼が、リスクを冒してまで自分の要求を応えるだろうか。
二人だけだとかなり大胆になるアレックスだからこのくらいはやってのけるかもしれない。
もし、本当にキスして誰かに見つかり大騒ぎになったら……。
子どもじみた賭けで愛する者を困らせて満足なのか。言ったそばからカーリンはひどく後悔した。
ほんの数秒の間も本人達にとっては数分に思えた。
「分かった」
答えが出たのか、アレックスが軽く息を吐いてカーリンを壁に押しつけた。壁と彼に挟まれて上目遣いのカーリンに体を被せる。
カーリンは目をきつく瞑った。息遣いが聞こえてもうすぐお互いの唇が触れるのを気配で感じた。
「ミュラー教官」
女性の声にカーリンは目を開けると、彼の逞しい肩越しに見えたのは困惑した表情のシノブだった。
このまま続けるのか、それともやめるのか。
アレックスが取ったのは後者だった。すっと体を離してシノブに向き直る。
「あの、主任がお呼びです」
アレックスは何も言わず立ち去ってしまうと、残された女性二人はどんな顔をすればいいのか戸惑ったままだ。
先に動いたのはカーリンで敬礼をしてこの場を離れようとした。
「リヒター伍長」
振り向くと、シノブは険しい表情に変わっている。
「ミュラー教官はあなたのためなら何でもすると思う。だから、よく考えて行動してほしいの。今後、公私混同は控えて」
カーリンはシノブの言い方が癪に障りキッと睨みつけた。
いつもなら素直に反省するところだが、二人の関係がおかしくなったのは目の前にいるシノブが原因なのである。
「カワサキ教官こそ、公私混同しないで下さい」
「どういう意味?」
「ミュラー少佐は私の恋人なのに、ここではカワサキ教官が恋人になっているんじゃないですか!?」
「あれは記者の目を欺くために一時的に取った手段よ」
シノブは一切表情を崩さなかった。
「ミュラー教官は、たとえ嘘でもあなたを裏切れないからってわたしの提案を断ったわ。でも、このままだとあなたがターゲットにされるからやむを得ず」
いつかフィリデオが話した推測が正しかったと証明された瞬間だった。
「だからって……」
納得いかないカーリンに説明を続けた。ジェロニモがアレックスとの関係を嗅ぎつけたこと、それをネタにフィリデオとアレックスに強請ろうとしていたこと、そしてアレックスが恋人を護るために自己犠牲も辞さない決意も。
少しでもアレックスの心情を理解してもらおうと、シノブが懇々と説明すればするほどカーリンの心は晴れない。
苦悩する彼の隣にいたのはシノブで、危機を乗り越えたのも彼女の策だった。
「少佐はそんなこと一言も言ってくれなかった」
「あなたに心配かけたくない一心だったのよ」
「どうして、あなたに言われなきゃいけないんですか!!」
様々な感情が胸に渦巻いて思考が混乱する。シノブが彼の気持ちを代弁したのも許せなかった。涙で潤んだカーリンの瞳にシノブは初めて驚いた顔をした。
「ごめんなさい。ミュラー教官がご自分で話すって仰っていたのに」
シノブは知っていて自分は知らなかった。いや、自分だけ知らなかったのではないか。チェリーもランディもビアンカもセドリックも皆知っていて黙っていたのか。
疎外感が自尊心が傷ついた。もっとも、自分にもそんな高尚な感情があったのか嘲笑する。
課業開始のチャイムが鳴ったので、最後にシノブは「彼を責めないで」と言い残すと講堂に消えていった
フレッドとの用を済ませたアレックスはカーリンを探した。カーリンの望みを叶えてやれなかった罰悪さが足を速めた。
果たして、あのときシノブが来なければキスをしていただろうか。それとも、彼女が来て逆に助かったのか。
結局選んだのは教官としてのアレックス・ミュラー少佐だった。
「リヒター伍長!!」
フラフラと廊下を歩いているカーリンを見つめて呼び止めた。振り向いた彼女の目は赤い。
「さっきはすまなかった」
「少佐は何も悪いことしていないのになぜ謝るんですか?」
カーリンは平然を装って笑おうとしたが無理だった。情けないことに涙が頬を伝ったので慌てて手で拭う。
「すまない」
もう一度謝る彼に感情の箍が外れた。
「謝るくらいなら、わたしに何もかも話してくれればいいのに!!」
「話すって何を?」
「ジェロニモって記者に、わたしとの関係で強請られそうになったんですよね?」
アレックスの眉がピクリと動いたのを見て真実だと確信する。
「それで、カワサキ教官と恋人のふりをしたってことですか!?」
カーリンは次第に強い口調になっていった。
「隠し事はなしだって言ったのは少佐でしょう!?」
「お前を不安にさせたくなかった」
「話してくれない方が余計不安になります。いつも一緒にいないんですよ」
ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちるさまをアレックスは黙って見つめるのみである。こんなにも不安にさせていたとは思いもよらなかった。
訓練生の頃から共に歩んできたせいか、まだ子どもだと軽んじていたのかも知れない。だから、感情と表情が直結している彼女の些細な変化をも見逃してしまった。
彼女は何も悪くない。悪いとしたら、口にしなくても心が通じると驕っていたアレックス自身だ。
彼がつらいときに代わりに泣いてくれたのはカーリンだった。強いと思っていたが実は反対で脆さや儚さも持っていたことをすっかり忘れていたらしい。
「わたしじゃ頼りないですか!? 馬鹿だから? すぐ顔に出るから?」
「そうじゃない」
どんなに言葉を綴っても言い訳に過ぎない。アレックスは口を噤んだ。
全てが噛み合わない。
冷静なアレックスと激情している自分の差に歯痒くなる。カーリンはろくに事情も理解しようとしないでわめき散らすだけなのに、彼は反論もせず謝ってくる。
一層のこと、アレックスも逆上して二人で何もかも怒鳴り合って曝け出してしまえばどんなに楽か。
チェリーやセドリック、ビアンカやランディみたいに大喧嘩して、また一段と愛が深まる関係もある。
それに対して、けんかすら対等でない自分の立場が情けない。
アレックスが肩に触れようとした時だった。校内放送で呼び出されてその手が離れていく。
「行って下さい。仕事なんですから」
我ながら随分とげのある言い方だと思った。俯いた彼女は足音と気配で遠ざかるのを感じながら、床に落ちる雫を見つめていた。
夕方、教官室へ戻ったアレックスはセドリックから二人が部隊に帰ったことを告げられた。せっかく会えたのに快く送り出せなかったと後悔する。
アレックスは二十七年間で一番の盛大なため息をつくと、腕を枕にしてデスクにうつ伏せた。まるで学生みたいな行動に一同は珍しげに見入っていた。




