後悔 その1
これまで、カーリンとアレックスの間にささやかなケンカはあった。その都度、彼の冷静な対処で難なく切り抜けてきたのだが、今度ばかりはもつれた糸はなかなか解けない。
チェリーは、学校へ出向いてからまたやもカーリンの様子がおかしいので問い詰めてみると、アレックスに学校内でキスを要求したとのことだ。
奥手の彼女にしては大胆な行動だと感心していたら、実はジェロニモの件をシノブから聞かされて逆上した勢いで口走ってしまったという。
「なんだってそんなバカなことしたのよ?」
チェリーが怒鳴りつけたので、カーリンは肩を竦めた。
「だって、悔しかったんだもん」と口を尖らせるカーリンに呆れ顔である。
「悔しかったからって、ふつう恋人に究極の選択を迫る? 恋と仕事、どっちが大事なんて男が一番嫌がる質問よ」
自分のことは棚に上げてチェリーは説教を続けた。
確かにあれはまずかったかも知れない。困惑に揺れるグレーの瞳はそう滅多にお目に掛かれないのだから。
「反省してる。でも、カワサキ教官が来たからやめたんだよ。いてっ!!」
チェリーは雑誌を丸めてカーリンの頭を小突いた。
「あんた、贅沢なのよ。周りを見てごらんなさい。喧嘩したり別れたりとか日常茶飯事なんだから」
いつだったか、部隊の女性たちが集まる女子会に参加したが、やはり恋の話題が中心だった。最初は彼氏の自慢や惚気で独り身をうんざりさせる。時間が経つにつれてエスカレートしてくると、彼氏の不満をぶちまける側と慰める側に分かれてお開きとなったのだ。
その時は『みんな大変だなあ』などと暢気な感想だったが、今思えば言いたい放題のけんかが羨ましい。
「羨ましい? うざいだけよ。だいたい教官がそんなタイプ?」
年上だから落ち着いているのかと思いきや、ランディのような幾つになっても賑やかな人間もいる。
アレックスは元々物静かな性格で、その分カーリンが騒いでバランスが取れていた。
「少佐の本音が分からないんだ。わたし、鈍いから言ってくれなきゃ気付かないだろ?」
「自覚してるんだ」とまたチェリーが感心する。
「それなのにいつも涼しい顔しちゃってさ、突っかかると笑うんだ。あれはずるい!! 破壊力半端ないよ。いてっ!!」
二発目の不意打ちを喰らったカーリンが頭をさすった。
「さりげなく惚気てんじゃないわよ」
悪気がないだけに始末に負えない。
「どうせわたしはバカですよ」
「なんでそこにいくわけ?」
すると、カーリンが拗ねた目でこちらを睨んでいる。
「な、なによ」
「少佐とカワサキ教官の噂、チェリーも当然知ってたよな?」
やはりばれていたかと、チェリーは苦笑いだ。
「まあね。気が引けたけどカーリンのためだし」
「ということは、セドリックやバルバート教官、カルマン大尉も知ってたんだ?」
頷く友人に、カーリンは軽い苛立ちを感じた。
何か言おうとしたチェリーだが、カーリンの携帯電話が鳴ったので口を噤む。
カーリンはチェリーを一瞥していそいそと部屋を出たので、てっきりアレックスからだと思いこんで放っておいた。
「フィリデオ、なにか用?」
『あの件、どうなったか心配してたんだよ』
相手はフィリデオだった。ジェロニモの件も彼が教えてくれなかったら、真相を知らずにヘラヘラ笑っていただろう
。
『ちゃんとミュラー少佐と話した?」
結果的にはアレックスの口からではなく、シノブ経由で聞いたとは言い出せなかった。「一応はした」と伝えると、フィリデオが『よかった』と安堵の声を漏らす。
「フィリデオはわたしのこと、まだ好き?」
『ああ、好きだよ』
間髪入れず答えが返ってきた。
「じゃあ、なんでそんなに心配してくれるんだ?」
これはカーリンの自惚れではなく疑問だった。普通ならここぞとばかりにつけこむのではないか。
『僕だって男だしフェアでいきたいから、奪うなら堂々とね』
冷静に聞けばかなりきわどい台詞も、今のカーリンには嬉しかった。フィリデオが本音を語ってくるたからだ。
間が空いたカーリンに笑いながら言う。
『ひょっとして、ときめいた?』
「そんなわけあるか」
カーリンもつられて笑った。こうして喋っていると、フィリデオの背中を追いかけ回していた幼い頃を思い出す。
『親戚のお兄様』から『フィリデオ』に呼び方が変わったのはいつからだろうか。
『なら、週末付き合って。友人としてなら問題ないよね?』
「調子いいな」
こういうところはちゃっかりしているとカーリンが頬を緩ます。
「彼氏の許可がいる?」
アレックスもシノブとのことを内緒にしていた。たとえやむを得ない事情でも、常に自分優先でありたかった。
そんな思いがカーリンの恋心を曇らせる。
「いいよ。それに、いつまでも子どもじゃない」
フィリデオは彼女の声色に若干の違和感を覚えたが、せっかくの機会を無駄にしたくないので黙っていた。
『迎えにくるよ』と言って通話を終えると、カーリンは深くため息をつく。
もしかしたら、アレックスも週末に会おうと言ってくるかもしれない。あれほど彼を苦しめておいて、よりによってフィリデオの誘いに乗るとは我ながら軽率だと胸が痛んだ。
残ったのは罪悪感と嫌悪感。
それでも止まらない負の感情を弄ぶのだった。
毎日あった電話も次第に回数が減り、今では途絶えてしまった。時々くるのはメールのみ、しかもアレックスからでカーリンは短い文章で返信するだけである。
彼に悪いとは思っている。意地を張っているのは自分だと気付いている。このままでは気持ちが離れると焦りはするが、どうしていいかわからないまま日々が過ぎていく。
― 訓練生の頃が懐かしいな……。
教官に恋して仲間がいて一つの目標に一心不乱に向かっていって……。
そんな学校時代に思いを馳せていると、携帯電話が鳴った。
『おはよう、カーリン。今、部隊の近くまで来ているんだけど』
今日会う約束をしていたフィリデオからで、部隊まで迎えに来てくれるとのことだ。幸か不幸か、アレックスから電話がなかったので応じたのである。
「わたしもすぐ行くよ。近くのコンビニで待ってて」
電話をバッグに仕舞って部屋を出ようとすると、入れ違いにチェリーがやってきた。
「あら、出掛けるの?」
「うん」
「そう。いってらっしゃい」
チェリーが体を開けて入口を譲ると、カーリンは小さく笑って出ていった。
ロビーにジュースを買いに行ったチェリーは、窓から見えたいるはずもない人物に絶句する。
「教官? どうしたんですか!?」
「カーリンは?」
「え? 今出掛けて……」
てっきり、アレックスと出掛けたと思い込んでいたチェリーは語尾を濁らせた。上目遣いで窺う教え子に彼は「そうか」とため息交じりに呟く。
気まずい空気に気を遣ったのか、彼が言葉を続けた。
「約束はしていなかったし、時間が空いたから来てみたんだが」
時間が空いたからといって、片道三時間の道のりをそう気軽に来れるものではない。
「あの子、頑固だし意地っ張りだから素直になれないだけなんです」
このままはまずいとチェリーがフォローに入ると、アレックスの表情がふわりと崩れた。
「知ってる。カーリンはいい友人を持ったな」
大きな手がチェリーの頭に乗って撫でた。切ない顔をして帰ろうとする彼に向って叫ぶ。
「教官、わたしとデートしませんか?」
意外な申し出に目を丸くした彼だが、やがて口元を綻ばせた。
― 教え子に気を遣わせて教官失格だな。
「セドリックに悪いな」
そう言いつつ二人は笑って車へ乗りこんだ。




