疑惑 その1
人間なんて先のことなど分からない。それは恋人同士とて同じことで、いつどこで愛が疑心に変わってもおかしくない。
そんな青天の霹靂ともいえる出来事に、まさか遭遇するとはカーリンは夢にも思わなかった。
週末、軍人学校の近くで会う約束をしたカーリンは、予定の時間より早く着いたので一足先にファミレスの中で待つことにした。
少し経ったところで、店内へ入ってくるアレックスを発見する。カーリンが振ろうとした手が引っ込めたのは、彼の隣に女性がいたからだ。
艶やかな黒髪、静かに微笑むその横顔。
― なんでカワサキ教官と一緒にいるんだ!?
カーリンは彼等に気付かれないようにこっそり場所を変えて、二人の席からやや離れた場所から観察した。
帽子を目深に被り、二人に視線を外すことなくオレンジジュースを口にする。
どうやら仕事の話らしく、テーブルに置かれたノートパソコンを指差しながら話しこんでいた。だったら、わざわざ人目に付く所でしなくても学校で済ませておけばいい、しばらく様子を窺ったカーリンの感想だ。
これでは訓練生が見たらたちまち誤解されるに違いない。そう思えるほどシノブは綺麗で雰囲気が良すぎた。
学校で会ったときは戦闘服だったが、今日は淡い青のノースリーブと涼しげである。課業中は一つにまとめている髪を下ろしているせいか、より色っぽく見えた。
やがて問題が解決したのか、シノブに笑みがこぼれてアレックスが頬を緩ませる。
有能な二人が、お互いの意図することを分かり合えた瞬間なのだろう。
― やだな。また、心がモヤモヤしてくる……。
隠し事はなしだと言ったアレックスを信じ切れない自分に嫌気が差す。
シノブが店を出ると、アレックスは腕時計に視線を落とした。
待ち合わせまであと十五分。腰を上げてこちらを見た彼に、カーリンは慌てて席を移動しようとすると
ガシャンッ!!
客の注文を取りにきたウェイトレスとぶつかり、トレイとグラスが床に落ちる派手な音が店内に響き渡った。
「ごめんなさい!!」
「お客様、大丈夫ですか?」
客の注目を浴びるなか、ウェイトレスの制止を振り切ってカーリンは破片を拾い始める。すると男性の腕が伸びて片付けに加わったので、そっと上目遣いで窺うとあの精悍な顔があった。
「ミュラー少佐!?」
「おはよう」
「おはようございます」
この二人、いかなる場合でも挨拶は欠かさない。
他の従業員も手伝って片付けが終わると、カーリン達は向かい合った。
「来てたのか?」
「えっ? いえ、今来たところです」
アレックスは先ほどまで座っていたカーリンの席に目を向ける。飲みかけのジュース、溶けかけた氷、グラスの周りは結露で濡れていた。つまり、ずっと前からここにいたことになる。
カーリンが不自然な笑顔なので、アレックスは念のため説明した。
「カワサキ教官からフォーメーションについて相談を受けていた」
多少言い訳じみているが仕方がない。
「朝食、まだだろ? 何にする?」
「まだ決めてなくて」
「モーニングセットでいいか?」
カーリンが頷くと、アレックスが手を挙げてウェイトレスを呼ぶとモーニングセットを二人前注文した。
せっかく気兼ねなく会えるようになったのに、シノブとのツーショットを目撃したせいで水を差された形となった。
まるで、アレックスの浮気現場に居合わせた気分である。とはいえ、腹は減るものでサービスのライス大盛りは問題なく平らげたのだが。
「ミュラー少佐」
「なに?」
カーリンが改まった呼び方をする時は心に何かを秘めている。
「カワサキ教官って美人ですよね」
「まあな」
「頭もいいし気も利きそうだし」
「そうだな」
「訓練生にも人気あるんでしょう?」
「ああ」
質問している間、カーリンは首にかけたネックレスを弄んでいた。
二人はファミレスで朝食を済ませると駐車場へ向かった。車に乗り込んでいざ出発という時だ。
アレックスがキスをしようと助手席に身を乗り出したので、カーリンも応じるつもりで目を閉じると脳裏に一瞬シノブの顔が浮かんだ。
「いやっ!!」
カーリンが力強く押し退けると、驚いた彼は唖然とした様子である。それもそのはず、これまで彼女がキスを拒絶したことがなかったからだ。
カーリンはすぐ「ごめんなさい」と謝ったものの、俯いたままで顔も上げない。
その後二人に気まずい空気が流れて車内では会話らしい会話はなく、帰り際までアレックスはカーリンに触れてはこなかった。
なぜ彼を拒んだのか、原因はまたもや今朝のファミレスにある。
シノブ達がやってくる少し前に、カーリンが待っていると偶然にも後ろの席は女子の訓練生三人組だった。
それぞれスイーツを前に賑やかにおしゃべりするので、その内容は否が応でもカーリンの耳に入ってくる。
「あの教官、すぐ怒鳴るよねえ」
「ほんと、サイテー」
いつの時代にも嫌いな教官の悪口が絶えないと、カーリンは当時を思い出して顔が綻んだ。ミュラー班でも四人集まればそんな話で盛り上がったものだ。
やがて、話題は好きな教官へと替わる。
「やっぱり『トップ4』よね」
― トップ4? ああ、チェリーが言ってたアレか。
教官トップ4。アレックス、ビアンカ、シノブ、セドリックと見た目麗しい彼等を訓練生達の間で呼ばれていた。
自分の恋人がその中に入っているのは、誇らしい反面ここでも人気があるのかと嫉妬する複雑な心境でもある。
「でも、みんな相手がいるみたいよ」
「へえ、そうなんだ」
「ミュラー教官って、恋人がいるって噂よ」
アレックスの名が出てカーリンの心臓はドキッと音を立てた。
― わたしのこと、バレた!?
あれだけ頻繁に会っていればいつかはばれると思っていたが、ついにこの時が来たかと心が落ち着かない。
疚しい恋ではないが元教え子と交際していると学校関係者が知ったら、またアレックスの心証が悪くなるかも知れない。これまでの実績でせっかく周りに認められてきたのにと胸を痛めた。
まるでスパイか逃亡者よろしく、カーリンは帽子を目深に被り息を殺して話の続きを待つ。
「へえ。誰?」
「カーリン=リヒター・ド・ランジェニエール」
とは女子の口から出ず、代わりに出た名前にカーリンの心を貫いた。
「カワサキ教官よ。この間の記者が言ってたもの」
「それ、わたしもミュラー教官との関係をしつこく訊かれたわ」
― カワサキ教官と少佐が恋人ってどういうことだ……?
訓練生だけの噂ならあてにならないが、記者が訊き回っていたといたとなれば根拠があるのだろう。火のない所に煙は立たたないのだ。
背中越しに聞こえてくる女子の声が動揺で遠くに感じる。平静を保とうとジュースに口を付けたが、グラスがわずかに震えていた。
あんなに愛されていると実感しつつも冷静でいられないのは、かつて一度でも二人の仲を疑ったことがあるからに違いない。
女子の会話、シノブを伴っての入店。カーリンの心を乱す条件が整い過ぎた偶然はもはや悪意すら感じた。
遠くの恋人より近くの相談相手
誰かがそんなことを言っていたのを思い出す。軍人同士の恋愛で破局になる原因は、勤務状況によるすれ違いと遠距離と相場は決まっているらしい。
― 全部、当てはまるじゃないか……。
アレックスの隠された想いに気付くほど、カーリンは経験豊かでもないし余裕がなかった。




