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我慢の限界

 アレックスとフィリデオに降りかかった問題を知らず、未だ外出禁止が解かれていないカーリンはご機嫌斜めだ。

「カルマン大尉、お話があります」

「だーめ!!」

「……まだ何も言っていませんけど」

「外出の件だろ? カーリンを閉じ込めとけって、アレックスから厳重注意を受けているんでね」

「少佐と話したんですか!?」

 自分は電話もままならないと言うのに、会話したと涼しげに言ってのけた上官に逆上し

「もう一週間も声を聞いていないんですよ!! わたしには電話するなって言っておいてずるいです!!」

「一週間くらいどうってことないだろ?」

 うんざりした態度がまずかったらしい。カーリンが物凄い形相でランディに食って掛かった。

「毎日欠かずしていたんです。少佐との会話がどれだけ楽しみだったかカルマン大尉なら分かるでしょう!?」

「落ち着け。みんなが見てる」

 他の部下達が注目しているので、彼女の両腕を掴んで引き離す。


 ― まるで、禁断症状だな。まあ、無理もないか。


 がっくりと肩を落としてデスクに向かう部下に、ランディは軽く息を吐いて直通電話に手を伸ばした。

「カルマン大尉だけど、シャトレーズ軍人学校教官室へ繋いで」

 取り次いでいる間にカーリンを手招きして、卓上のメモ用紙に何やら書き始める。

「カルマン大尉です。先日、そちらから依頼された件ですが担当の者と代わります」

「はい」といきなり受話器を渡された。担当も何も一体なんのことやら事情が飲みこめないカーリンは怪訝そうに受け取る。

「お電話代わりました」

 恐る恐る伺う彼女に、あの低く澄んだ声が耳元で木霊した。

「アレックス・ミュラー少佐だ」

 喉から心臓が飛び出すほど驚いて涙が溢れそうになるところに、絶妙なタイミングでランディが先ほどのメモを見せる。


《個人的感情は控えるように》


 こくりと頷いて慌てて涙を引っ込めた。

『担当はリヒター伍長だったのか』

「いえ、あの、はい」

 戸惑っていると、ランディが資料を一部分を指差す。カーリンがアレックスの用件を復唱して、ランディが答えを指示する、この工程を経てようやく会話が成立した。

 やがて、用が済んでいざ電話を切ろうとしたが、久しぶりに聞いた恋人の声が名残惜しい。

『リヒター伍長、元気にしているか?』

 思い掛けない言葉だった。

 ついさっきまで元気がなかったが、今は幸せな気分でいっぱいだ。

「元気です。ミュラー少佐はいかがですか?」

 このくらいは許されるだろうと横を見やると、ランディも頷いてくれた。

『私なら大丈夫だ』

 学校時代からアレックスはいつも言葉少なめで、その分カーリンが余計に喋っている。今でもその構図は変わっていないが、少ないから一言こそ心に染み渡った。

「少佐、逢いたいです」

 気を許せば口からこぼれる台詞を喉の奥へ押し込めた。言ってしまえばランディの気遣いを無駄にするし、アレックスを困らせるのはカーリンでも想像がつく。

 名残惜しくて電話を切らない彼女に、ランディがそっと手を添えて受話器を置いた。

「少しは充電できた?」

 俯く顔を覗きこんだ彼がはっとする。カーリンがポロポロとこぼれる涙を慌てて拭っていたのだ。

「すみません」と廊下へ飛び出す彼女に、逆効果だったとランディは苦い顔をした。

 


 アレックスは通話を終えたあとも、しばらくは受話器を置くことができなかった。彼もまたわずかな余韻に酔いしれる。

 こちらも親友の粋な計らいが仇となり、カーリンへの想いがますます募った。


 ― そろそろ決着をつけないと、俺がもたんな。


 もう一度ジェロニモに会えば、今度こそ冷静でいられるか自信がない。それでも、このまま逃げ回るのも性に合わない。

 覚悟を決めると、携帯電話を片手に教官室を出ていった。


 歩きながらジェロニモの電話番号を検索していると、慌ただしい靴音が後ろから聞こえてきた。振り返ると、シノブが追い掛けてくるので足を止めて待つ。

「何か?」

「この間のカメラマンの件です。他言するなとおっしゃっいましたけど、ご自分で解決なさるつもりですか!?」

 ストライドの広いアレックスに追いつこうと、かなり急いだのかシノブの息が軽く弾んでいた。

「これは私の問題だ」

 きっぱりと言い放つ彼に、シノブは思いを汲んでもらえず唇を噛む。


 ― いつもあなたはそう。自分だけ犠牲になればいいと思ってる……。


 何気なしに下げたシノブの目に、携帯電話の画面が飛びこんだ。そこにジェロニモの電話番号が記されていたので、素早く記憶のメモ帳に書き留める。



 課業後、アレックスは公園にある噴水の前に来ていた。ジェロニモと待ち合わせしたが、約束の時間を過ぎても姿がない。

 腕時計をチラッと見て辺りを見渡したが、それらしき人物はいなかった。すっぽかされたかと諦めかけていたところへ、ジェロニモが木の陰からふらりと現れる。

「約束くらい守ったらどうだ?」

 アレックスの開口一番に、ジェロニモは「私も忙しいんでね」と不服気な顔を向けた。

 彼も多忙らしいが、アレックスも暇ではない。待っている間にも仕事の電話が何回きたことか。

「急に人と会う約束があったですよ。そんなおっかない顔をしないで下さい」

「だったら、連絡をすれば済むだろう」

「誰と会っていたか気になりませんか?」

 いかにも訊いてほしそうな口ぶりなので敢えて誰かと尋ねてやると、ジェロニモは意外な人物の名を挙げた。

「さっき、カワサキって教官があなたのことで話があると呼び出されましてね」

「カワサキ教官が?」

「あなたの恋人は自分だと言い張るんです。そんな取ってつけたような話、もちろん信じちゃいませんがあまりにも真剣なんで」

 

 ― どういうつもりだ……?


 シノブが以前告白して自分への気持ちは知っている。だからといって、軽はずみな言動をとるとは思えない。きっと何か考えがあってのことだろう。

「いずれにせよまだ長い付き合いになりそうなので、今後もよろしく」

 ジェロニモがにやりと笑って握手を求めたが、アレックスがその手を握ることはなかった。


 

 学校へ戻ったアレックスが真っ先に向かったのはシノブの所だった。

 すぐには見つからなかったのでロビーに来るよう電話で伝えると、しばらくして支給されたジャージを着たシノブが現れる。呼び出された理由を察しているのか表情が硬かった。

「あの男と会ったのか?」

 シノブは顔を上げたが、アレックスと目が合うとまたまつ毛を落とす。

「それより、なぜあんな嘘を……」

 長い沈黙に耐えきれなかったのはシノブで、重い口を開いた。

「あの人は、今回のをネタでお二人を強請ろうとしていたんです。だから、あなたに別の恋人がいると分かれば手を引いてくれるんじゃないかと」

 ジェロニモが強請る魂胆はわかっていた。その場しのぎで金を払ったとしても、また理由をつけて要求するに違いない。

 それだけ狡猾な男がどうやって諦めさせるか、考え抜いた答えがこれなのかとアレックスは憮然とした。

「軽率すぎる」

 アレックスの口からこぼれた一言に、大きく見開いたシノブの瞳が次第に潤んだ。その様子にとんでもなく後悔が襲う。

 彼もカーリンを護るため、いざとなればジェロニモを殴り倒そうとまで思い詰めていた。愛する者のために体を張ろうとするシノブをどうして責められようか。

「女の浅知恵だとわかってます!! でも、あなたを救うにはああするしかないと思って」

 彼女が両手で顔を覆ってむせび泣いた。華奢な背中が小刻みに震えるさまはカーリンを彷彿とさせる。

「私のためだったんだな。すまない」

いくら謝っても、言ってしまった言葉は取り返しがつかないし、傷ついた心は元に戻らない。詫びのつもりではないが、彼女を抱き寄せると泣き止むのを待つことにした。


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