思惑
俺達のために悩んで泣いてくれたんだ。このくらいは構わないだろ?
シノブの肩を抱きながら、アレックスはこの場にいない恋人に言い訳する。自分達の問題なのに関係ないシノブまで巻き込んたのだ。打開策も見いだせない不甲斐なさに天を仰ぐ。
ひとしきり泣いて、ようやく目を合わせた奥二重の黒い瞳から涙が消えた。
「軽はずみなことをしてすみませんでした」
方法としては悪くないが、実行するには状況が悪すぎる。第一、カーリンが首を縦に振らないだろう。
「リヒター伍長に申し訳ないと思ってます」
そんなアレックスの心を代弁したように、シノブが小声で呟いた。
「たとえふりでもカーリンを裏切る真似はできない。それに、カワサキ教官にまたつらい思いをさせるのは忍びないからな」
敵の目を欺くとはいえ、告白されて振った相手に恋人役をさせるとはなんとも酷な話だ。シノブは「気にしないで下さい」と笑ってはいるが内心穏やかでないのは事実である。
「身を挺してくれたのにすまない」
「ミュラー教官は謝ってばかりですね」
くすりと笑うシノブの台詞に心臓が音を立てて止まった気がした。
《ミュラー少佐、初めてのキスの時もそうやって謝ってくれましたね》
照れ臭そうに笑うカーリンを思い出して、無性に逢いたい衝動を抑える。もうどのくらい逢っていないだろうか。
巡るましく変わる表情を眺めて、明るく元気な声に癒されて、そのしなやかな肢体を思い切り抱き締めたい。
課業中はいつものようにシノブの補佐をして、課業後は二人でいる時間が多くなった。常にジェロニモの目が光っているので油断はできないと判断してのことだ。
カーリンは裏切れない。だが、ジェロニモの追求は逃れたい。結局シノブの案に甘んじつつある現状に、アレックスは恋人への罪悪感に苛まれた。
そして、今夜もアレックスとシノブは肩を並べて残業をしている。決して意図して二人きりになったわけではない。最初は数人いたはずの教官達が、庶務に没頭していたらいつの間にかシノブしか残っていなかったのだ。
彼女も必要最低限しか話し掛けてこなかったが、誰かに見られたらまたいらぬ噂を立てられる条件は揃っている。
その不安は的中していた。幸運なことに通り掛かったのはセドリックである。忘れ物をして教官室へ行ったら、上官とシノブが二人で身を寄せ合っていた。
注意を促す意味でわざと大きな音を立ててドアを開けると、彼等が顔を上げる。
「お疲れ様です」
「こんな夜遅くどうした?」
「忘れ物です」
シノブがトイレに行くと部屋を出たので、セドリックはコーヒーメーカーへ向かった。二つの紙コップにコーヒーを注ぐと、アレックスに手渡す。
「ミュラー教官こそ、こんな夜遅くカワサキ教官と何しているんですか!?」
「勘ぐるな。残業しているだけだ」
「あのカメラマンもまだいますし、カーリンもナーバスになっているんですからもう少し自重してください」
部下の小言にアレックスは鋭い視線を投げた。いつにも増しての迫力に、セドリックが言葉に詰まった。
チェリーの話だとカーリンも機嫌が悪いらしいが、こちらもかなり限界が近いようだ。
無理もない。
身も心も繋がり絶頂期にいる恋人達が引き裂かれたのだ。しかも、不本意な形で。カーリンとフィリデオはいつでも会えるというのに、当人同士は電話すらままならない。声を聞くに聞いたが、業務連絡のわずか数分間のみだ。
― いわゆる欲求不満……? なんだかんだ言ってミュラー教官もただの男なんだな。
無表情であらゆる問題を解決する無敵の上官に、人間らしさを見つけて思わず顔がにやけた。
「何が可笑しい!?」
またもや鋭く睨むアレックスに、顔を片手を覆ってごまかしたがにやけは止まらない。次第に表情が険しくなるので、セドリックは咳払いをして宥めた。
「カーリンと会う手はずを整えてみますから、ミュラー教官もやけ起こさないで下さいよ」
釘を刺したところでシノブが戻ってきたので、監視がてらセドリックも残業に付き合う羽目となった。
「それで電話が遅くなったわけ?」
チェリーが共同風呂から戻って来るや否や携帯電話が鳴った。相手はセドリックで、本当ならもう少し早い時間に掛けてくる予定だった。
『結局、みっちり残業しちゃったよ』
電話を肩と頬で挟んで化粧水を掌に振り掛けて、毎晩恒例の肌の手入れに取り掛かる。同じ部屋のカーリンはまだ戻ってなかった。
「とんだとばっちりだったわね」
『まったくだよ。ミュラー教官はピリピリしてるし、カワサキ教官は明らかに邪魔者扱いの目だし』
「そのことなんだけど、教官何か言ってなかった?」
『というと?』
「ジェロニモってカメラマン、話が違うだの当てが外れただの文句こぼしたってキャロラインさんが言ってたわ」
ここで、セドリックが一息ついたのかジュースを飲む音が聞こえる。
「キャロラインさんの話なんだけど」と前置きして、チェリーは続けた。
ジェロニモの狙いは単なるスキャンダルではなかった。著名人の不利益なネタをもとに金銭を強請るという犯罪まがいの行為を繰り返している。
ジャーナリストの風上にもおけないとキャロラインは憤慨していたが、フリーの者では珍しくないとも納得していた。
元々執念深い性格なので、一度取材対象になったら逃れられない。彼の要求は一回きりでしかも多額だ。現在の地位と名誉を失うよりは、と応じる者は少なくない。
最近は標的に恵まれず物色しているところへ、思わず事件がきっかけとなった。刃物を振り回す薬物中毒者を見事取り押さえたのがカーリンで、しかも一緒にいたのが若手で注目株の参事官だった。
これ幸いと飛びついたのは言うまでもない。
そして、取材を進めていくなか興味深い情報を得た。カーリンとフィリデオは婚約者だが、実は彼女には既に交際している相手がいる。辿り着いたのが『フラッツェルンの英雄』と呼ばれたアレックスだ。
強請れる相手が二人も増えたとほくそ笑んだが、フィリデオにふられたので矛先をアレックスに向けたのである。
教官と教え子の関係から深い仲へ。しかも、フィリデオと三角関係にあるとなれば嫌でもそそられる。
だが、そんな彼にも実は恋人がいて二組のカップルが成立していたというのだ。これではただの恋愛で終わってしまう。
しかも、その恋人は部下の女教官が一方的に言い出したので、上官を庇っての行動だと睨んで学校に張り付いているというわけだ。
「カワサキ教官、ミュラー教官が好きだから一生懸命なのね」
片想いを経験しているチェリーには、シノブの気持ちがよく分かるだけにどこか憎めない。
『だけど、カーリンはどうなんだよ?』
「正直、いい手だと思うな。あいつが諦めるまで、ずっとじゃないわ」
納得できないのか、電話の向こう側でセドリックが低く唸った。
『それなら尚更、カーリンにも事情を説明した方がいいんじゃないのか? 知ったら傷つくぞ』
「あの子、隠し事できないからバレたら水の泡よ。だから、教官も敢えて言ってないのよ」
アレックスは誰よりもカーリンを想っている。教官の頃も今も、そしてこれからも。教え子だった半年間、近くで見ていて嫌というほど感じていた。
彼女を護るためなら自分を犠牲にしてもかまわない。命懸けの覚悟を鈍感なカーリンが察しきれるか一抹の不安はあるが、俗っぽい言い方をすれば二人の愛に賭けるしかない。
「でも、もしもの場合は修羅場になるから覚悟はしておいてね」
不吉な予言を残してチェリーは言葉を切った。




