駆け引き その2
「言っておくけど」とフィリデオが真っ直ぐ見つめる。
「ミュラー少佐を嗅ぎまわるのは勝手だけど、カーリンを巻き込むのだけはやめてくれないか」
先ほどの柔和な態度から一転、殺気立った鋭い眼差しにジェロニモの顔から薄笑いが消えた。これ以上カーリンに関わるなら容赦しないそんな目だ。
フォン・メレンドルフ家の力をもってすれば、一人の人間の存在を消すくらい容易い。華やかな表社会の裏で蠢く闇の部分をジェロニモはまだ知らなかった。
「ひょっとして、このネタで僕を強請ろうなんて考えていないよね?」
「ま、まさか」とどもる彼に図星だったと確信する。蔑むグリーンの瞳に、罰悪くなったジェロニモは視線を逸らした。
「そんなに知りたければ、本人から直接訊けばいい」
アレックスに差し向けるよう振っておいて、フィリデオは吐き捨てて席を立つ。カーリンよりアレックスなら冷静にこの男をあしらうだろう。
フィリデオを相手するには、後ろ盾が巨大すぎる。ジェロニモは彼から手を引こうと思った。
カーリンへの接触を試みたが、フィリデオから釘を刺されたばかりなのである。ならばと、もう一人のターゲットへ矛先を変えた。
ジェロニモの姿は、シャトレーズ軍人学校から少し離れた喫茶店にあった。コーヒーだけで、二時間近く粘る客にウエイトレスもうんざりしている。
アレックスに訊けと言っても、軍の方がガードは堅い。一般人がウロウロしていい場所ではなく、正式にアポをとらなければならない。そもそも、容姿といい職業といいジェロニモのような男に許可が下りるはずもない。
だから、関係者が出てくるのを根気よく待つしかなかった。張り込みも仕事の内だ。
すると、一人の女性が門から出てきた。ジェロニモは黒髪の美女に見覚えがあったので、急いで会計を済ませると喫茶店を飛び出す。
「カワサキ中尉!!」
名前を呼ばれてシノブが振り向いた。
「カワサキ・シノブ中尉ですよね?」
怪訝そうに見つめるシノブに、警戒心を煽らぬよう愛想笑いで近づく。
「あなたは?」
「怪しい者じゃないと言っても、突然声を掛けてはびっくりしますよね」
首に掛けているカメラを見せると、シノブの顔色がさっと変わった。
「何もお話しすることはありません」
「手間は取らせませんから」
拒むシノブと強引に話を聞き出すジェロニモが押し問答していると、「何をしている」と低く鋭い声に二人の肩が跳ねた。
「ミュラー教官」
シノブの安堵した声に、ジェロニモはまじまじと長身の男を見やる。
― これがアレックス・ミュラー!?
彼自身、間近で会うのは初めてだった。何度もファインダー越しには見ていたが、こうして立っているだけで圧倒される迫力に気後れする。
柔和なフィリデオとは正反対のタイプで、精悍で凛々しい姿につい見惚れてしまった。そんな彼を一瞥したアレックスは、二人の間に体を割り込ませてシノブを自身の背で隠す。
「初めまして。私の方は何度もあなたを拝見してますがね」
「私に用らしいな」
「さすが、お察しがいい」
アレックスはシノブに「他言するな」と念を押してこの場から離れるよう促した。今回の記事を書いたジェロニモと話ができる、彼にとってもまたとない機会である。
シノブが学校へ引き返したのを見届けるとアレックスが向き直った。
「言っておくが、私から話すことはない」
先制するとジェロニモが大袈裟に肩を竦める。
「参事官からあなたに直接訊けと言われましてね」
アレックスは何も答えず、ただ上から冷淡なグレーの瞳で見下ろした。フィリデオが振ってきただけあって、毅然とした態度に隙がない。
フィリデオはのらりくらりとかわすのが得意だが、いかにも堅そうな相手は単刀直入に限る。
ジェロニモは軽く息を吐いて、本題を切り出した。
「カーリン=リヒター・ド・ランジェニエールと付き合っているのはあなたですよね?」
表情を崩さないで微動だにしないアレックスに、ジェロニモは感心する。
「参事官が駄目なら今度は元教官の私というわけか」
わずかな動揺も見抜かれないように平然と振る舞ったが、実はカーリンの名前が出た瞬間心臓が凍りついた。
二人の関係を隠すつもりはないが、今は時期が悪い。それに、人の事情などお構いなしの男に騒がれて傷つくのはカーリンだ。
だからこそ、フィリデオがこのカメラマンをこちらへ差し向けたのだろう。
「正式な婚約ではないと参事官はおっしゃってました。リヒター嬢から報告は?」
「なぜ私に?」
質問を質問で返すアレックスに、一筋縄ではいかぬ連中だとジェロニモが顔を顰めた。
やっとターゲットが目の前に現れて、これを逃したら二度と巡り合えない機会だと焦った彼がフィリデオを誘い出したあの切り札を出す。
「ご存知ではなかったみたいですね。では、リヒター嬢に会って真偽のほどを……」
「やめろ」
咄嗟に口にしたアレックスが初めて表情を崩した。
「教え子に手を出すな」
静かな口調だが怒りが窺える彼に、キャロラインとのやり取りが蘇る。
「何を考えているか知らないけど、この件はかき回さない方がいいわよ」
「お抱えのお前とは違って、こっちは生活が掛かっているんだよ」
キャロラインは、女性の記者の中でかなり際どい線をいっているとジェロニモも一目置いていた。
だが、雑誌の編集者でもある彼女は安定した収入が約束されているが、ジェロニモはスクープをものにしてなんぼの生活を送っている。
当たれば大金が舞いこむが特ダネがなければ死活問題、一攫千金の世界ではあるが彼は嫌いではない。
それ故にネタを利用して恐喝まがいの行為に身を落としていた。
「そういえば、お前もあの娘を狙っていた時期があったな。なぜ、手を引いた?」
「私の目指すものとは違ったと言えば納得するかしら」
ジェロニモはにやりと笑う。
「あいつに惚れたか?」
「想像に任せるわ。仲間のよしみで忠告したまでよ。怒らせたら怖いのは事実だから」
「邪な考えは命取りよ」と言い残して、キャロラインは自分の現場へと戻って行った。
「手を出したらどうなりますか?」
「容赦しないぞ。軍人生命を掛けてもだ」
「脅迫ととられても仕方がない台詞ですね」
ジェロニモは上着の内ポケットを開けて、さりげなくボイスレコーダーをちらつかせる。
「そちらも命を張っているなら、それに応えるのが礼儀だと思うが」
― 物騒な物言いだな。女に会えず欲求不満か。
アレックスの拳がぎゅっと硬くなったのを見て、今回は潮時だと感じた。自己犠牲も辞さない二人が護るべき者はカーリンだと分かっただけでも収穫だ。
「今日のところは大人しく帰ります」
「リヒター伍長と会わないと約束してくれ」
「私もまだ命が欲しいんで会いませんよ。その代り、話がある時はミュラー少佐をお呼びしてもいいってことですかね?」
しばらく間が空いてアレックスが頷いた。ジェロニモがメモ用紙とペンを差し出すと、携帯電話の番号を書いて渡す。
「課業以外なら受けられる」
「助かります」
無表情のアレックスと勝ち誇った笑みのジェロニモ。
本人から個人情報を得た時点で後者が主導権を握ったのだ。それはアレックスも承知の上だが、カーリンを護るためにはこうするしかない。フィリデオに突き返してもいいが、この男の身に危険が及ぶかもしれない。
自業自得といえばそれまでが、もし彼に何かあったら夢見が悪い。
― 俺も随分と甘くなったものだ。
カーリンとの恋愛が大きく影響していると苦笑した。




