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雨に流される感情 その3

 突然の豪雨で急きょ合同訓練は中止になり、そのまま一日の課業は終了となった。ほとんどの工程を終えていたのは幸いだったかも知れない。

 訓練生達は宿舎へ雪崩れ込むと、びしょ濡れの服を脱ぎ捨て一斉に浴室へと向かった。それが済むと、泥まみれの服の洗濯と水浸しになった床の清掃に追われる。

 教官達もシャワーを浴びたのち、再び教官室での庶務に追われた。

 予備の戦闘服に着替えたアレックスは、向かいのシノブの席に視線を移したが彼女はまだ来ていない。

「カワサキ教官は?」

「さっき見たからもうすぐ来ると思うわ」

 一足先に支度を済ませたビアンカが教えてくれた。

 濡れたまま立ち尽くしていたのではないか、着替えをせず体調を崩しはしないか。最後まで見届けなかったのを、あとになってひどく後悔していたのだ。

 あのとき、瞳から溢れる雫が黒髪から滴る雨なのか涙なのかは区別がつかない。知るのが怖くてむせび泣く彼女に振り返らなかった。

 

 わたしはあなたを愛しています

 

 未だに耳から離れない叫びにも似た声。

 カーリンを愛しているのに、シノブに心が揺らいでいる。同情、猜疑、困惑……いづれも違う気がした。

 やがて、まだ髪が乾ききっていないシノブが現れて席に着く。こちらを窺う気配に、アレックスは一瞥もせず仕事に取り掛かった。

 シノブの告白は聞かなかったことにして感情のスイッチを切って接する、それが彼が出した答えだ。

 訓練生のカーリンを突き放した時と同じように。

 そんな彼の心情を感じたのか、シノブはアレックスに話し掛けることはしなかった。


 

 長かった一日が終わり、部屋に戻ったアレックスは冷蔵庫から缶ビールを取り出した。気が向いたら飲んでいたが、ここ最近回数が増えてきている。

 先ほどまで巡るましく事が進み、いざ冷静になってみると問題は山積みだ。


 ― カワサキ教官に告白されたと知ったら、カーリンは怒るかもな。


 怒って済むならいくらでも甘んじて受けるが泣かれたら困る、などと暢気に考えていたらその本人からの電話に体全体が跳ねる。

『こんばんは。そちらはすごい豪雨だそうですね』

「お陰でずぶ濡れだ」

 意外と平然と答える自分に呆れた。

『こっちも朝から雨で……』

「カーリン」

 アレックスが彼女の言葉を遮る。

「やっぱり来週逢おう」

『わたしはいいですけど、少佐は大丈夫ですか?』

「有能な部下に押しつければ万事解決だ」

『またチェリーにどやされます』と電話の向こうでカーリンが笑った。彼女の明るい声が疲れた体に沁み渡っていく。

 心が揺れたのは、やはり恋人が傍にいないせいだろうか。

 隠し事はしないと約束した手前、廊下での出来事を話そうかどうか悩んでいたら間が空いた。

『何かありました?』

 一瞬心臓が跳ねたが「まあ、色々」と曖昧に答えておく。おおかた嘘ではないと弁解しながら。

『わたしでよければ相談してくださいね』

 隠し通す自信はあったのに、カーリンの語尾に不安の色が残っている。気まずい空気を変えようと話題を変えた。

「どこへ行きたい?」

『この前行ったケーキ屋さん、新作が出たんですよ。そんなに甘くないから少佐も挑戦してくださいね』

 楽しげに話す恋人にアレックスも頬を緩ませる。やはり恋愛はこうでなくては。

「ケーキ屋もいいが、カーリンも抱きたい」

 これまで弾んでいた会話がはたと止まった。湯気が出そうなほど真っ赤な顔をした彼女が目に浮かぶ。

『ケーキとわたしを一緒にしないで下さい!!』

 カーリンがピシャリと言い放つ。彼女とのやり取りが楽しくて、つい調子に乗り機嫌を損ねたようだ。


 

 あれから、シノブの態度に大きな変化はなくいつもと変わらない。どうやら、補佐役のアレックスを選んだようで内心ほっとした。

 慰霊祭の件もあったので、気持ちが高揚していたのかも知れない。賢明な彼女だから、自分が置かれている立場を理解したのだろう。

「明日の模擬戦の意気込みは?」

 インタビュアーよろしく尋ねるビアンカにアレックスは手を止めた。

「明日だったか」

「ちょっと、しっかりしてよ。らしくないわね」

 色恋沙汰ですっかり忘れていたと反省する。気は重いが確認のためシノブに首を廻らせた。

「フォーメーションはどうなっている?」

 シノブと目を合わせたのは実に久しぶりだ。

「今のままで様子を見ます。バルバート班の出方で試したいことがありますので、意見を窺ってもよろしいでしょうか?」

 やはり加勢するのかと睨むビアンカを尻目に、アレックスはシノブのデスクに向かう。腰を屈めてパソコンの画面を見る彼が幾つかの問題点を指摘した。

 低い声と太く長い指がシノブの聴覚と視覚を邪魔して集中できずにいる。


 ― しっかりしなさい、シノブ。あなたが選んだ結果でしょう?


 アレックスに迫られた選択、恋愛感情を伏せて彼の傍にいるか、気持ちを押し通して彼の元を離れるか。

 カーリンには勝てない。だからといってアレックスを失いたくない。

 シノブが選んだ答えは前者だった。

「……の方がいいかも知れんな」

 我に返ると、説明はほぼ終わっていた。

「あの」

 聞いていないのを見透かされたのか、また同じところを彼が説明する。恐縮しながらそれを聞くシノブ。

「やりづらいか?」

 ぼそりと尋ねるアレックスの視線はパソコンの画面に向いたままだ。

「いいえ」

 作戦のことか二人の関係なのか定かではないが、両者に当てはまる返事だと思う。

「はい、ここまで」

 ビアンカが二人の間に割って入った。

「言っておくけど、去年と一緒だと思わないでよ」

「それは楽しみだ」

 少しも楽しみにしていない口調にビアンカがシノブに耳打ちした。

「相変わらず食えない男ね」

「そうですね」

 答えに違和感があったのか「あなた達、何かあった?」と鋭い指摘がシノブの鼓動を早くさせる。

「どうしてですか?」

「ん? なんとなくね。気にしないで」

 その勘が侮れないのだ。誰よりもアレックスを知っているし、同性同士でピンとくるものがあったに違いない。

「明日はお互い頑張りましょうね」

 にこやかな笑顔でビアンカがシノブの元を離れた。



 全訓練生を相手の講義を終えたアレックスが廊下を歩いていると、脇から強引に連れ込む者がいた。

「ビアンカ!?」

「ちょっと顔貸して」

「物騒な物言いだな。タイマン勝負でも挑むつもりか?」

 そのくらいビアンカの形相は険しい。

 腕を掴まれてグイグイと奥へと連れていかれるので、本当にやるつもりかとアレックスは眉を顰めた。

 やっと足が止まり、ビアンカが振り向いて腕を組む。

「あなたとカワサキ教官、何かあった?」

「何故そう思う?」

「ほら。そうやって訊くところが怪しいのよ。彼女も同じことを言っていたわ」

 相変わらず勘が鋭いとアレックスは苦笑した。教官職より諜報員の方が向いているのではないか。

「距離を取れと言ったのはお前達だぞ」

「今頃?」

 探るブラウンの瞳に心の奥まで覗かれる不快感に、たまらず両手を上げて降参する。

「告白された」

「いつ?」

「合同訓練があった日だ」

 昨日今日の出来事にビアンカは盛大なため息をついた。

「それで?」

「私にはカーリンがいるし、訓練生に迷惑はかけられない」

「だから、彼女は感情を押し殺してあなたに従うしかない」

 みなまで言わずとも、同期の女教官は全てお見通しのようだ。

「罪作りな男だと呆れているだろうな」

「自覚しているなら世話ないわ」

 肩を竦める彼女に、アレックスはふうと息を吐いて天井を見上げた。


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