雨に流される感情 その2
この日は朝から厚い雲に覆われてすっきりしない天候だが、先延ばしにしていた合同訓練を行うことになった。長引く雨のせいで予定がかなりずれこみ、これ以上は譲れない状況になっていたからである。
雨に遭わず無事終了するのかと、訓練生達も不安げに空を見上げながら運動場へ整列した。だが彼等の前に、表情を引き締めた教官達が横一列で並んでいる光景に緊張感が走る。
「これより合同訓練を実施する」
フレッド主任の号令がかかると、一斉に敬礼して威勢のいい掛け声とともに全員が動き出した。
午前中、教練や歩行訓練など基本的な動作を終えて昼食となった。
アレックス、ビアンカ、シノブ、セドリックと『教官トップ4』の面々が、食堂で午後の流れを確認しながら食事をとっている。
「どうにか午前中はもってくれたわね」
ほっとした顔でビアンカが言うとセドリックも頷いた。
「問題は午後ですね。天気予報では昼過ぎから大雨になるみたいですよ」
三人の視線は自然にアレックスに集まったので、食事する手を止めて見渡す。
「雷雨は危険だが、この際悪天候での訓練も経験した方がいいかも知れん」
「これは私個人の意見だがな」と付け加えて、またフォークを動かし始めた。
「そうね。ここは軍人を育てる学校であって民間と違う。いざとなったらどんな条件でも戦わなければならない。たとえ嵐でも……でしょ?」
ビアンカがフラッツェルン紛争のことを言っているのだと、セドリックは内心ヒヤヒヤしていた。上目遣いで当事者を窺うと、アレックスは「ああ」と返事して平然と食べ続けている。
こういう深い所をズバリとつっこめる辺りが同期の誼と言うべきかビアンカ個人の凄さと言うべきか。
「ところで、カワサキ教官は明後日の訓練はどうなっているの?」
ここまで黙っているシノブにビアンカが話を振った。
「室内のキャンセル待ちです。出遅れたので予約がとれませんでした」
「だったら、わたしの班と模擬戦しない?」
突然の申し出に、シノブは判断をあおぐため見やるとアレックスが軽く頷く。
「自分の班のレベルを測るいい機会だ。謹んで受けてやれ」
「あなたのご指導は遠慮願える? いくらカワサキ教官が不慣れでも、二人がかりはフェアじゃないわ」
「どんな条件でも戦わなくてはならないと言っていたのはお前だぞ、バルバート教官」
口角を上げるアレックスに、ビアンカはむくれて「嫌なやつ」と毒づいた。そんな二人のやり取りにまだ慣れないセドリックとシノブは居心地が悪い。
― 俺もカーリン達とこんな風になっていくのか? 末恐ろしいな。
殺伐とした食事も済むと、アレックスは他の教官に呼ばれて三人より先に席を立った。
「ミュラー教官、一息つく暇もないですね」
「それだけ有能なのよ。ドSだけどね」
先ほどの会話をまだ根に持っているのか、ビアンカが不機嫌に水を飲み干す。
「ドSなんですか?」
食いつくところはそこかとシノブは遠い目をしたが、反対に目を輝かすセドリックは身を乗り出した。
「見たでしょ? あの不敵な笑い。優しくしておいて突き放す、また逆も然り。これで落ちない女はいないわ」
それからのビアンカは、ずるいだの卑怯だの悪口のオンパレードとなる。それだけ長い時間、アレックス一人を見ていた証拠なのだとシノブは感じた。
午後からの訓練も順調にこなして、あと一時間で終了という頃だった。ポツポツと雨が落ちてきたと思ったら、突然バケツをひっくり返したような豪雨が全員を襲った。
遠い位置から雷も鳴り始めたので、すぐに中断して各教官が校舎へ訓練生を誘導する。次第に近くなる雷鳴に、悲鳴をあげる者まで出てきて場はますます混乱していった。
辺りが騒然とするなか、シノブが一人の男子に肩を貸しながらこちらへ歩いてくるのを見つけたアレックスが駆け寄る。
「どうした」
「泥で滑って足を捻ったみたいです」
アレックスは素早く男子を背中に背負うと医務室へ駆け出したので、シノブも手で雨を遮りながら後を追った。
幸いにも男子は骨に異常はなく軽い捻挫だと診断された。ほっとした教官二人は医務室を出ると着替えをするために自分の部屋へ戻っていく。
廊下を歩いていると、窓ガラスが揺れるほどの雷鳴にシノブは悲鳴を上げるとその場にしゃがみこんだ。
廊下の照明が一斉に消えて、やがて常夜灯へ切り替わったので停電の原因が落雷によるものと知る。
「じきに復旧する」
彼女の前に膝をついて、冷静に状況を説明するアレックスに動揺はなかった。シノブがそっと顔を上げると、ほのかにオレンジ色に照らされた彼の精悍な顔が間近にある。
彼に対してなのか雷に対してなのか、とにかく激しく波打つ鼓動に手を添えて落ち着かせた。
「大丈夫だ」
子どもを宥めるような穏やかな声色に、シノブの頬が緩みかけたその時また雷鳴が轟く。
「きゃあぁっ!!」
恐怖で頭が真っ白になり、気が付けば咄嗟にアレックスの胸に飛び込んでいた。
雨で濡れたせいか、戦闘服を通して互いの体温が感じ取れる距離にシノブの心が音を立てて弾けた。体を離そうとするアレックスに、背中に回した腕に力を込める。
「カワサキ教官?」
想いを告げるなら今だと思った。想い人の胸の中にいるこの時だと……。
「ミュラー教官、わたしはあなたが……」
「カワサキ教官」
勇気を振り絞って告白しようとするシノブに、彼の低い声が被せてくる。わずかに体を離して見上げるシノブと視線が絡み合った。
潤んだ黒い瞳、上気した頬、すがるように掴む手……。自分に想いを寄せていた訓練生のカーリンと重なり、このあとに続くシノブの台詞が予想できたので制した。
「それ以上言えば、私は君の補佐役でいられなくなる」
つまり、恋愛感情を抱けば補佐役は続けられない。告白をして気まずさをとるか、口を噤んで今の関係を保つか、まさに究極の選択を突き立てられた気がした。
動揺して揺れる瞳のシノブを前にして、アレックスは我ながら卑怯な選択だと自嘲する。しかし、こうでもしなければ彼女は踏ん切りがつかない。
「君は優秀だ。訓練生のために私はやれるだけのことはする」
「あなたはいつも訓練生ばかり。わたしを一人の女と見てくれない!!」
苛立ちからか、シノブの口調が荒くなった。
「私にはカーリンがいる」
「彼女には婚約者がいます。それでも平気なんですか!?」
なぜフィリデオの存在を知っているのかと目を見開くアレックスに、シノブは静かに見つめた。
「わたし、待ちます」
「待つだけ無駄だ」
アレックスは冷たく言い放つ。いつになったら振り向いてくれるのか、途方もない相手を待つつらさは、ビアンカで充分身に沁みているからだ。
「早く着替えた方がいい。風邪をひくぞ」
先に立ち上がって背を向けるアレックスに、シノブはありったけの声で叫ぶ。
「わたしはあなたを愛しています!!」
その声はしんとした廊下に木霊して、一瞬彼の足が止まったが振り返ることなく歩き出した。アレックスの耳に届いたかは分からない。
シノブの嗚咽は轟音にかき消された。
背中でシノブの告白を流したアレックスは苦渋で顔が歪んだ。
親身な態度が彼女を勘違いさせたのか、共に戦った兄の面影を重ねたのか。いづれにせよ、また身近な者を傷つける結果に唇をきつく噛む。
シノブは禁断の告白を口にした。ならば、アレックスも答えなければならない。答えをとうに出ている。
― 将来のことなど誰にも分からない。今はカーリンだけを愛してる。




