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鎮魂歌《レクイエム》 その2

 ランディから聞かされた真実は、カーリンの心に深い哀しみの影を落とした。

 無論、親友が唯一愛したカーリンを傷つけたくて語ったわけではない。恐らく、アレックスは彼女に当時の胸の内は話さないだろう。

 言っても理解しないから……ではなく、もうこれ以上誰かが傷つくのを見たくないから。


 

 カーリンは沈んだ気持ちを悟られぬよう、携帯電話を手にした。

「こんばんは、少佐。元気ですか?』

『カーリンに逢えないから淋しいよ』

 いつにない感傷的な台詞に、カーリンは胸が痛い。こんな夜こそ一緒に過ごしてやりたいのに、それすら叶わない状況がもどかしかった。

 電話でするはずもない酒の匂いがして、カーリンはそっと尋ねる。

「お酒、飲んでいるんですか?」

『少し』

「一人で?」

『ああ』

 お互い短い言葉で心を繋ぐ。だから、余計に存在を身近に感じられた。

 やがて、ベッドの軋む音で彼が寝て話しているのだと知るとカーリンもベッドに寝転ぶ。こうして、行動を共用して同じ空間を過ごす感覚に酔いしれた。

「わたし、今度そちらへ行くことになりました」

 言うか否か迷ったが黙っているのもわざとらしく思えて、口にするとアレックスの吐息が聞こえる。

『また迷惑掛けるな』


 去年は訓練生として参列していたが、式が終了した直後にアレックスがある一人の教官に殴りかかったのは記憶に新しい。

 普段は冷静な彼が何故そんな暴挙に出たのか。

 殴りかかったのはフラッツェルン紛争で逃亡した指揮官の親戚だった。英雄扱いされるアレックスを逆恨みして、親友に対しての暴言に彼が憤慨したのである。

 頬を強張らせてまさに殴らんとアレックスを止めたのがカーリンだった。

 

  わたし達には、もうミュラー教官しかいないんです!! 


 彼が教官を辞めれば自分達の班に後任はこない。そう叫んで、振り上げた彼の左腕にすがったのだった。

  

「あの頃のわたしはミュラー教官に迷惑ばかり掛けていました。今もそうだけど、一度くらいはわたしに迷惑かけて下さい」

『俺は迷惑だと感じたことはなかったよ。むしろ、もっと頼ってほしいと思っていたくらいだ』

「だったら、そのとき言ってくれればよかったのに」

 少し拗ねた口調にアレックスが小さく笑っている。

『こんなこと教え子に言えるか』

 偶然にも、二人同時に寝返りを打って窓の外を見ていた。

「少佐、月が綺麗ですよ」

『ああ』

 カーリンはそこから見える月に手を伸ばすと、アレックスが指を絡めてくる錯覚に目を細める。きっと、彼も同じようにそれに手を翳しているに違いない。


 ― もうすぐ逢いに行きます。だから、そんなに切ない声をしないで。


 見えないからこそ触れられないからこそ、繋がる想いがあるのだとカーリンは信じたかった。



 

 慰霊祭当日、会場となる学校は朝から慌ただしかった。特に今回は部隊と合同で行うので準備に余念がない。

 この式典の主役でもあるアレックスは、主任のフレッドから式の進行について打ち合わせをしているとふとある項目が気になった。

「主任、このスピーチはどなたが?」

 先日まで予定になかったので尋ねてみると、意外な答えが返ってくる。

「カワサキ中尉だ。彼女の兄は小隊長として出征していたらしいな」

 思い掛けない人選だった。

 平和を願うスピーチはかねてからアレックスが頼まれていたが、語る資格はないと断り続けていたのだ。それがシノブへ白羽の矢が立つとは思いもしなかった彼の顔に緊張が走る。

「彼女は承諾したのですか?」

「ああ」

「その件、少し待って頂けますか」

 そう言うと、呼び止めるフレッドに見向きもせずアレックスは足早に立ち去った。


 廊下で待機していたシノブの元に、険しい表情のアレックスが一直線に歩いてくる。

「カワサキ教官、話がある」

 細い腕を掴んで人気がない場所までやってくると、アレックスが正面を向かせた。

「スピーチをするというのは本当か?」

「はい。教育部長から頼まれました」

 シノブは突然のことで面食らっているのかたどたどしく答える。

「なぜ、私に言わなかった!?」

 なぜと言われても実際に指揮を執っていた本人にどうして相談出来ようか。シノブが断れば、アレックスに依頼される。それだけは避けたい一心で引き受けたことなど知る由もない彼は語尾を強めた。

「教育部長には私から説明しておく。だから、カワサキ教官は今すぐ断れ」

 遺族の声を皆に届けるのも大切だが、その都度深い傷が更に抉られる痛みに耐えなければならない。むごたらしい兄の最期を見届けているシノブにとって、記憶を呼び起こして言葉を綴る苦しさは他の者に理解し難いのだ。

「大丈夫です」と気丈に笑ってみせる彼女が不憫でたまらない。

「しかし……」

「原稿通りに読めば動揺しません。そんなに頼りないですか?」

 静かに、しかし強い口調にアレックスの方が折れた。

「無理だと思ったらいつでも言いなさい。約束してくれ」

 命令ではなく約束と言ってくれる彼の優しさが、自分だけと錯覚するほどシノブの心に深く響く。

 今の状況で不謹慎だが、胸の奥に秘めていた想いがつい口からこぼれそうになるが、他の教官が呼びに来たので思い留まった。

「行こうか」と促すアレックスの横に並んで、シノブは会場へと歩いていく。



 会場の舞台そででは既にランディが待っていた。

 礼服の二人は、言葉を交わすことなく互いに一瞥するのみである。たとえプライベートでは親友でも、軍にいる間は大尉と少佐の差は著しい。

 もちろん、カーリンの居場所を聞くことなどはしない。

 定刻になり、厳かな雰囲気で慰霊祭が行われた。白い花で彩られた祭壇に全員で黙とうを捧げると、司会の軍人が進行する。

 舞台そでで出番を待つアレックスは硬い表情だ。時々、ランディと短く会話して相槌を打つ、そんな仕草をシノブは近くで眺めていた。


 シノブが彼を慕い始めたのは、ユウヤの墓標で涙を流す光景が最初ではない。

 士官学校を入学したばかりのシノブは、兄達が帰還したと知って部隊まで出迎えた。出征時より少ない軍人の群れから必死に兄の姿を捜したが見当たらない。

 規律正しいとは無縁な覇気のない全身血と泥にまみれた男達に絶句した。

 生存者名簿を読み漁り『サカキ・ユウヤ』の名を見つけて心から安堵したのも束の間、軍病院からの知らせで駆けつけた時にはあまりの惨たらしさに息を飲む。

 寝間着から覗いている部分は血が滲んだ包帯で覆われて、家族が傍に来るとユウヤは力なく笑って出迎えた。

 五体満足とは言えない状態ではあったが、それでも声と姿が確認できただけでも皆神に感謝する。

 ベッドの中で息も絶え絶えによく語ってくれたのは、指揮官代行のアレックス・ミュラー少尉とランディ・カルマン少尉の話だった。

 

 アレックス達がいたから俺はこうして生きて家族に会えた。

 ただが少尉の分際で指揮を執るなんて有り得ないことくらい、お前も軍人なら分かるだろう?

 責任重大って問題じゃない。上官でさえ逃げたのに、あいつ等はやってのけたんだ。

 もちろん、すべてが正義じゃないさ。

 それでも生きている人間を見捨てるのと死ぬはずの人間を救うのと、どちらが難しいか判断が付かない連中がいるとしたらアレックス達が浮かばれないよ。


 それから三日後、ユウヤは還らぬ人となった。

 妹に看取られてひっそりと病院のベッドで息を引き取った彼と対照的に、アレックスとカルマンは英雄として華々しく取り上げられている。

 彼等を誹謗中傷する者もいたが、シノブは兄の言葉を信じて今日まできたのだった。そして、実際に会ってやはり信じてよかったと思えた。

 

 


 

 



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