鎮魂歌《レクイエム》 その3
粛々と進行して、もうすぐシノブの番が近づいてきた。
ほんの三分程度のスピーチだから大丈夫だと思っていたが、兄の最期が脳裏に蘇り突然体が硬直する。
足が震えて脂汗がとめどなく背筋に流れた。心臓が激しく脈打ち息が苦しい。吸い込む息を吐き出す息のリズムが崩れて呼吸困難に陥いると次第に意識が遠のいた。
シノブの異変に気づいたアレックスが肩に手を置いて顔を覗きこむ。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
振り向くシノブは既に目の焦点が合っておらず息遣いが荒かった。
「落ち着け。私が分かるか!?」
シノブの両肩を掴んでこちらを向かせると、モスグリーンの礼服が出征式で見せた兄と重なり、やがて黒い瞳がアレックスを捉える。
「ミュラー……教官?」
浅い呼吸を続けていたせいか脳に酸素がいかず、意識が途絶えて倒れる寸前でアレックスが受け止めた。
「カワサキ教官!!」
腕の中でぐったりとする彼女の頬を数回叩いだが反応がない。アレックスは、シノブの膝と脇に腕を差し入れて抱き上げた。
「カルマン大尉、あとを頼む」
「了解。任せろ」
騒ぎを聞きつけて集まってくる関係者をかき分けて、アレックスは医務室へと向かった。
シノブが行う予定だったスピーチはランディが代行して、慰霊祭はさしたる混乱もなく閉幕した。
アレックスはあれからずっとシノブの傍で見守っている。やはり、止めるべきだったと自責の念が胸に押し寄せて彼女から離れられないでいた。
組んだ指に額を乗せて俯く彼に何かが触れてきたので顔を向けると、シノブがそっと手を伸ばしていた。
「気が付いたか」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。慰霊祭は……」
「カルマン大尉に任せてきた。私より上手くやってくれたよ」
シノブが小さく笑ったので、つられて頬を緩ますアレックスだがすぐ真剣な表情に戻る。
「すまない」
「どうして謝るんですか?」
「カワサキ教官ばかりにつらい思いをさせたな」
「そんなこと、おっしゃらないで下さい。自分で決めたんですから」
それでも納得していない様子に、シノブはベッドに置かれた上官の手に自分のそれを重ねた。
シノブが倒れたと聞いて、カーリンは医務室へ向かった。ドアをノックしようとした時、男女の話し声に挙げた手を止める。
― ミュラー少佐……?
いけないと分かっていても様子が気になりそっとドアを少し開けると、やはり見覚えがある背中があった。
「ゆっくり休め」と毛布をシノブの肩口まで掛けてやるアレックスに、カーリンの心臓が跳ねる。
― やだ、そんな目でカワサキ教官を見ないで!!
彼の優しく見守る横顔が、更に嫉妬心を煽った。
「ミュラー教官」
「ん?」
「もう少しここにいて下さい」
― そんな声で少佐に囁くな!!
カーリンの鼓動が激しく脈打って、頭が真っ白になり立ち尽くす。周りの音が消え去って、この世に一人だけ取り残された気持ちになった。
「わかった。落ち着くまでそばにいる」
これ以上聞くに堪えない恋人の台詞に、たまらずその場から逃げるように走り出す。
体調を崩した部下を心配するのは上官として当たり前なのに、それ以上の関係を疑ってしまう自分がとてつもなく嫌になった。
今、もっとも醜い顔をしているに違いない。こんなざまを見られたら彼は失望してしまう。
曲がり角で人とぶつかり、カーリンがしりもちをつくとその人物が手を差し伸べた。
「カーリン?」
スーツ姿のフィリデオだ。
「丁度よかった。カワサキ中尉はまだ医務室?」
「今はちょっと……」
渋るカーリンに、何かを察したフィリデオが強引に腕を掴んで立たせた。
「案内して」と足早に医務室へ歩いていく彼に、有無も言わせぬ力強さで逆らえずにいる。
「待てって。今はマズいよ」
「そんなに時間がないんでね」
「フィリデオ!!」
ついにシノブの所へ辿り着くと、ノックをして返事を待たずドアを開けた。
「急いでいるもので失礼」
振り向いたアレックスの視線がフィリデオと繋いだ手に注がれたので、カーリンが慌てて振りほどこうとしたが強く握り返されてままならない。
上体を起こそうとするシノブをフィリデオが制した。
「そのままで構いませんよ。まだ顔色が悪いですね」
「ご心配おかけしました」
「ミュラー少佐が血相を変えてあなたを抱えていったと聞きました」
カーリンが弾かれたように顔を上げると、真っ直ぐなグレーの瞳がこちらを見つめている。
「上官として当然のことです」
「様子が気になったので伺ったのですが、大事に至らず安心しました」
腕時計に目をやると、フィリデオは手を繋いだままのカーリンをドアへ促した。
「すみません、もう戻らないと。見送りは彼女にしてもらいますから」
アレックスが腰を浮かすと、上着の裾を掴まれて視線を向けた先には切ない瞳のシノブがいる。
二人を冷ややかに見下ろしたフィリデオが背を向けた。
婚約者と消えていくカーリンと傷心のシノブ。アレックスの心は両者を天秤にかけて後者に傾き、静かに閉まるドアを見届けだけだった。
フィリデオに手を引かれて歩くカーリンは何度も振り返ったが、アレックスは追ってはこなかった。
「気になる?」
「え?」
「あの二人は同じ傷を持っているんだよ。ぼく達には到底理解し難いものさ」
「どういうことだ」
一瞥するだけで答えようとはしないフィリデオに、カーリンは余計不安に駆られる。
消灯後、静まり返ったロビーのソファにカーリンの姿があった。奥ばった場所に座っていたので、廊下からは死角になっているうえ常夜灯の薄暗さでは分かりづらい。
ガラス張りの向こう側にある景色をぼんやり眺めていると、昼間の光景が蘇った。
ベッドへ横たわるシノブに注がれる温かい眼差しは、自分だけだと思っていた傲慢さが胸を焦がす。アレックスの善意を素直に受け止められない自分は、どこまで嫉妬に狂って醜くなっていくのだろうか。
だから、心の整理がつかないうちはまだ逢いたくなかった。
静寂に響く足音に振り向くと、礼服姿のアレックスが隣に座って口元を綻ばせる。
「やっと、二人きりになれたな」
この人はどこにいても捜し出してくれるが、今は心底喜べない自分がいた。
「カワサキ中尉の具合はどうですか?」
「もう心配ない。今夜一晩ゆっくり休めば大丈夫だ」
カーリンの口から「よかった」とは出なかった。俯く彼女の顔を覗きこむと、唇を噛んで何かに耐えている。
「カーリン?」
「なんでもありません」
そのまま沈黙してしまったので、アレックスは軽く息を吐いて語り始める。
「カワサキ中尉の兄は俺の同期だった」
「だった」と過去形に、既にこの世の人ではないとカーリンは察した。
「フラッツェルン紛争で第四小隊長をしていて……」
「少佐!!」
身勝手な嫉妬心のために、つらい過去を紐解くアレックスにカーリンが鋭い声で遮ったが止まることはない。
「重傷だった彼は病院で亡くなったよ。やっと会えたのは墓の前だ」
フィリデオが言っていたシノブと同じ傷の意味が、この時ようやく理解するとカーリンの頬に涙が伝った。
そんな彼女をそっと抱き締めて華奢な肩に顔を埋める。
「俺は卑怯な人間だ。幸せになる資格がないのに、お前を失いたくない」
しわがれたか細い声に、カーリンは背中に回した腕に力を込めた。
「少なくともわたしは幸せです。それじゃダメですか?」
更に激しく体を震わせる彼の髪を慈しみながら撫でる。
「泣いてもいいんですよ」
「俺の代わりにカーリンが泣いてくれる」
泣くことさえ許されない彼に、カーリンはただ黙って寄り添うしかなかった。




