思い立った日が吉日 その1
フィリデオの婚約者発言から、電話のみの会話で直接会っていないカーリンに苛立ちが募る。ここ数日、「仕事が忙しい」とか「すまない」がアレックスの常套句になってしまい突き放された感じで不安も募っていく。
先日もこんな調子だ。
「ミュラー少佐」
『なんだ』
― 『なんだ』ってなんだ!? 素っ気ない言い方だな。
時刻はもう夜の十時なのに、まだ教官室にいるようで周りも騒々しい。
「また後にします」
『悪いな』
躊躇もせず甘んじる恋人にカーリンは閉口した。
ご機嫌斜めのカーリンは、部屋に戻ってくるなりクッションを連打して座りこむ。
「今日もダメ?」
「仕方ないじゃないか!! 向こうが忙しいって言うんだから!!」
同室のチェリーにも当たり散らす始末に我ながら嫌悪した。チェリーもこの前は少し脅し過ぎたと反省してある提案をする。
「だったら、カーリンから逢いに行きなよ」
「へ?」
まさに目から鱗。カーリンはハトが豆鉄砲を喰らったかごとく目を丸くする。
いつもアレックスから逢いに来てくれるのが当たり前となっていたので、逆転の発想にカーリンはポンと手を打った。
「その手があったか!!」
「え? 今頃?」とチェリーが反応の遅さに呆れている。
カーリンは電車の時刻表をテーブルに広げると、しばらく時刻表とにらめっこして指がビタッと止まった直後にカーリンがほくそ笑んだ。
土曜日の朝、アレックスは自室でまだベッドの中にいた。仕事を終えて部屋へ戻ったのは日付も変わった夜の三時で、軽くシャワーだけ浴びてベッドへ倒れこむとそのまま眠りに落ちる。
まどろんでいると、リコやソフィア、チェリー達に囲まれたミュラー班の夢を見た。
考えてみればあのころが一番楽しかったかも知れない。教え子達に慕われて信頼し合って、そして隣にはいつもカーリンがいて……。
その彼女は辺りを見回しても姿がなかった。
「カーリン!!」
焦りからか自然と歩調が早まり、いつの間にか駆け足で捜している。
まさか、フィリデオの元へ行ったのか。
仕事にかまけてないでもう少し彼女の気持ちに応えていれば。後悔だけが押し寄せて、切なさと寂しさで胸が苦しい。
あまりの息苦しさに目が覚めて、うっすらと視界に飛びこんできた信じられない光景にぎょっとした。
「カーリン!?」
そこには彼の胸を枕にして幸せそうに眠る恋人がいるではないか。
慌てて部屋を確認したが間違いなく自分の部屋だ。
ではなぜ彼女がいるのか、寝起きのぼんやりとした意識で考えても答えは出ない。なら、本人に問うまでのこと。
「おい、カーリン」
「もう少し寝かせて……チェリー」
寝惚ける彼女に盛大なため息をつく。
― 人の胸を枕がわりにして、道理で胸が苦しいはずだ。
それにしても堂々と男の部屋に忍びこむとは、しかもそれに気付かなかった緊張のなさを痛感していると
「あ、少佐。お早うございます」
眠そうに目をこすって小さく欠伸をした。
「お早う。……じゃなくて何故ここにいる!?」
「こうでもしないと逢ってくれないじゃないですか」
「俺もいろいろあってだな。……そんなことより、どうやって入ってきた!?」
腕を高々と上げて背伸びをするカーリンの動きが止まる。
「やだなあ、私はここの卒業生ですよ。ミュラー教官の部屋は知っているし、身分証明書さえ提示すればすんなり入らせてくれます」
自慢げで説明するカーリンに「なるほど」と変に感心してしまった。
実はカーリンは早朝にシャトレーズ学校にやってきた。アレックスが来ないならこちらから逢いに行こうと始発の電車に乗ったのである。
先ほどの説明通り、身分証明書を提示すると憲兵はすんなりゲートを開けてくれたのでこれ幸いと人目につかないうちにアレックスの部屋へと突き進んだ。
ノブに手を掛けると鍵はかかっておらず、これまたすんなり侵入してベッドで就寝中の恋人を発見する。
傍に椅子を持ち出してしばらく彼の寝顔を眺めていたが、睡魔に勝てずすっかり寝入ってしまったのだ。
「人に見られたらどうするつもりだ」
休日の朝とはいえ訓練生や他の教官がいた可能性もあるのに、相変わらず直感で動く癖は未だ健在のようだ。
「訓練生の行動パターンは把握してるので、その点は大丈夫です」
「当時もそのくらい冴えていたらよかったのに」
カーリンの澄まし顔が妙に癇に障ったのでつい意地悪く言ってしまう。
「ああっ、ひどい!!」
「あまり大声を出すな。隣に聞こえる」
頬を膨らます彼女の唇に、人差し指を当てて制した。部屋の壁は完全防音ではなく、若い教官がカラオケ大会を開いて苦情殺到した実例もある。
もちろん、カーリンの声くらいは届かないだろうが問題はそこではない。
「部屋に女を連れこんだ時点で規則違反だ」
「そうなんですか!? わたし、帰ります!!」
慌てて立ち去ろうとするカーリンの腕を掴んでベッドへ引き寄せると、「ひゃっ!!」と短い悲鳴と共にアレックスの腕の中へ納まった。
「もう遅い。責任取れよ」
体を被せてくる彼に、抵抗するも結局受け入れてしまうカーリンである。
「フィリデオのこと、黙っててごめんなさい」
ひとしきり体を重ねたあとカーリンがぼそりと謝ったので、アレックスは乱れた金髪を手櫛で整えながら頷いた。
「俺も話を聞いてやれなくて悪かった」
優しく微笑まれて、カーリンの胸はズキンと傷む。仕事や他のことなら相談出来たが、婚約者がいたとはどの口が言えようか。
「これからお互い隠し事はなしだ」
カーリンはアレックスの胸に頭を置くと、厚く逞しいそれを通して聞こえる鼓動に心が落ち着いた。
「少佐」
「ん?」
「ありがとう。それと、教官なのに規則違反させてごめんなさい」
最初は小さく笑う彼だが、次第に渋い表情となりしまいには沈黙してしまった。
「どうしたんですか?」
腕枕から頭を外して見上げると、グレーの瞳がカーリンから逸れる。
「いや、士官学校を思い出して」
「どんな? 聞きたい!!」
「カーリン」
「はい?」
「人には触れたくない過去がある」
あまりにも真剣な眼差しで言うものだから、さすがにカーリンもそれ以上は聞けなくなる。
― さっき、隠し事はなしって自分から言ったばかりなのに。
「朝食、まだだな? 食べに行こう」
アレックスが先にシャワーを譲ってくれたので、釈然としないまま彼女は仕方なく浴室へ向かった。
学校に近くにあるコーヒーショップでモーニングを注文した二人はしばし無言だ。
「少佐、さっきの話なんですけど」
「さっきってどっちだ。士官学校の話だったら断る」
「それってズルくないですか? 少佐はわたしのダメなところも知っているのに」
「教官だったんだから仕方ないだろう」
気が向いたら話すとだけ言ってコーヒーカップに口をつける恋人にカーリンはむくれた。
― カルマン大尉に訊けばなにか分かるかも。
カーリンの心を見透かしたのか、一気に不機嫌な表情へ変わりじろりとカーリンを睨む。
「まさかランディに訊こうと考えてはいないだろうな?」
「え? なんでわかったんですか!?」
やっぱりと深くため息をつくとアレックスは近くに来たウエイターにコーヒーの追加を頼んだ。
「ダメですか?」
「駄目だ」
「どうしても?」
「どうしても」
「そっちから振っておいて」
「何か言ったか」
返事はせずトーストにかぶりつくと、彼の手が伸びて紙ナプキンで口元を拭う。どうやら、また口の周りを汚していたらしい。
頬を緩ますアレックスにカーリンもつい笑顔になった。
こうして会えば自然とわだかまりが消えていく。それが愛し合う二人なら尚更だ。




