ライバル、サバイバル
シャトレーズ軍人学校を後にしたフィリデオは、車中で訓練生の頃のカーリンに思いを馳せた。
彼女のことだから、泣いたり笑ったり仲間とさぞ賑やかな日々を送ったに違いない。
貴族の生活は窮屈で嫌だと不満を漏らしていたが、まさか軍人になっていたとは寝耳に水だった。幼い頃から活発だったので訓練には問題はなさそうだが、絶対権力のフリーデルを無視してよくも入学できたものだと感心するやら呆れるやら。
それにしても、誕生パーティーに現れたカーリンの成長には驚いた。五年前はまだあどけない少女だったが、すっかり美しい大人の女性へ変身している。
中身は少しも変わっておらず、昔みたいに瞳を輝かせて「フィリデオ」と慕ってくるくせに、胸元には恋人から贈られたネックレスが光っていた。
― こんなことなら、俺のものにしておけばよかったよ。
元気いっぱいのカーリンはまだ恋愛には無縁と高を括っていたら、いつの間にか年上の教官と恋仲になっていたとは驚きである。
母親から話を聞いて、自分なりに調べたらアレックスの存在に辿り着いた。
今のフィリデオと同じ年齢で『フラッツェルンの英雄』と呼ばれた男に興味が湧き、直接会ってみたいと寄付を口実に学校へ行ってみる。
多額の申し出に学校側の者達は気を良くして、アレックスに会いたいというフィリデオの希望をすんなりと通してくれた。
やがて、一人の男が応接間に入ってくる。
「アレックス・ミュラー、入ります」
戦闘服に身を包み精悍な顔の軍人は同性の目からも凛々しく映り、まるで自分とは別の人間に言葉を失った。
― なるほど。これじゃあ、カーリンはひとたまりもないな。
生死を彷徨って生き延びてきた軍人と平和な生活を送ってきた貴族とは背負っているものが違い過ぎる。敵わないと分かった瞬間、婚約者と名乗って自身の居場所を決定づけた。
案の定、動揺で揺れる瞳をこちらへ向けて驚くアレックスの顔が今も鮮明に覚えている。
ふと胸にかすかな振動を感じて上着の内ポケットから携帯電話を取り出すと、表示は母親のイゾルデだ。
「なに、母さん。……うん、今その帰りさ。先方もたいそう喜んでくれたよ」
カーリンが卒業した学校に寄付をしたいと母親に相談したら二つ返事で承諾してくれた。リヒター・ド・ランジェニエール家に恩を売る絶好の機会をイゾルデが逃すはずがないと踏まえている。
お陰でフィリデオにとっては、恋敵とも会えてまさに好都合だったというわけだ。
「カーリンとはまた会って話をしてみるよ。だから母さんもしばらく僕に任せてくれないかな」
母親は一人息子に嫌われたくないのか渋々条件を飲んでくれた。余計な手出しをされては、ますますカーリンが警戒して会うことすらままならない。
電話を切ったフィリデオは軽く息を吐いて、また携帯電話を内ポケットに仕舞った。
フィリデオがアレックスと会ってから数日が過ぎた。気まずいと躊躇いつつカーリンが電話を掛ける。
「少佐、今いいですか?」
『これから会議なんだ。終わったらこちらから電話する』
「分かりました」
「待ってます」と続くはずの言葉が途切たまま電話が切れた。
一時間後、折り返しの電話にカーリンは深呼吸する。
『慌ただしくてすまない』
「いえ。それでフィリ……」
電話口の向こうで『ミュラー教官』と名を呼ぶ声がして、またアレックスとの会話が途切れる。教官室もにわかに慌ただしい雰囲気は電話を通してよく伝わってきた。
それにしても、たった五分いや三分も時間が取れないのかと段々腹立たしくなる。
「チェリー、セドリックって今の時期忙しい?」
昼食時間に食堂で待ち合わせしていたチェリーに尋ねてみた。
「そうなのよ。なんでも教育方針が変わったとかで大幅な変更があったみたい。その対応に追われているって」
「ふうん」
相槌を打ってはみたが、カーリンには見当もつかない話だ。
「そのことでチェリー達はけんかする?」
「しょっちゅうよ。仕事仕事って言うけど、わたし達も同じじゃない? まあ、向こうの方がちょっと大変そうだけど。カーリンはしないの?」
「わたし? う……ん」
顎に手を当てて考えていると
「訊くだけ野暮だったわね。カーリンがギャーギャー騒いでも教官がさらりと流してくれるから」
いつもはそうだが、今回ばかりはさらりと流してくれそうにない。そのくらい二人の関係を揺るがす大事件になりそうなのだ。
「なんかあった?」
この数分のやり取りで、カーリンの心を見抜くとはやはり恐るべしチェリー・ブライアント。
一人で抱えるには荷が重すぎるので、ここは経験豊かな友人の知恵を借りることにする。
「実はわたしに婚約者がいて……。ちょっと、チェリー!?」
突然胸倉を掴まれて見上げると、鬼の形相が目の前にあった。
「あんたねえ、わたしがどんな思いで教官から身を引いたと思ってるのよ!?」
「お、落ち着けって!! まだ続きがあるんだよ!!」
普段は「わたしはか弱い女の子です」と猛アピールしているくせに、こういう場面になるととんでもなく馬鹿力を発揮してくる。
軽く咳きこんでカーリンが胸元をさすった。
「親同士が勝手に決めたらしくて、わたしもつい最近知ったばかりなんだ」
「で? 教官知ってるの?」
「彼が学校へ出向いて会ったみたい」
「つまり、カノジョからではなく自称婚約者から先に話を聞いたってこと?」
おずおずと頷くと、チェリーは盛大なため息をつく。
「はあ。可愛い恋人にまさか裏切られたとは、さぞショックだったでしょうね」
「裏切ってないって!! わたしはずっと少佐が大好きだ!!」
刺さる視線に恐る恐る周りを見渡すと、食事する手を止めて二人に注目していた。こそっとまた腰を下ろす。
「話をしようにも、少佐があんな状態だろ?」
話し合ったところで言い訳に過ぎないのだが。それでも誤解は早いうちに解いておかなければ、厄介だとここ一年で学んだ。
「タイミング悪いわね。婚約者の名前、なんだっけ?」
「フィデリオ・フォン・メレンドルフ」
するとチェリーから黄色い声が飛ぶ。
「マジ? ほんとカーリンの周りにはイケメンが集まるわね」
さすが父親がジャーナリストだけに、イケメンだけに留まらず社会情勢にも耳が早かった。
「若手参事官の中でも有望株、あの容姿だから女性にも人気があるのよ」
軍と省庁のホープがまたカーリンを巡って争うのかと、チェリーの好奇心は煽られる。
― 相手が貴族となるとちょっと厄介ね。
チェリーには気になる情報がもう一つあった。
それは、臨勤で赴任してきたシノブである。セドリックの話ではアレックスに敬愛以上の感情を持っているとのことだ。
「とにかく、常にミュラー教官を目で追っているんだよ。偶然といえばそれまでだけどあの瞳は違うな」
ある程度恋愛経験を積んでいる彼だからまんざら嘘でもなさそうだが、早とちりな性格でいろいろとやらかしているので要観察ではある。
「カーリン、早いうちに会って誤解を解いた方がいいわよ。じゃないと……」
「じゃないと?」
カーリンはごくりと喉を鳴らして待った。変なところで溜めるものだから気になって仕様がない。
「教官、どこかのお姉さまに持っていかれるかも」
「!!」
黒髪のシノブが真っ先に浮かんで、カーリンは頭がもぎれるくらい振り回して慌てて隅へと追い出した。
携帯電話片手にドタバタと食堂を出るカーリンは、よほど気が動転したのか昼食も珍しく残している。
― ちょっと脅し過ぎたかしら? まあ、鈍感なあの子にはこのくらい焚きつけなきゃ。
こうでもしないと、本当に取り返しがつかなくなる状況がなったら大変だ。




