嵐の予感 その2
「どういうことですか、お父様!!」
やっとパーティーから解放されて我が屋敷へ戻ったカーリンは、開口一番ベリンハルトへ抗議した。
「フィデリオがいつわたしの婚約者になったんですか!?」
「カーリン、取り敢えず座りなさい」
いきり立つ娘を宥めたが、睨まれて肩に置いた手を引っ込める。
「そうですわ。カーリンには教官さんがいらっしゃるではありませんか」
母親のヘレーナが娘の援護射撃に回った。
「あなたは黙ってなさい」とフリーデルに釘を刺されてヘレーナは頬を膨らませた。
「この話をまとめたのは当主のベリンハルトです」
またもや娘にじろりと睨まれたベリンハルトが目を反らす。
「そう言うな。あの夫人が強引に話を進めてな」
それはカーリンの誕生パーティーでのやりとりだった。
「この度は、カーリンの成人おめでとうござます」
「ありがとう」
しおらしく祝っているが、こういう時ほど警戒しなくてはならないのがイゾルデ・フォン・メレンドルフなのだ。
「あの子も大人の仲間入りね。そろそろ然るべき相手を見つけてはいかが?」
「はあ」
この夫人は我が息子を是非カーリンの婿にと常々願っている。ところが、彼女が軍人学校へ入学するという誤算が生じて諦めかけた時にこのパーティーだ。この機を逃すまいと意気揚々である。
「フィリデオは数ある見合いも断って、カーリンだけを想ってきたのよ」
「しかし、娘は現在交際している者がいるとか」
妻と娘の怒れる姿が目に浮かび、ベリンハルトはハンカチで冷や汗を拭いた。
「婚約しているの?」
「いや、ただ付き合っているとしか聞いていないが」
「結婚の約束をしているならともかく、交際だけならいづれ別れるかもしれないでしょう?」
カーリン達の仲睦まじい雰囲気では期待する方が無理。などと言ったら、今度は夫人からなじられるので口にできない。
結局、イゾルデに押し切られる形でパーティーの席で顔合わせをすることとなった。
「だったら、わたしが直接断ってきます」
「勝手な真似は許しませんよ」
カーリンが出ていこうとすると、フリーデルの鋭い声が飛ぶ。
「勝手なのはおばあ様たちの方です!! 少佐はちゃんと挨拶に来てくれたのに裏切るなんて」
隠れて付き合ってはカーリンが不憫と、自分の存在が好意的ではないと知りつつアレックスはリヒター・ド・ランジェニエール家へ交際の報告へ来てくれた。その想いを踏みにじられてカーリンは悔しくて涙が溢れる。
「フィリデオにはわたしから断ります!!」
背を向ける我が子に父親は狼狽え、祖母は盛大なため息をついた。
「まったく、この私に口答えするとはヘレーナ、あなたが甘やかすからですよ」
母親に飛び火したが、本人は涼しい顔で言ってのける。
「あら、女は恋をすると強くなるのですよ」
部屋に戻ったカーリンは携帯電話を取り出してフィリデオへ掛けた。パーティーでアドレスを交換されたのがこんな形で役に立つとは皮肉なものである。
『やあ、カーリン。君から電話してくるなんて嬉しいよ』
人を食った口調に、カーリンは余計苛立ってきた。
「婚約は解消だ。というか、最初からそんな約束していないから無効だ」
『へえ。随分と賢くなったんだね』
小馬鹿にした言い方に、更に彼女が激昂する。
「これ以上わたしに近づくな!!」
『分かった。君には近づかない』
意外とあっさり引き下がったので、カーリンは拍子抜けしたが念のため確認した。
「本当だな? 信じてるぞ」
不安げな彼女に『もちろん』とフィリデオが答える。案外いいやつだと思い直したカーリンだが、実は彼がとんでもないことを計画していたとは知る由もなかった。
最悪の誕生パーティーから戻ってきて数日経ったが、フィリデオは約束通りカーリンに一切連絡を取ってこなかった。
やっと願いを聞き届けてくれたかとほっと胸を撫で下ろす。
アレックスにはフィリデオとの関係を何度も伝えようとしたが、声を聞くと決心が鈍り今日まで来てしまった。
それに、言えばアレックスは悲しい顔をするに違いのだから。
― そもそも、あいつはなんの関係もない。
そう自分に言い聞かせてもカーリンの胸は痛い。
一方、カーリンに関わるなと釘を刺されたフィリデオは意外な場所に現れた。
野外訓練に参加していたアレックスだが、途中で校内アナウンスで呼び出される。話によると、参事官が来校していて先方の希望でアレックスに是非会いたいとのことだった。
急いでいるからと上官にせかされて着替える暇もなく応接間にやってくる。
「アレックス・ミュラー、入ります」
ドアを開けると、教育部の幹部数人とスーツ姿の青年が座っていた。
「こちらは参事官のフィリデオ・フォン・メレンドルフ氏。ミュラー少佐とは初めてですか?」
「はい。噂はかねがね存知あげていますが、こうして拝見すると頼もしいお方ですね」
金色の前髪を指で払うとさらりと流れてグリーンの瞳が現れる。きめ細やかな白い肌に整った顔はアレックスの精悍なそれと正反対の中性的な美しさだ。
「実はフォン・メレンドルフ参事官直々に多額の寄付をして頂いた」
確かに学校の存続に多くの寄付で成り立っている部分が大きい。だが、それが自分となんの関係があるのか、大事な訓練を中断されたアレックスは真意が掴めなかった。
「カーリンがお世話になっていたので当然です」
恋人の名前にアレックスの眉がピクリと反応すると、フィリデオは半眼を向けてきた。
「リヒター・ド・ランジェニエール伍長か。確かミュラー少佐の担当だったな」
中年の幹部が訊くとアレックスは頷いた。
「遠縁になりますが、幼い頃からよく一緒に遊んだ仲なんです」
フィリデオはアレックスを一瞥したが、彼は正面を向いたままだった。
「そうでしたか」と幹部は感慨深げに唸ると、フィリデオは時計を見て腰を浮かす。
「そろそろおいとましなくては。カーリンの元教官にも会えたのでよかったです」
爽やかな笑顔でフィリデオは強引にアレックスの手を握って握手をした。
上官からフィリデオを送るよう命令されたアレックスは先に歩いてエスコートする。
「今日はお会いできてよかった」
二人エレベーターに乗ったところで、フィリデオが白々しく声を掛けると彼は鋭い視線を投げつけた。
「多額の寄付、ありがとうございます」
と、これまた社交辞令で返すアレックス。
「婚約者として当然です」
アレックスが弾かれたように彼に振り向くと、挑発的な笑みを浮かべていた。
「もっとも親同士が決めた話なので気にしないで下さい」
親同士が決めたつまり両家公認の状況は、本人同士の気持ちだけで繋ぎ止めているアレックスとの立場の違いを見せつけられた気がする。
「カーリンにも関わるなと釘を刺されていますから」
警戒している彼にフィリデオは肩を竦めた。
「嘘じゃないですよ。なんなら本人に確かめましょうか?」
スーツの内ポケットから携帯電話を取り出して、画面を操作し始めた。やがて、本人が出たのか話し始める。
「やあ、カーリン。勤務中悪いね。……そう怒るなよ、君の恋人に代わるから」
「はい」と電話を渡されて、アレックスは無表情で受け取った。
『フィリデオ、わたしは忙しんだ!! ふざけるなら後にしてくれ』
間違いなくカーリンの声である。
「私だ、リヒター伍長」
『少佐!? 今どこにいるんですか!? ってか、なんでフィリデオと一緒に!?』
明らかにカーリンも動揺して慌てふためいている様子が電話を通してよく伝わった。




