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嵐の予感 その1

 週末、カーリンは部隊の近くまで迎えに来た黒塗りの高級車に乗って実家へ向かっていた。

 今回の運転手はセバスチャンではなかったので、車中では特に会話もなくカーリンは窓の景色をぼんやりと眺めて時を過ごす。

 そして、脳裏をよぎるのは恋人との電話だ。

『カーリン、今度の休みだが逢えそうにない』

「わたしもおば様の誕生パーティーに出席することになってて」

 申し訳なさそうに断ると、アレックスは「お互い忙しいな」と電話口で小さく笑った。恋の女神を嫉妬させたのか、初めて体を重ねた日から逢えずにいる。


 実家は帰る道すがら、カーリンにはどうも腑に落ちないことが一つあった。誕生パーティーの日から父親の態度がよそよそしい。

 つい先日も電話が掛かってきた。

『もうすぐフォン・メレンドルフ夫人の誕生パーティーがあるんだが、カーリンも来てくれるかい?』

「フィリデオのお母様か。わたしはパスしようかな」

『招待状ももらっているし、お前の時も来て下さったんだ。行くのが礼儀だと思うぞ』

 そもそもカーリンは社交の場は好きではない。窮屈なドレスを着てへつらう大人に合わせて愛想笑いを浮かべる、幼い頃から気が重い行事だった。

 メレンドルフ家とは遠縁だが交流もあるので、父親に義理立てするつもりで渋々了解して今日に至る。

 

 

 自分の屋敷に帰るや否や、またもや髪を結いドレスに着替えて慣れないヒールの靴を履いてまた車に乗り込み移動した。

 辿り着いた先は閑静な土地に建てられたメレンドルフ家の屋敷である。

「やあ、カーリン。よく来たね」

 出迎えたのは正装したフィリデオで、体を開けて中へ招き入れた。そっと脇を開ける彼の腕を掴んで大広間までエスコートしてもらう。

 既にパーティーは始まっており、大勢の貴族達でフロアが埋め尽くされていた。息子とカーリンを目敏く見つけた本日の主役が客の間を縫ってくる。

「まあ、カーリン。ようこそ」

「イゾルデおば様、お誕生日おめでとうございます」

「ふふふ、ありがとう。今日は楽しんでいってね」

「はい」

 カーリンはよそいきの笑顔が崩れないうちにその場を離れて、足早に料理の並んだテーブルへ歩いていった。

 腹は減っているが、いざ食べてみると締め付けられたコルセットのせいで胃に物が入っていかない。時間がないからと、食うもの食わずで部隊から直行したカーリンがひもじかった。

「お腹空いたなあ」

 ぼそりと呟いた彼女の目の前にサンドイッチが差し出される。辿ってみるとにっこり笑ったフィリデオだ。

「どうぞ。これなら手軽に食べられるし少しはお腹にたまるよ」

「ありがとう!!」

 瞳を輝かせて嬉しそうにサンドイッチを頬張るカーリンを彼もまた楽しそうに眺めている。

「君は子どもの頃から美味しそうに食べるよね」

「だって美味しいんだもん」

「それによく食べるし」

 ここでカーリンの急に食べる速度が遅くなってやがて止まった。チェリーや他の女子にも指摘されたが、自分ではそんなに問題ないと思っていただけにフィリデオの意見が気になる。

 彼女の身の回りの異性は軍人ばかりなので参考にならないからだ。

「男の人って大食いの女性は嫌い?」

「え?」

 そこには男勝りの女の子ではなくしおらしい一人の女性だった。

「俺はカーリンみたいな子が好きだよ。気取らなくてすむし、なにより楽でいいからね」

 やっと笑顔が出たところで、管弦楽団による生演奏でのダンスタイムとなり招待客がフロアへ流れ出す。

 フィリデオも彼女の手を取って恭しく一礼した。

「カーリン、お相手願えますか?」

 空腹が満たされたカーリンが頷くと舞踏会と変わったフロアに進み出た。

 ダンスは苦手と言っていたカーリンだが、パートナーの見事なリードと華やかなドレスが人目を引き、自然と二人に視線が集まり始める。

「ダンス、上手くなったね」

「フィリデオのリードが上手いんだよ」

 見下ろすカーリンの胸元に光るネックレスにフィリデオの目が留まった。

「それ、誕生パーティーの時もしてたね」

「ああ、これ? プレゼントなんだ」

 すると、急に険しい顔つきで微笑むカーリンの顎を掴むとこちらを向かせた。

「年上の教官から?」

「へ?」

 最初は言っている意味が解らず、彼女は瞬きを数回して改めてフィリデオを見つめ返す。

「アレックス・ミュラー少佐、フラッツェルンの英雄と呼ばれた男」

 口角を上げた彼が揺れるグリーンの瞳を覗きこむ。

「な……んで少佐を?」

「そりゃ婚約者のことは何でも知っておきたいから」

「婚約者!?」

 素っ頓狂な声を上げたカーリンに皆が注目したので、慌てて自ら手で口を塞ぐ。

「なんだ、その婚約者って!!」

 すると、フィリデオは「知らなかった?」と涼しい顔だ。

「初めて聞いたぞ。誰がそんなことを!?」

「うちの母と君の父上」


 ― お父様ったら、やけに電話してくると思ったらこういうことか!!


 ようやく父親の態度に合点がいったカーリンは怒りが沸々とこみ上げる。

「冗談じゃない!! 今すぐ断る」

 離れようとするカーリンの細い腰を、フィリデオがぐいと抱き寄せて逃がさなかった。

「放せ!!」

「ここで騒ぎを起こすつもり? やめておいた方が身のためだよ」

 カーリンははっとして周りを見渡すと、貴族たちが興味津々で若いカップルを眺めている。ここで問題を起こしたら、無責任な噂が流れてリヒター・ド・ランジェニエール家に傷がつくかも知らない。

 柵は嫌だが、自分のせいで家族が傷つくのはもっと嫌だ。

 薄笑いを浮かべている彼を睨みつけるが、仕方なく体は預けていた。

「言っておくけど、わたしに触れていいのは少佐だけだ」

「初めての男だから?」

 耳元で囁くフィデリオに、カーリンの頭のどこかでブチッと切れる音がする。それは堪忍袋の緒で彼女は左手を高々と振り上げた。

「無礼だぞ!!」

 フィデリオが寸前で手首を掴んで阻止したので、惜しくも彼の頬に届かず地団駄を踏む。

「気が強いな。でも悪くない」

 やがて、フロアに甘いムードの曲が流れてチークダンスタイムとなった。

 掴んだ手をそのままに、フィデリオはカーリンにより密着させてゆっくりと体を揺らし始めた。

 アレックス以外の男に身を委ねる屈辱に、唇を噛んで耐える彼女をフィリデオは冷ややかに見下ろしている。


 そんな二人の殺伐としたやり取りも知らず、夫人は常に目を光らせて観察していた。

「ああやって見ると、二人は本当にお似合いね」

「お前は時々強引だからな。こういうのは本人達に任せるのが一番だろう」

 妻のイゾルデを窘めるのは夫でありこの家の当主のエグモントである。

「その本人達に任せたらいつ孫が見れるか分からなくてよ」

「だが、ヘレーナ夫人から聞いた話ではカーリンには交際している相手がいるそうじゃないか」

 イゾルデの脳裏に、のほほんとしたカーリンの母親が浮かんできたので慌てて打ち消した。


 ― あの夫人、とぼけたふりしていつも私の邪魔ばかりして!!


「婚約しているとは聞いていないし、しかも相手は民間人ですって」

「ほお。よくフリーデル様が許したな」

 身分差にうるさい保守派のフリーデルが賛成したのかと、これにはエグモントも驚いた様子である。

 フリーデルも許しているつもりはなく、今でも孫を軍人学校へ入学したのを後悔していた。もし手元に残しておけば、淑女として成長していただろうし教官に恋することもなかったに違いない。

 その胸の内を察知しているイゾルデとしては、是非こちらの味方につけたいところだ。







 教官室で残業をしていたアレックスが卓上の時計に目をやった。おばを祝うパーティーがかくも盛大に行われているのか電話はまだない。

 こちらから掛けてもいいのだが、恐らく携帯電話は手元にないだろう。それに着信を入れておいたからひと段落すれば折り返し連絡をくれるはずだ。

 だが、とうとうこの日は恋人からの電話はなかった。

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