再来の夜 その2
窓から差し込む陽の光でカーリンが目を覚ました。
時刻は五時半、あれだけ寝坊の常習犯なのにと苦笑する。昨日から一睡もしていないし気怠いのに、却って頭が冴えて眠れずまどろんでいたら朝になってしまった。
特別な場合ならそれもあり得る。例えば、恋人と一緒に迎える初めての朝とか。
すぐそばで寝息を立てるアレックスは安心しきった寝顔で普段の鋭さが消えてどこかあどけない。
― 少佐の寝顔って初めて見るかも。この間は嘘寝だったし。
今度こそ頭を撫でると、アレックスが軽く唸ってすり寄ってきた。
― 可愛い!! 仔犬みたい!!
二十七歳の男をつかまえて、可愛いだの仔犬みたいだの存分な言い方である。
「よしよし」と撫でると、ようやくうっすらと目を開けた。
「お早うございます」
「う……ん、お早う。早いな」
寝起きの低い声にまたもやときめく。早起きしたお陰でいいものを見せてもらったとは本人には内緒だ。
「体、きつくないか?」
「え? 少しだけ」
「その、つい……。すまん」
珍しく頬を赤らめてアレックスが罰悪そうに謝る。感情を抑えきれず、初めてというカーリンを夜通し抱いたのを反省しているとのことだ。
何か思い出したのか、彼女がクスクスと笑い出した。
「初めてキスした時もそうやって謝ってくれましたね」
訓練生の頃、夜の訓練場で教官だったアレックスにキスされたことがある。人生で初めてのそれは舌を絡ませる激しいものだったので、カーリンは涙目で抗議するとやはり罰悪そうに謝ってきたのだ。
「そう……?」
「忘れたんですか!? わたしのファーストキスを奪っておいて」
― キスも初めてだったのか!?
赤い頬を膨らますカーリンに、アレックスは額に手を当てて閉口する。慣れていないだけで一度くらいは経験が思っていただけにますます気まずい。
「初めての男が俺でよかった?」
すると、彼女は「少佐以外は嫌です」とはにかんで答えてくれた。
チェックアウトして、部隊へ帰る途中カーリンは車内で熟睡していた。きっと緊張で眠れない日々を過ごしたのだろう。
顔に掛かる前髪をそっと直してやると幸せそうに笑った。もちろんしっかり眠っているので反射的なものである。
成人になったとはいえまだまだ幼さが残る寝顔に、この幸せな時間がいつまでも続けばいいとアレックスは願わずにいられなかった。
後日、この夜の余韻は意外なところで騒動を巻き起こす。
教官室で自身のデスクで作業をしていたアレックスに、後ろからビアンカが「相変わらず頑張るわね」肩に手を置いた。
「つっ!!」
弾かれたように肩を竦める彼に、思わずビアンカの方が驚いて手を引っ込める。
「な、なに」
「いや、なんでもない」とアレックスは顔を顰めて作業を再開するが、彼女は先ほどの反応が気になって仕方がない。
「肩、痛めた? また脱臼したんじゃない?」
「え? いや、それはない」
明らかに動揺しているので、ビアンカは身を乗り出してグレーの瞳を覗きこんだ。
「医務室へ行ったの?」
「大丈夫だ」
「付き添ってあげるから行きましょう?」
「大したことではない」
「行ってみなきゃわからないじゃない!!」
「肩に触るな」
「なにやっているんですか」
セドリックの呆れた声に二人の動きがはたと止まった。傍からは二人でじゃれているしか見えていないらしい。
「だってアレックスが言うこと聞いてくれないだもの」
「しつこいぞ」
「どうして、そんなにムキになるのよ」
「それは……」
目をそむけるアレックスに彼女は容赦なく追究した。
「あなたは自覚していないかもしれないけど、この学校には大切な人なのよ」
瞳を潤まして手を握るビアンカに、アレックスはうさん臭そうにそれを振りほどく。
「マーティン伍長、行くぞ」
これから軍服に着替えて外回りの予定が入っていたのでロッカー室へ向かう二人だが、ビアンカがセドリックをこっそり呼び止めた。
「ねえ、セドリック。着替える時でいいからアレックスの肩を見てくれない?」
「俺!?」
「彼、我慢強いし頑固だから酷くなっていないか心配なのよ」
さすが同期、優しいんだなあとまたもや感動していると
「じゃないと、この間訓練生から告白されたことをチェリーにばらしちゃおうかなあ」
「な、なんで知ってるんですか!?」
数日前、女子から「好きです」と告白されていた現場を目撃されていたとは夢にも思わなかった。もちろん丁重にお断りしたが、カノジョの耳に届いた日には目も当てられない。
「わたしだってこの手だけは使いたくなかったんだけど、緊急事態だから許して」
― 前言撤回!! 優しいと感動した俺がバカだった。
色香漂う女上官は悪魔のしっぽを隠し持っているに違いない。
とんでもないミッションを背負うことになったセドリックがロッカー室へ行くと、まさにアレックスが戦闘服を脱いで肌着一枚だった。
「なんだ」
「あ、いえ。お構いなく」
お構いなくと言われても、男同士とはいえじっと見つめられていると着替えにくいもので
「バルバート教官に頼まれたのか」
「そこまでお気づきなら俺の事情も察してください」
「異常なしと報告しておけばいいだろう?」
その手があったかと納得するも、ここまで頑なに拒む上官に疑問が湧く。
― やっぱり、バルバート教官が言う通り、肩の具合悪いのかな。
「やっぱり、この目で確かめないと俺も気がすみません」
「マーティン伍長、お前もか」
上着に手を掛けて脱がそうとする部下を全力で阻止するアレックスだが、思いの外力が強く内心焦った。
― こいつ、力があるな!!
線が細いからと少々舐めていたのかも知れない。不覚にもロッカーに押しつけられて、肌着に手が掛かり捲れそうに時だった。
突然、ロッカー室のドアが開いて、一人の士官が現れた。
「ミュラー教官、フレッド主任がこの資料もお願いしたいと……」
荒い息で上官の服をまさに脱がさんとするセドリックと抵抗するアレックス、イケメン二人が揉み合うの図に士官は固まった。
「あの、お取込み中申し訳ありません。テーブルに置いておきますので」
「続けて下さい」と言い残してドアが静かに閉まると、二人の間に気まずい空気が流れる。
「えっ……と、失礼しました」
第三者に思いっきり勘違いされたアレックスが思いっきり睨んだので、セドリックはすごすごと自分のロッカーへ移動した。
また良からぬ噂が背びれ尾びれを付けて学校内を駆け巡るのかとアレックスは頭が痛い。
「バルバート教官、ミュラー教官の肩は異状ありません。動いていたので脱臼ではないと思います」
『そう。じゃあどうしてあんなに隠すのかしら?』
「それはご自分で探って下さい。とにかく俺はちゃんと果たしたんで約束守って下さいよ」
アレックスと同行していたセドリックは、隙を狙って抜け出すとビアンカに報告した。
『分かってるわ。ところでかなり派手にやったみたいね。あなた達の仲、噂になってるわよ』
― 今度こそ俺の人生終わったな……。
がっくりと肩を落として上官の元へ向かったいいところなしのセドリックである。
公務も済んでアレックスが部屋で着替えていると、肩にシャツが擦れて刺す痛みに顔を顰めた。
彼の両肩にしっかりと刻まれたひっかき傷が赤く腫れている。
― こんな傷、人に見せられるか。
初めてカーリンを抱いた夜、彼女があまりの痛さにしがみついてできた傷だ。
カーリンが流した涙と己の望みが叶った代償。
ひりひりと痛む傷が癒えるまで、人前では着替えもできないし言い訳も考えてなくてはと頬を緩ませた。




