誕生日の夜に その3
「カーリン、起きてくれ」
肩を揺さぶられて目を覚ましたカーリンは頭痛に顔を顰める。
「あいたた。あれ? ここは?」
辺りを見渡すと、食事をしていたラウンジではなくダブルベッドの上だった。
― ん? 待てよ、確か少佐と食事して、貰ったネックレスを首にかけてもらって……。
一連の行動を辿ると、あの台詞も蘇る。
今夜、抱かせてくれないか ―――
「チェックアウトするから、シャワーを浴びるなら早目に」
低い男の声に飛び跳ねて振り返ると、アレックスが平然な顔で平然と言った。
「シャ、シャワー!?」
その手の雑誌で読んだシチュエーションに、カーリンは慌てふためいて自身の格好を見直したがそれらしき形跡はない。
「あの、少佐。わたし達、その……したんですか?」
アレックスは支度する手を止めて眉を顰めた。
「泥酔した相手は抱けんよ」
「でも、昨夜はするつもりだったんですよね?」
「するとかしたとか、そういう発言は控えてくれないか?」
ムードがなさすぎると窘められて、カーリンは上目遣いで窺っている。
彼女がいくら後悔しても、誕生日は戻ってこない。それに故意ではないから、尚更責めるに責められない。
「ごめんなさい」
しょんぼりして謝るカーリンに、何も言えなくなったアレックスは金髪の頭を撫でた。
「謝るな。席を外した俺も悪かったんだ」
「シャワー、浴びてきます」
とぼとぼと浴室へ歩いていく彼女に、盛大なため息をつく。
車内でのカーリンはすっかりしょげて喋り掛けようともしない。無理に会話すればまた自滅するだけだとアレックスも敢えて言葉を発しない。
― ああ!! わたしのばかバカ馬鹿!! せっかくの記念日を台無しにするなんて!!
運転席の彼をチラッと見てまた後悔。
「カーリン」
「ひゃい!!」
赤信号で車が停まると、突然呼ばれて声が裏返った。
「また来よう」
「それって、昨夜のやり直し……?」
「今度は覚悟しろよ」
挑発的な笑みを浮かべて頬を撫でる大きな手に、カーリンは真っ赤な顔で「了解です!!」と元気に答えてアレックスを苦笑させた。
部隊まで送ってもらったカーリンは車が走り去ると陽が眩しい空を仰いだ。気まずさが残る一泊だったが、次までの猶予期間と思えばいいと気持ちを切り替える。
部屋に戻るとチェリーが出迎えたが、二人の事情を根掘り葉掘り訊く無粋な真似はしなかった。
「お帰り」と一言だけで、素知らぬ顔でファッション誌のページをめくっている。
「これ、お土産」
「クッキー? ありがとう。お茶にしようか」
チェリーが淹れてくれた紅茶でクッキーをつまんだ。リヒター家御用達の紅茶をチェリーに贈って以来すっかりはまって、今回は甘いお菓子によく合うダージリンである。
「楽しかった?」
「ぶっ!!」
カーリンが熱い紅茶を吹きこぼして大騒ぎとなった。
「ちょっと、汚いわね!! しかも熱いし!!」
「ごめん、ごめん」
慌ててティッシュで紅茶を拭いていると、胸元からネックレスがこぼれ落ちたのをチェリーが目ざとく見つける。
「それ、素敵ね」
「てへへ。少佐のプレゼントなんだ」
「ネックレスを贈る意味、知ってる?」
「いや。なに?」
チェリーはにやりと笑って「聞きたい?」と尋ねてくるが、勿体ぶってなかなか教えてくれない。頬を膨らませて「もういいよ」とそっぽを向くとようやく教えてくれた。
「相手を独り占めしたい、束縛の象徴よ」
呆けていたカーリンの顔が次第に赤く染まってにやてくる。
見た目冷徹なアレックスだが、なんだかんだで人気はあるので『みんなの教官』というイメージが強いだけに嬉しい情報だ。
― 独り占めしたいのはわたしの方なんだけどなあ。
この間の仔犬ではないが、アレックスに首輪でも贈ろうかと本気で考えた。
数日後、ランディがビアンカが三人で飲もうとアレックスを誘ってきた。
二人の魂胆はお見通しだが、結婚すればこうして会うことも少なくなると受けることにする。そして案の定、話題はカーリンとのお泊り誕生会へと流れていった。
「それで上手くいったか?」
「ランディったら無粋ね。で、どうだったの?」
― お前等二人とも無粋だぞ。
代わる代わる質問する同期カップルにため息をつく。
「泥酔状態で、それどころじゃなかった」
「お酒、飲ませたの? 酔わせてどうこうなんてとんでもないわね」
「お祝いだ。乾杯くらいするだろ?」
と、ランディが親友を援護した。
「一杯程度だったが、席を外して戻った時には手遅れだった」
「そうか」とランディは同情してアレックスのグラスに酒を注ぐ。せっかく思い出に残るプランを立てたのに、全てが水の泡となった無念さを同じ男として痛いほど分かる。
ランディもまたビアンカの酒癖の悪さで、どれだけのサプライズが無駄になったことか。
「また機会があるさ」
自分のことのように気落ちする彼に、アレックスは意外にも涼しげな顔だ。
確かにあの夜は散々だったが、嬉しい出来事もあった。
酔って「教官」と呼ぶ彼女にダメもとで名前で呼べと言ったら素直に応じる。
「てへへ、アレックス♡」
かなりの衝撃だった。
素面なら絶対に言わない彼女が満面な笑みで自分の名前を呼んでいる。あまりにも連呼するのでアレックスはたまらず唇で彼女のそれを塞ぐと、恍惚の表情で受け止めた。
そのあとは幸せそうに眠るカーリンに添い寝して夜を過ごしたのである。
念入りに準備したロマンティックな夜も、一筋縄ではいかないのがカーリン=リヒター・ド・ランジェニエールというべきか。
残念な夜以来、カーリンとアレックスは会う暇がなかった。むしろ、そちらの方が脛に傷を持つ身としては好都合なのだが。
その代わり、定時連絡は毎日欠かさない。今夜も、風呂から戻ってきたら携帯電話の着信音に急いで飛びついた。
「もしもし、少佐?」
『私よ。教官さんじゃなくてごめんなさい』
声の主はカーリンの母親で、てっきりアレックスとばかり思っていたカーリンはちょっと残念な口調である。
「お母様、どうしたんですか?」
『あなたの誕生パーティーなんだけど、いつがいいかしら?』
― 忘れてた……。
リヒター・ド・ランジェニエール一族で成人の祝いを行うと聞いていたが、恋人のプレゼント接待に浮かれてすっかり記憶から消し飛んでいた。
誕生日をもう一度やり直そうとも言ってくれたアレックスに報いるためにも今度こそは……。
『カーリン、いつが空いているの?』
「へ? ああ、ちょっと予定がまだ」
『近いうちに決めてね。じゃないとお義母様がうるさくて』
ヘレーナは先代の当主フリーデルに対しても無礼講で、カーリンには心強い味方だ。
「うん、わかった」
『ところで、教官さんはお祝いしてくれた?』
何故か顔が見えない電話口で、母親がにやけている絵が浮かぶ。
「してくれたよ。プレゼントも貰った」
『まあ、素敵!! また遊びにいらしてと伝えてね』
「伝えとく」
『カーリン』と言葉を切ったヘレーナが優しく問いかけた。
『幸せ?』
いろいろな意味が含まれているだろうが、今は文句なしに幸せである。よき上官、よき友人そしてよき恋人。
「うん。とっても幸せだよ」
娘の答えに満足したヘレーナが電話を切ると、カーリンは天を仰ぐ。
― 幸せ過ぎて怖いくらいだよ、お母様。
同時に、いつか崩れてしまうのではと不安になるのだった。




