ベビー・パニック その1
チェリーがご機嫌斜めなのは半分自分のせいと詰られたアレックスは、休日の朝セドリックを叩き起こした。
「セドリック、起きろ」
「一体なんです? わっ!! まだ六時じゃないですか!!」
眠い目をこすって大あくびをする彼をよそに、アレックスは無表情で見下ろしている。
「行くぞ」
「行くぞってどこへ?」
アレックスが放り投げた物を反射的に掴んで見てみると車のキーだ。
「これから実技訓練を行う。五分以内に支度をしろ」
腕組みをして仁王立ちする上官を恨めしそうに睨みながらも、素直に従ってしまう自分が恨めしい。
急いで身支度を済ませてきっかり五分に部屋を出るアレックスの後を追った。
連れて来られたのは駐車場で、アレックスの愛車しかも運転席に乗るよう促した。
「あの……」
「俺の車では不満か?」
「そうじゃなくて、どこへ行けばいいんでしょうか?」
セドリックはおずおずと運転席に座ったが、行き先も告げられずいささか不安げである。
「ナビ通り走ればいい」
「はあ」
「距離があるから疲れたら交代する」
― だから、どこへ行くんだよ!?
冷徹な上官は時々無茶をするので正直怖い。それこそ、自動車学校の教官よろしく助手席で腕を組むアレックスを横目で見ながらエンジンを掛けた。
低くしかしながら軽やかな音を立てるそれにセドリックは感嘆の声を漏らす。教習車と違って、さすが左官ともなれば上級クラスの車に乗っているものだと感心した。
「では、行きます」と合図してアクセルを踏む。
どうやら、ただのドライブでは済まず二人は交代して運転すること三時間半。到着した先は見慣れた部隊である。
「ここって……」
「あっ!! 教官!!」
聞き馴れた元気な声がして、車内を覗きこむチェリーにセドリックは唖然としていた。
「ちゃんと彼、連れてきてくれたんですね!!」
事情も分からずここまで連れて来られたセドリックは戸惑いを隠せない。
「どういうことだ?」
「逢いたい時に駆けつけるのが彼氏の条件ですよね、教官」
満面な笑みを浮かべるチェリーに、かつての教官は渋い表情だ。
「連れてこいとせがまれてな」
― ミュラー教官はほんと教え子には甘いよな。
やれやれと息を吐くセドリックは、この場に肝心な人物がいないことに気づいた。
「あれ? カーリンは?」
「ちょっと病院に結果を……」
病院と聞いてアレックスの顔色がさっと変わりカーリンを捜しに敷地に消えていくと、間もなくその彼女がやってくる。
どうやら恋人とは行き違いになってしまったようで、表情が暗かった。
「よお、カーリン。ミュラー教官が捜しに行ったんだけど会わなかったか?」
「あ、うん。それよりチェリー、どうしよう」
「診察の結果はなんて?」
チェリーとカーリンが身を寄せて何やら話し合っているので、セドリックもさりげなく聞き耳を立てる。
「お腹に赤ちゃんがいるって」
「やっぱり!! 様子が変だったものね」
「!!」
セドリックは驚いて二人を見やった。
「なんの話だ!?」
「セドリックには関係ないわよ」
チェリーが面倒臭そうに返事をすると、またカーリンに向き直って話を続ける。
― お腹に赤ちゃん!? おい、それって妊娠しているってことだろ!! まさか、カーリンが!?
「どうする? このままにはしておけないよ」
― 当たり前だ!! 父親は当然あの人だよな!?
「取り敢えずミュラー教官に相談してみろよ」
すると、女子二人は怪訝な顔を向けてきた。
「なんで教官に相談するのよ。関係ないでしょ?」
なんといっても、父親なんだから大ありだ。こんなことが何故分からないとセドリックの方が苛立つ。
「関係あるだろう!! 頼りになるじゃないか!!」
「そうだけど、こんなことまで頼るわけにはいかないよ」
カーリンが小さく笑うと、セドリックの胸は切なくなる。恐らくアレックスにはまだ伝えておらず、迷惑をかけるわけにはいかないと一人苦悩するカーリンとそれを共用するチェリーがいじらしかった。
「俺も相談に乗るから」
「でも、あなた部隊が違うでしょう」
「それこそ関係ないさ」
いきり立つ彼に、首を傾げながらカーリンは「ありがとう」と礼を述べる。
そこへ軽く息を弾ませて戻ってきたアレックスにカーリンが笑顔で迎えた。
― そんなに無理して笑顔でいなくても。
重大な悩みを知ったせいか、いつもの笑顔がかすんで見える。
ダブルデートの最中も、セドリックは気が気じゃない。自然と目はカーリンを追っている彼の脇腹をチェリーが肘で小突いた。
「誰、見てんのよ!? せっかく可愛いカノジョがいるっていうのに!!」
「ち、違うって。なあ、チェリー。さっきの話なんだけど……」
「さっき?」
「そ、その、赤ちゃんがどうって」
「ああ、あれね。あなたが心配することないから」
「だってカーリンが……だろ?」
「そうね。カーリンが心配よね」
アレックスの隣で笑うカーリンを横目で見ながらため息をつくチェリーに、これまたセドリックがため息をつく。
恋人が懐妊したと知ったとしたらアレックスはどう反応するだろうか。そして、この二人がそこまで深い仲になっていたと知ったセドリックは複雑な心境だった。
学校へ戻る二人は車内で無言だった。衝撃な事実を伝えるべきかどうか悩んでいたら必然的にそうなってしまうのだ。
正直、今日一日何をしたかも覚えていない。
「あの、ミュラー教官」
「ん?」
「子ども……、好きですか?」
突拍子のない質問にアレックスは驚いた様子だったが、セドリックは俯いて目を合わせる勇気がなかった。
「考えたこともないな」
「そうですよね」
「なぜそんなことを訊く?」
― やっぱり俺の口から言えないです。すみません、ミュラー教官。
「なんとなく……です」と口ごもって再び沈黙する。これは二人の問題だから他人の自分が口を挟む権利はない。
― だけど、カーリンが泣くのは見たくないなあ。
三時間のドライブは居心地が悪く、クッションのいい助手席もセドリックにとっては針の筵だった。
次の日からセドリックはため息の嵐だ。
「セドリック、悩みなら聞くわよ?」
げっそりとやつれた彼をビアンカが心配して声を掛ける。
「バルバート教官、俺どうしたらいいんでしょうか?」
泣きついてくる部下を豊かな胸に抱き寄せて子どもをあやすように髪を撫でた。これは嬉しい誤算だと、怒れるチェリーを追いやると遠慮気味に頬を摺りつける。
「まあ、可哀そうなセドリック。どうしたの?」
「実はカーリンのことなんですけど、出来ちゃったみたいなんです」
「出来たってなに?」
「……赤ちゃんです」
ビアンカは瞬きを数回すると、いきなり声を上げて笑い出した。
「やだ、何言ってんのよ」
「俺だって信じたくないですよ。でも、本当なんですってば」
あまりにもセドリックが真剣に訴えるので、ビアンカは笑うのをやめて真面目な顔となる。
「本当なの? 相手はアレックス?」
「だと思います。ミュラー教官にはまだ伝えていないみたいですが、どうすればいいでしょうか?」
「どうするってこれは当人たちの問題で、わたし達が口出しする道理はないわ」
彼女の言うことももっともで、どうにか円満に解決できないものかと二人は頭を悩ました。
「カーリン、産むんですかね?」
「そりゃあ、愛する彼の子どもですもの」
「誰が産むって?」
「だから、カーリ……」
第三者の問いに答えたビアンカがはっとして恐る恐る振り向くと、そこには険しい顔のアレックスが立っていた。




