片想いは切なく
シノブが出勤すると、教官室のソファで寝息を立てる者がいた。近づくと栗色の髪が見えてアレックスと確認する。
長い脚を投げ出して横たわる彼を起こさぬようそっと近づいて覗き見た。鋭い眼差しを伏せているせいか意外と幼く、精悍さは薄らいでいる。
寝顔を見たのは初めてで、特別な関係しか許されない感覚に背徳的な気持ちとなった。
しばらく見つめていると、気配に気付いたのかアレックスがうっすらと目を開ける。
「カワサキ教官……?」
「お早うございます。昨夜はここへ泊ったんですか?」
「ああ。もうこんな時間か」
アレックスがおもむろに上体を起こして背伸びをする。先程の気持ちはどこへやら、寝起きの彼を見れられるとは少し得した気分だ。
シャワーを浴びてくると言い残して私室へ向かう彼を見送って、シノブがソファに視線を戻すと戦闘服の上着が無造作に置かれている。
手に取り、ネームプレートの名前に口元が綻ぶ。
― ミュラー教官の戦闘服……。
生地の厚い戦闘服では寝心地が悪かったのか、脱いでそのまま忘れていったようだ。長身の彼らしい大きな上着をそっと胸に抱いて頬を寄せる。
叶わない片想いだからこそ、少しでも彼の温もりを感じていたい。早朝の誰もいない部屋だからこそ、気持ちが煽られる。
近づく足音に、我に返ったシノブは咄嗟に上着をソファに戻した。
「お早うございます。早いですね」
自分が一番乗りと思っていたセドリックだが、シノブが目に入り大きな欠伸を慌ててかみ殺す。
「お早う。あなたこそ早いのね」
「軽く掃除をしておこうと思いまして」
教官の中では階級も年齢も一番下の彼は、朝一でコーヒーの準備をしたり各々の机を拭いたりと忙しいのだ。
「あれ? この服はどなたのですか?」
「ミュラー教官のよ。今、シャワーを浴びていらっしゃるわ」
「また泊まったんですね。無茶するなあ」
実は、週末カーリンに会うために仕事を詰めていることをセドリックは知っている。有能が故に仕事の量も半端ないのに、おくびにも出さず淡々とこなす上官に頭が下がる。
そこへ心身ともにさっぱりしたアレックスが戻ってきた。
「ミュラー教官、お早うございます」
「お早う」
「あまり無理なさると体調を崩しますよ」
セドリックが淹れたてのコーヒーを差し出したので、アレックスは受け取って椅子に座る。
「やわな鍛え方はしていない」
「そうでしょうけど。俺も及ばずながら手伝いますので遠慮なく言い付けて下さい」
「頼もしいな」
軽く笑ってカップに口を付ける横顔に、シノブは後ろめたい感情でまともに目を合わせらずにいた。
誰ともなく時計に目を向けると、課業開始の時刻となりアレックスが戦闘服の上着に手を伸ばす。シノブがすっと取ると、着やすいように後ろから手伝ってやった。
「ありがとう」
「いいえ」
ボディソープの香りがまた気持ちを煽り、誰も居なければ広い背中に顔を埋めていたかもしれない。だが、それが許されるのはあの金髪の少女だけなのだ。
「ミュラー教官はリヒター・ド・ランジェニエール伍長と付き合っていらっしゃるんですか?」
訓練場へ向かう道すがら、シノブの質問にアレックスの眉がピクリと動いた。
「プライベートなことをお聞きしてすみません」
自分でも何故こんなことを口走ったかは分からないが、上官に対してかなり失礼な台詞である。だが、アレックスは咎めず頷いた。
「隠すつもりはないが、知っていたのか?」
「先日、彼女が来た時にそう感じたものですから」
嘘だった。「実は、あなたの携帯電話へ無断で出て知ったのです」とは今更告白できるはずもない。
― 女の勘は侮れんな。
そうとも知らず、アレックスは憮然としていた。自分では公私ともに弁えていたつもりだったが、どこかでそういう素振りが表れていたとは。
「歳も離れていてしかも教え子だ。いい感情を持たないのは当然だと思う」
「人を好きになるのに関係ありません。わたしだって……」
言い掛けたシノブがはっとして口を結んだ。大人しく控え目な彼女が意外だと思ったが、妙齢な年頃なので恋の相手がいてもおかしくない。
「カワサキ教官が? 愚問だな、失礼」
アレックスも部下のプライベートに踏み込み過ぎたと反省しきりだ。
「私は恋愛沙汰には疎いから気の利いた助言はできない。期待するな」
苦笑交じりに言う彼を今日ほど恨めしく思ったことはなかった。
昼休み、ロビーに数人の女子が集まって談話していた。話題はもちろん『教官トップ4』についてである。
「マーティン教官はカノジョがいるって言ってたわ」
「えーっ!! やっぱりね。バルバート教官も婚約中だし、フリーなのはカワサキ教官とミュラー教官ね」
「カワサキ教官はともかくミュラー教官ってカノジョいそうじゃない?」
「そうそう。悪女か女スパイとか」
無責任にはしゃぐ彼女等の傍で、一人暗いオーラを放つ男子がいた。アレックスに返り討ちに遭ったエルマンである。
― 知らないっていいなあ……。俺もあの夜、あの道を通らなければ……。
月夜に照らされて、自分と年が変わらない恋人とキスをする冷徹教官を直ちに頭から振り落とした。
あの夜以来「王様の耳はロバの耳」と呪文みたく頭を駆け巡っている。
「じゃあ、カワサキ教官とどう? あの二人結構お似合いだと思わない?」
「やめろよ!!」
いきなり背後から怒鳴るエルマンに女子は目を丸くした。
「な、なによ。盗み聞き?」
「お前らの声がでかいんだ。そういうの、大きなお世話って言うんだよ」
「あんたには関係ないでしょう?」
二人は知らず知らずヒートアップして、しまには互いの班の訓練生が加勢にきてちょっとした騒ぎになる。
そして、その小競り合いを収めるのが大抵はセドリックの役目だ。
「一体、何の騒ぎだ!!」
興奮する二人の間に割って入ると、鋭く一喝する。
「だって男子が口を挟んでくるんです」
「女子が無責任すぎるんだよ」
感情だけが先走り、事情が読めないセドリックが後ろ髪をかきむしった。
「ああ、もう!! 一人ずつ話せ!!」
二人はしゅんとなり、互いに目配せして譲り合う。冷静になってみると、実にくだらないことで口論していたと気が付いたのだ。しかもアレックスを敬愛するセドリックに、シノブと恋仲にするしないの内容を知ればこの騒ぎどころではない。
「大したことじゃありません。お騒がせしました」とエルマンが謝罪して場を凌いだ。
自分の教え子が騒ぎを起こしたと聞きつけたシノブは、張本人を教官室の前にある廊下へ呼び出した。
「どうしてあんな騒ぎになったの?」
「すみません」
「理由を訊いているのよ」
今日のシノブは険しい表情で問い詰めている。学校は規律を重んじるだけにショックが隠せない。
「その……、男子が……」
「そのくらいにしておけ」
言葉に詰まり、今にも泣き出しそうな女子に通り掛かったアレックスが間に入った。
「ミュラー教官」
「訓練生はこんなものだ。それに女子は騒ぐのが好きだからな」
半年間、女子の班を受け持ったアレックスは嫌というほど痛感している。
「でも」
「いざとなれば助け合う仲間だ。謝るのが先だと思うが?」
諭すように女子を促すと、真っ赤な顔で敬礼して小走りでエルマンの所へ戻っていった。
「ミュラー教官は甘過ぎます」
ため息をつくシノブに「そうかもな」と彼は苦笑する。
訓練は容赦ないのに人に対しては惜しげもなく愛情を注ぐ。だからこそ訓練生だったカーリンは彼に恋して、教官だったアレックスは彼女に惹かれたに違いない。
もし、出会った順番が逆だったら……と思わずにはいられなかった。




