二人っきりのトラブル
「マーティン伍長、行くぞ」
「はい」
師弟コンビのアレックスとセドリックは、朝から軍服に身を包んで教官室を出ていった。今日の予定は、軍人学校へ寄付している民間企業への挨拶回りとなっている。
運転免許を取ったばかりのセドリックを運転手に指名したのは、彼の将来を見越して主要人物との顔合わせも兼ねたアレックスなりの配慮だ。
廊下を歩くセドリックがしきりに首元を気にしている。
「どうした?」
「ネクタイが上手く結べなくて」
訓練生と比べて軍服を着る機会が増えてきたが、それでもネクタイは苦手だ。昨夜も練習をしてみたがどうもうまくいかなかった。
「貸してみろ」
アレックスが近づき、彼のネクタイをするりと解いて結び直す。ふわりと香るシトラスと息遣いが聞こえてきそうな至近距離に、男同士にも関わらずセドリックの胸は次第に高鳴った。
顎を少し上げろと言われて、慌てて上を向く。
― うわぁっ!! ミュラー教官とこんなに近いなんて緊張する!!
まるで夫のネクタイを妻が結んであげていますみたいな光景に、訓練生の好奇な視線をセドリックは背中でひしひしと感じた。
チラッと目線を下に向けると、慣れた手つきでネクタイを結び終えたアレックスとばっちり目が合った。
「あ、ありがとうございます」
わずかに頬を緩ませて応える彼に、顔が赤らむ自分に落ち込む。
― ごめん、チェリー。お前以外にときめいちゃったよ。
セドリックは心の中でチェリーに詫びた。
公用車に乗り込んだ二人だが、アレックスが助手席に座ってきた。
「ミュラー教官は後部席にお願いします」
「後ろは好きじゃない」
「好き嫌いの問題ではなくて、上官なんですから位置的にはそうでしょう」
「偉そうで気が進まんな」
「少佐は充分偉いでしょうに」
部下に諌められて後部席に座り直したアレックスは、長い脚を組んで書類に目を通している。セドリックはルームミラーから窺い、ほっと胸を撫で下ろした。
企業のトップと挨拶を済ませて、二人はエレベーターに乗った。
「あの方、ミュラー教官を随分ご執心でしたね」
隙あらば体に触れてくる中年の取締役に、無表情で耐えてきたアレックスはげんなりして呟く。
「軍人フェチらしい」
確かに、アレックスほど軍服が似合う軍人はいないだろう。ぶっと吹き出すセドリックを睨んで不機嫌そうに壁に寄り掛かった時だった。
ガクンッ!!
突然、室内が大きく揺れてエレベーターが止まった。照明も消えたので、セドリックが急いで緊急用のインターフォンに手を伸ばす。
「もしもし、こちら三号機ですが状況を教えて下さい」
『こちら、本部です。電気系統に不具合が起きました。ただ今原因追究と復旧を行っておりますので今しばらくお待ち下さい』
「復旧の目途は?」
と、アレックス。
『調べてみないと分かりませんが、恐らく二時間ほどかと』
二時間―――。
二人は顔を見合わせてため息をついた。
軍人は不測対処の訓練は受けているが、これは予想外である。狭い空間に男二人、しかも空調も止まり次第に温度が上昇して汗ばんできた。
「暑いな」
アレックスが上着を脱いでネクタイを緩めると、セドリックもそれに倣う。
沈黙が不安をかき立てるので、二人はなんとか話題を探して結果的に恋人の話となった。
「ブライアント伍長とは上手くいっているのか?」
「ええ、まあ。ミュラー教官はいかがですか?」
「まあ、それなりだ」
「少なくともカーリンは上手くいってると思ってますよ」
小さく笑うアレックスに違和感を覚える。
「付き合っている間は大事にしてやれ」
― カーリンと何かあったのかな?
この時、アレックスに脳裏には父ダスティンとのやり取りが蘇っていた。
父親に指摘された通り、交際の延長に結婚も考えている。それだけ彼女を愛しているが、十七歳とまだ若いので束縛して将来を妨げたくない。
それにカーリンが貴族出身という事実も無視できないでいた。
アレックスがカーリンとの交際を報告するために彼女の実家を訪ねたのが卒業後である。当主の父親とは会えなかったが、母親と祖母と再会して二人の温度差を目の当たりにした。
前者は好意的で後者は妥協。
それでも、隣に寄り添う恋人のために表情は変えなかった。
もし、セドリックだったらどうなっていたか。隣でハンカチで汗を拭う彼を横目で見た。
「セドリック」
「はい」
「なぜカーリンを好きになった?」
「え?」
突然、元カノの話題となりセドリックはごくりと唾を飲む。
― 一体、なんの罰ゲームですか!?
思いがけない問いにセドリックは混乱した頭で慎重に言葉を選んだ。
「明るく元気で可愛いし、一生懸命なところでしょうか。あ、もちろん今はただの友達ですからご心配なく」
「見る目はあるな」と納得すると黙ってしまったので、空気を変えようとセドリックが提案する。
「ただ黙って待っているのも退屈ですから、何かゲームをしませんか?」
「どんな?」
「しりとりなんてどうですか?」
他には浮かばなかったので、早速始めようとしたセドリックを制する。
「ただやっても面白くない。負けた方が秘密を暴露する、どうだ?」
自分は負けないという自信の表れか、いつになくアレックスの挑戦的な笑みに彼も乗った。
「いいですよ。受けて立ちます」
にわかに緊張感も漂い、セドリックが口笛を切る。
「しりとり」
「りす」
「スイカ」
「かもめ」
最初は順当にいっていたが、時が経つにつれて単語も出尽くしてしまいに軍事用語が飛び出す。
「訓練実施要項」
「えー、また『う』ですか!?」
何度も巡る文字にセドリックはうんざりした声をあげた。
「降参か?」
「今、考えていますから」
負けたとしても正直に話さなくてもいいのだが、そうしないのは男の意地か。
「ところで、ミュラー教官に秘密なんてあるんですか?」
「秘密くらいあるさ。取って置きのやつがな」
「カーリンも知らない?」
「ああ、お前だけに教えてやる」
お前だけ、と囁かれてセドリックは俄然やる気を出した。それにしても、ふたりっきりになると冷徹なイメージから一転、甘いムードになるのは気のせいだろうか。
「運転実施要項!!」
ようやく絞り出した答えにセドリックはドヤ顔だ。
― また『う』か。さすがに思いつかんな。
アレックスは前髪をかき上げてありったけの単語を探っていると、照明が点いて再びエレベーターが動き出した。
最寄りの階でドアが開くと、数人の社員が一斉に雪崩れこむ。
「大丈夫ですか!?」
「お怪我は!?」
「特になにも。お気遣いなく」
汗だくの軍人二人を取り囲んで、やれ病院だ謝罪だと辺りは騒然となった。ついにあの取締役まで現れて、ぎょっとしたアレックスが丁重に辞退すると部下を連れて足早に立ち去るのだった。
「ミュラー教官」
「なんだ」
「『う』ですよ」
「『う』?」
「しりとりの決着がついていなかったでしょう?」
公用車での帰り道、信号待ちしているとセドリックがニヤニヤした顔で振り向く。
「エレベーター内の話だ。もう無効だろう」
「それはないですよ。俺、一生懸命考えたんですから」
アレックスが大きく息を吐いてシートに深く体を預けると、携帯電話のバイブレーションが彼の上着を通して知らせた。
「ミュラーです。はい……、二人とも無事だったのでお気になさらずに。……食事? いえ、本当にお気持ちだけで」
どうやら先ほどの取締役が相手で、不手際を詫びたいと食事に誘われているようだ。しつこい勧誘に困り果てる上官をほくそ笑むセドリックである。




