恋人たちの悩み
「はあ……」
朝一で大きなため息をつくセドリックにアレックスが振り向いた。
「朝からなんだ」
「すみません。というか、半分はミュラー教官にも責任はあるんですよ」
「は?」
これは異なことを、とアレックスが怪訝な顔をする。
セドリックが言うには、ここのところ忙しくてチェリーと会う暇がなかったらしい。最初のうちは謝っていたが、考えてみれば遊んでいるわけでもないのに……と釈然としない気持ちがある日爆発したとのことだ。
「しまいには『わたしと仕事、どっちが大事!?』とか『浮気しているの!?』とか言いたい放題なんですから」
「大変だな」と他人事なのは、カーリンが気を遣ってわがままを言わないせいだろうか。もし、彼女がそうなったら先日みたいによほど切羽詰まった状況に違いないのだ。
「それで、私とどう関係があるんだ」
「ミュラー教官、この前朝帰りでしたね。あれってカーリンの所へ行っていたんでしょう?」
「ああ」
どうせ隠してもチェリー経由でばれているので素直に白状すると、またもやセドリックが盛大なため息をついた。
「平日の深夜でも恋人が逢いたいと言えば駆けつけるなんて、カッコいいことするからお陰でこっちはいいとばっちりですよ」
あれは緊急事態で、しょっちゅう駆けつけているわけではない。そう答えたら余計ややこしくなるのでアレックスは敢えて口にしない。
ダスティンには勤務に支障はきたさないと大口を叩いたが、往復六時間の移動はさすがにきつかった。
「それだけ愛されているんだ。大目に見てやれ」
セドリックが目を白黒させてこちらを凝視している。
「……真顔でおっしゃらないで下さい。こっちが照れますから」
「ふざけては言えんだろう」
「ご自分の影響力も考慮しないと後々面倒ですよ。ところで、カーリンに愛してるって言ってるんですか?」
「言わないのか?」と逆に聞き返す上官に唖然とした。
― 言うんだ……。カーリン、お前が羨ましいよ。
「言葉にしないと伝わらんからな。特に彼女の場合は」
「ははは、確かに鈍感ですものね」
「あら、あなたは言ってあげないの?」
横からビアンカが参加して、朝っぱらから『恋バナ』を展開する。
「強制的に言わされていますけど、自分からはちょっと恥ずかしくて」
「あのアレックスでさえ愛を囁き合っているというのに」
「バルバート教官がおっしゃると、物凄くいやらしく聞こえるんですけど」
場数を踏んでいるビアンカには勝てず、顔を赤らめるセドリックの傍でアレックスは淡々と訓練の準備をしている。
「じゃあ、お聞きしますがカルマン大尉はどうなんですか?」
「あいつ? 愛してるの大バーゲンよ、おまけにキス付き。あそこまでされるとわたしでも引くわ」
げんなり顔のビアンカが肩を竦めた。今頃はランディがくしゃみを連発しているかも知れない。
「いいじゃないですか、それだけ愛されているんですから」
アレックスの受け売りで返すと、セドリックは椅子の背もたれに体を預けた。諸先輩方は想像以上に気持ちを相手に伝えていて、恋に積極的だと自負していた自分こそが奥手だという真実に憮然とする。
カーリンは相手が階級も上で十歳も離れているので参考にはならないので、どちらかというとビアンカとランディの同期ペアの方が当てはまる。
ただのわがままならセドリックも相手にしないが、チェリーはああ見えて繊細だ。自分の弱ったところを決して見せないので、わがままの裏に隠された本音に気付いてやらなければ大変なことになる
もし、カーリンと付き合っていたら……などと妄想するのはご法度なのでやめた。仮につきあったとしても、上官に向けるあの笑顔はしては見せてくれなかっただろう。
「はあ……」
ため息をつくと幸せが逃げていくと言うが、もう一生分を逃したような気がする。
「マーティン教官」
甲高い声に振り返ると、数人の女子が嬉しそうに駆け寄った。
「マーティン教官ってカノジョいるんですか?」
最近の女子は口を開けばそればかりである。チェリーも似たようなものだが。
「いるよ」
「え――っ!! ホントですか!!」
「どんな人ですか? 可愛い?」
「そこそこかな」
チェリーの膨れっ面が頭に浮かんだがこの際無視する。
「マーティン教官、カッコいいですものね。ミュラー教官はいるんでしょうか?」
「あー、どうだろう。あのルックスだし、いるんじゃないのかな」
カーリンのことをばらしたら、アレックスを襲撃した訓練生ではないが今度こそ命が危ない。
「わたし達の間でマーティン派とミュラー派があって、どっちが素敵か議論しているんですよ」
「へえ。で、どちらが有利?」
「今のところ、マーティン教官かな? 歳も近いし親しみやすいから」
セドリックも年頃なので、訓練生の女子に騒がれて悪い気はしない。しかも、アレックスに勝っているとなれば尚更だ。
「ミュラー教官も大人の魅力があっていいですよね。ここだけの話、男子に熱烈的なファンもいるみたいですよ」
声を潜める女子にセドリックは「ふうん」と相槌を打った。確かに、あの鋭い視線と男らしさはそのテのタイプにはたまらないだろう。
「君たちはどっち派?」
「もちろん、マーティン教官です!!」
「清き一票、ありがとう」とよそいきのスマイルに、女子達が黄色い声を上げた。
上官達に煽られたわけではないが、昼休みセドリックはチェリーに電話を掛けた。
「よお、チェリー。そっちも休憩か?」
食堂にでもいるのか、随分と周りが騒がしい。
『ちょうど昼ご飯食べていたところよ。こんな時間に掛けてくるなんて珍しいわね』
「ちょっと暇になったから、どうしているかなあってさ」
『ふうん。珍しいこともあるんだ』
「あのさあ」
『ん?』
気持ちは言葉にしないと伝わらない
尊敬してやまない上官アレックスの教えが脳裏を木霊する。「愛している」とまではいかなくても「好き」くらいはいけそうだ。
「俺、お前が好きだ」
清水の舞台から飛び降りる、そのくらいの勇気はあったが一方チェリーの反応は
『何か悪いもの、食べた?』
「は?」
『もう行かなきゃ。切るわよ』
「お、おい、チェリー!?」
セドリックの呼び掛けも虚しく、無情にも通話終了となった。
「なんだよ!! 俺がどんな思いで!!」
恥ずかしいやら悔しいやらでつい壁に八つ当たりしていると、シノブが近くに目を丸くしている。
「あ、すみません。つい感情的になって」
「ふふふ。いいのよ」
胸に資料を抱えたシノブが微笑んだ。セドリックが半分持って一緒に教官室へ歩いていった。
「カワサキ教官は気持ちを言葉にできますか?」
「え?」
「言葉にしないと、なかなか相手に伝わりにくいかなって思うんですよ」
「そうね。だけど、それが一番難しいんじゃなくて?」
「そうなんですよねえ」
この時セドリックはチェリーのことで頭がいっぱいだったので、シノブの切ない表情に気付かないでいる。
夜、恒例の定時報告となったカーリンとアレックスが電話で話している。
父ダスティンとの一件はなんとか片付いたと彼女に話すと、いつもの明るい声が戻ってきた。
『お父様とケンカしませんでしたか?』
「大丈夫、していないよ」
『よかった』
カーリンは心底ほっとした様子だ。彼女と恋人同士にならなかったら、父親と直接話し合う機会もなかったに違いない。
そして、会わなければダスティンの胸の内も永遠に知り得なかっただろう。
「カーリン」
『はい?』
「ありがとう」
突然礼を述べられて電話の向こう側で困惑している彼女に感謝した。




