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二人のミュラー少佐 その3

 雨があがった頃にカーリンの涙も止まり、静かな車内で指を絡めた二人はしばし無言だった。

「そろそろ帰らないと」

「ああ」と短く返したアレックスが指を離してエンジンをかける。隣には不安げなカーリンがこちらを見ていた。

「俺から父に話してみる」

「お父様は少佐のことが心配なんです。だから……」

 父親からかなり厳しい言い方をされたはずなのに、庇護する彼女がいじらしい。

「分かってる」

 アレックスが小さく笑うと、カーリンもまだ不安が残る笑みを浮かべた。


 部隊のゲート付近で車を停めると、カーリンが軽く息を吐いて助手席から降りた。

「ありがとうございました。気を付けて帰って下さいね」

「帰りは遅くなるからメールだけ入れておくよ」

 外灯に照らされたカーリンの目は泣き腫らして赤い。

「お休みなさい」

「ああ、お休み」

 彼女がゲートの向こう側に消えていくのを見届けると、アレックスは携帯電話を手に取った。

「アレックスです。近くに来ているので会えませんか?」


 

 アレックスが向かった先は部隊からほど近いホテルだった。夜とはいえ黒のジャージ姿は人目を引いたが、本人は構わずロビーの方角を見据えている。

 やがて、現れた人物を見つけると険しい表情で歩み寄った。

「ひさしぶりです、父さん」

 ダスティンは五年ぶりに会った逞しい息子に目を見張る。

「本当に来ていたとはな。まさか、あの子のためにこんな無茶を?」

「いけませんか?」

 幼い頃から感情をあまり表に出さないアレックスだが、グレーの瞳は明らかに怒りの色が隠せないでいた。

「いや。ただ驚いているだけだ」

 

 カーリンと別れて、ホテルに戻ったダスティンが書類に目を通していると携帯電話が鳴った。表示の名前に顔色が変わる。

 電話に出ると久々に聞く息子アレックスの声だ。カーリンかランディが伝えていたとしたら、近いうちに連絡があると予感していたので大して驚きはしなかった。

 それにしても、冷静な判断ができる息子が数時間かけて夜遅くに訪ねたという事実が信じられない。しかも、アレックスの格好ときたら寛いでいるところに急に呼び出されたといった風である。

「明日は休みなのか?」

「いいえ。勤務に支障はきたしませんのでご心配なく」

 たかが女のために、と冷笑するダスティンににじり寄った。

「カーリンと何を話したんですか!?」

「彼女はなんて?」

「なにも喋らないからあなたに訊いているんです」

 歳を重ねる毎に自分に似てくる息子に目を細める。


 フラッツェルン紛争で英雄として祀り上げられたアレックスは、たった数日で父親の階級と並んでしまった。

 当時二十二歳の彼は感情の整理がつかず、ダスティンの部隊へ訪ねてきたことがある。だが、苦悩する息子より軍人としての職務を優先してその日はとうとう会わなかった。

 この時、アレックスは孤独だった。

 嫉妬、憎悪、好奇の目に晒されて生きていくのだと覚悟もしている。親友のランディもいたが、やはり軍人として父親として尊敬しているダスティンに胸の内を聞いてほしかった。

 多忙なのは分かっている。ほんの一言、二言だけでも言葉を交わばどんなに救われたことか。すがる思いで待っていたのに、父親は会いに来てくれなかった。

 その頃からだろうか。二人の関係がぎこちなくなっていく。義理の母や妹のいる実家にあまり帰省することもなくなった。

 カーリンとの交際も近況報告として告げたまでのことで、ダスティンに許しを請うためではない。


「二人の関係を考え直してほしいと頼んだ」 

 予想はついていたが改めてダスティンの口から直接聞くと怒りがこみ上げた。ダスティンは、アレックスが強く握り締める拳を一瞥する。

「リヒター・ド・ランジェニエール家は名ある貴族だ。彼女自身、家督を継がなくとも身分違いは無視できない」

「何が言いたいんですか」

 アレックスが鋭い視線を向けると、ダスティンは動じず真っ向から受け止める。

「将来のことを見据えて言っているんだ。事情も知らない貴族達に傷口を抉られるような真似に耐えられるのか」

「それは俺の問題で、父さんには関係ないでしょう」

 親子なのに他人行儀な喋り方をするアレックスに盛大なため息をついた。

 どうやら五年の歳月は、二人の間に大きな確執となったらしい。

「こどもがみすみす苦労する道を選ぼうとしているのに、見過ごす親がどこにいる?」

「俺はもう二十七です。子どもじゃない」

「最悪の場合、お前から身を引くのは解りきったことだ」

 硬く口を結んでアレックスは立ち尽くす。自分が障害となるなら別れるのも厭わない覚悟があったからだ。

「お前はメアリーに似て優しい。周りが幸せになるなら自分が犠牲になっても構わない、そうだろう?」

 メアリーとは、十五年前に病死したアレックスの実の母親で物静かで優しい女性だった。

 ダスティンは続ける。

「葬儀の場でお前は一切泣かなかったな」

「それは……」

 最愛の母がこの世を去った事実が受け入れられなかったのもあるが、柩を見下ろして静かに涙するダスティンにこれ以上哀しみを与えたくなかったのかも知れない。

 だから、アレックスは葬儀のあと家の裏で人知れず号泣した。

「子どもながら私を気遣ったんだろう。あのあと、家の裏で泣いているお前を見てつくづく親子だと実感した。メアリーもそういう女だったからな」

 全てを見抜かれたアレックスは大きく目を見開いて身動きすらできずにいる。

「十五年前も五年前も苦しんでいるお前を救ってやれなかったことを悔いているんだ。子どもの幸せを願うのは親の役目だからな」

 ここまで語るとダスティンはかすかに笑った。

 冷徹だが子どもを想う父親と無関心を装っていても心の片隅で慕う息子。

 どんなに強がっても、何歳になっても親子の絆は消せないのだと思い知らされた瞬間だった。

「カーリンと言ったかな。あの子の両親も同じ気持ちだと思うがね」

「気を付けて帰りなさい」と自分より少し高い肩を叩いてダスティンが部屋へ戻っていくと、アレックスはただ見送るだけとなる。



 はやる気持ちを抑えてカーリンの元へ向かった往路とハンドルを握る手も重い復路、いづれも三時間は長かった。

 先ほどまで恋人がいた助手席に目をやる。しばらく空席だったこの場所もカーリンが座ってから随分と賑やかになった。

 巡るましく表情が変わる彼女は見ていて飽きない。

「少佐!!」

 元気のいい声が耳元で蘇り、思わずバックミラーで姿を捜す自分に苦笑した。カーリンと別れたら一体何が残るというのか。



 後日、アレックスの携帯電話に意外な人物から掛かってきた。

『アレックス、元気にしてる?』

 義理の母であるエセルだった。堅苦しい夫と反対で彼女は陽気で明るい性格で、今は父子の緩和剤になってくれている。

「母さん、ご無沙汰しています」

『ダスティンが余計なことをしたらしいわね。大丈夫?』

 ダスティンが話したとも思えないので尋ねてみた。

「何故、それを?」

『そりゃ夫婦だもの。様子がおかしかったから問い詰めたら白状したわ』

 

 ― まるで取り調べだな。


 無表情な父親がエセルから喧喧囂囂に説教されている図が目に浮かび、頬が緩んだ。それにしても冷静沈着なダスティンからわずかな心境の変化を読み取るとは大した妻である。

『とにかく行けるところまでいけばいいのよ。先のことなんて誰にもわかりゃしないわ』

「応援しているから」と励まされると、援軍を得た心強さを感じた。

 そう、先のことは分からない。カーリンと一緒の時間を過ごせたらそれでいいのだから。

 





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