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二人のミュラー少佐 その2

 自分とアレックスは不釣り合いと言った時、「そんなことはない」という答えを心のどこかで期待していたのかも知れない。 

 だから、「そうだな」とダスティンに肯定されたときカーリンは血の気が引くのが分かった。

「今はダメだけど、頑張って少佐に相応しい人間になります!!」

 いきり立つ彼女を周りの客がジロジロと見ているので、ダスティンは座るよう促す。

「誤解しないでほしいんだが、相応しくないのは君じゃなくてアレックスの方だよ」

「えっ?」

 彼の意外な一言に、カーリンは目を丸くした。

「リヒター・ド・ランジェニエール、貴族の中でも名高いのは私も知っている。庶民のミュラー家とは釣り合わないと思うがね」

 ダスティンは静かに語り始める。

「あれは一途な男だ。きっと君との結婚も考えているだろう」

「けっ……こんですか?」

 一度は夢見た言葉にカーリンの頬が赤く染まった。

「ああ。そうしたら、否が応でも貴族と関わりが出てくる」 

 将来のことまで考えておらず、今が幸せならそれでいいと願う本人達の意思とは裏腹に様々な問題が浮き彫りになってくる。

「不躾な質問だが、アレックスに抱かれたことは?」

 本当に不躾だった。

 初対面の、しかも恋人の父親にそこまで報告しなくてはならないのか、釈然としない思いが胸に渦巻く。正直に答えていいものかと困っているとダスティンは続けた。

「まだなら、二人の関係をもう一度考え直してほしい。お互い離れがたくなる前に」

「わたしは貴族の生活に戻ろうとは思いません。家も兄が継ぐことになっています」

 言葉足らずだが、今の気持ちを伝えようと必死だ。脳裏にアレックスの顔が浮かんで消えない。

「本人達はいいとしても、やはり子どもに幸せになってほしいと願うのが親心だ。君のご両親もそれ相応の相手と生涯を過ごしてもらいのではないかね?」

「……わたしと一緒だと少佐は幸せになれないんですか?」

 おずおずと尋ねるカーリンに彼は深くため息をついた。

「最初に言ったとおり、息子が肩身の狭い思いをするのは目に見えている。たださえ、不名誉な肩書があるんだ。事情を知らない者達に傷口を抉らせたくないんだよ」

 穏やかな口調だが辛辣な言葉を放つ父親を、カーリンは黙って受け止めるしかない。


 ― やっぱり来るんじゃなかった……。


 都合が悪くなれば途中で帰ろうと軽く考えていたが、実際には足が震えて立つことすらままならないでいた。

「……どうすればいいんでしょうか」

 ようやく喉の奥から絞り出した台詞がこれだった。訊いた後からしまったと後悔したが取り返しがつかない。

 ダスティンが遠回しに二人に別れろと促しているのは鈍感なカーリンでも読み取れた。

 答えはもう決まっている。

「悪く思わないでくれ。苦労ばかりしている子だから心穏やかな人生を送ってほしい、それだけだ」

 ダスティンはテーブルに置かれた伝票を取って席を立った。


「お客様、申し訳ございません。もう閉店となりますので」

 店員に声を掛けられたカーリンは我に返り、辺りを見渡すと既に客は彼女一人となっていた。「すみません」と慌てて立ち上がると小走りで店を出る。

 アレックスの父親が去ってからどのくらい、あの場所にいたのだろうか。

 頭の中は先ほどの会話がグルグルと回っていて混沌としていた。

 ぼんやりと部隊へ戻るカーリンのバッグから着信音が聞こえてくる。取り出すと相手はアレックスだ。受けたくはなかったが、声が聞きたい一心で指が動く。

「こんばんは」

 我ながら声が震えていると苦笑した。勘の鋭い彼は何かあったと察しているはずだ。

『どうした?』

「今日も失敗しちゃって、結構へこんでます」

 不意に涙が頬を伝った。声を聞いて緊張の糸がぷつりと切れたのか、手で拭うも止まらない。

『泣いてるのか?』

「やだなあ、泣いてなんかいませんって」

『カーリン』

 ひょっとしたら幸せなのは自分だけかもしれない。鈍い自分はアレックスが傷ついていることも分かっていないかもしれない。

 優しい恋人はそんな傷を隠して傍で微笑んでいるとしたら……。

「……逢いたい」

『えっ?』

「逢いたいです、少佐!! 逢って話がしたい!!」

 堪えていた感情が涙と共に一気に噴き出す。

「逢いたい!! 逢いたい!!」

 もう自分ではどうすることもできずに、電話に向かって泣き叫んだ。多分、彼は電話の向こう側で困り果てているに違いない。

 既に時刻は九時を回っているし、片道三時間の道のりはどう考えても難しい。

 嗚咽する彼女の耳に聞こえてきた返事は信じられないものだった。

『場所を教えてくれ。今からそっちへ行く』



 いつも掛かってくるカーリンの電話がなかったのでこちらからしてみると、彼女は泣いていた。しかも「逢いたい」と連呼してくる。

 こちらの事情を察して滅多にわがままを言わないカーリンが泣きじゃくっていた。何かあったのだと居ても立っても居られず、気が付けば車のキーを手にして私室を飛び出している。

 寝間着代わりの黒いジャージというラフな格好だが、着替える時間すら勿体ない。

「ミュラー教官、どちらへ?」

 途中セドリックとすれ違い、「外出する」とだけ言い残して駐車場へ向かった。

 法定速度で走れば三時間はかかる距離を、焦る気持ちそのままにアクセルを踏み一気に飛び越える。明日も勤務があるのだが、優先順位は恋人の涙だ。

 傍にいられない分、こんな時こそ駆けつけてやりたい。



 雨は降り続いていたのでカーリンは店の軒下で待っていた。電話を切ったあとにまたもや後悔と嫌悪感が襲ってくる。

 あんなわがままを言って、先急いだアレックスが事故でも遭ったらと心配でたまらない。

 やがて、青い車が目の前に停まると運転席から出てきた人物に、カーリンはたまらず駆け出した。

「少佐!!」

「カーリン!!」

 アレックスが飛び込んできた彼女を腕で受け止める。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「謝るな。俺も逢いたかったんだから」

 胸に顔を埋めて謝るカーリンの金髪を優しく撫でてあやした。


 カーリンが落ち着くと、車を公園の駐車場へと移動させた。まだ濡れている頬を人差し指で拭ってやると、彼女の顔からようやく笑みがこぼれる。

「わがまま言ってごめんなさい。明日も勤務でしょう?」

「お互い様だ。それより何があった?」

 カーリンの肩がビクッと跳ねたのをアレックスは見逃さなかった。

「なんでもありません」

「なんでもないのに、あんなに泣くのか?」

 あなたの父親に別れ話を促されたとは到底言えない。大好きな人が傷つくのは見たくはないのだ。

「俺にも言えない?」

 恋人に隠し事をされて悲しそうな顔をするアレックスに、カーリンはいたたまれず重い口を開いた。

「今日、ダスティン・ミュラー少佐とお会いしました」

「父と?」

 案の定、アレックスが険しい表情をして、何かを考えている風だ。

「何を言われた?」

「いえ、特に何も」

「カーリン、俺の眼を見るんだ」

 アレックスはカーリンの顔を両手に挟んでこちらを向かせた。すると、納まった涙がまた溢れてくる。

「わたし、少佐が大好きです。どんな結果になっても平気です。だから……」

「いきなり、なんだ?」

 意図が読めず怪訝そうに彼女を見つめ返す。

「少佐の本当の気持ちを聞かせて」

 本当の気持ち。彼女が心の底から望むなら、今一度言おう。

「愛してる」

 静かに涙するカーリンを抱き寄せて唇を重ねた。触れるそれから、彼女の心が震えているのを感じる。


 


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