幕間
◇◇◇
ところ変わりて——ドイス王国の宿敵、フランニュ王国。
重厚な石造りの城塞内、その一角に構えられた豪奢な将官室。
壁を飾る豪勢な絵画や洗練された調度品、そして重厚な絨毯が部屋の格の高さを物語っていた。
部屋の主である猛将グスタフは、柔らかなの高級革張り椅子に深く身体を預け、満たされた笑みを浮かべている。
『ヘッケ平原の戦い』。
かつてドイス王国軍の絶対的な象徴であり、誰も打ち破ることができなかった『不敗の姫騎士』リリィ少将。
15歳の天才と謳われた少女を倒し、二度と剣を握れぬ絶望の底へと叩き落とした功績は、フランニュ軍部に計り知れない歓喜をもたらした。
敵の精神的支柱を打ち砕きヘッケ城を奪取した戦功により、グスタフは少将から中将へと躍進を果たしたのだ。
手にした上質なグラスの中で、血のように深い赤ワインがゆらりと揺れる。
それを一口含み、芳醇な香りと勝利の余韻を喉の奥で噛みしめると、グスタフの野心的な口元が歪んだ。
「……フハッ、不敗の姫騎士とやらも、腕を一本失えばただの無力な女童か。ドイスの連中も哀れなものだな」
勝利の美酒を味わうグスタフ。
ふと彼の視線が、豪奢な部屋の片隅——暖炉の光すら届かない薄暗い影へと向いた。
そこには部屋の豪華さとはあまりにも不釣り合いな、不気味な気配が沈殿している。
全身真っ黒な軍服に身を包んだ伏兵が、静かにそこにたたずんでいた。
その顔は気味の悪い仮面で覆われており、その奥にある本当の表情を知ることはできない。
伏兵の手には、重々しく閉ざされた漆黒の革箱。
黒い手袋を嵌めた指先でカチリと鍵を外し、重い革の蓋をゆっくりと持ち上げる。
途端に部屋の中へ立ち込めたのは香油と、防腐剤が混ざり合った鼻にまとわりつく匂い。
深紅の生地が敷き詰められた箱。
そこに横たえられていたのは——あやしいまでに白く、浮世離れした美しさを放つ一つの『作品』であった。
剥製処置が施されたその物体。
すべての血を完璧に抜き取り、防腐剤と香油を染み込ませることで腐敗を止め、生身の頃の瑞々しい質感と滑らかさが完璧に留められている。
血の気が引いた白磁のような皮膚の下にはかすかに青い筋が薄っすらと透け、死してなお生きているかのような生々しさを放っていた。
吸い付くような美しいライン。
手首の繊細な骨の隆起。
爪の先に残るほんのりとした桃色の艶。
かつてレイピアを握りしめ、数多の戦場を踏み越えてきた、あまりにも華奢で小さな手——。
肩口から鋭利な刃で滑らかに断ち切られたそれは。
半年前ヘッケ平原にて散った……あの15歳の少将、リリィの『右腕』そのものであった。
伏兵は一切の言葉を発しない。
ただ黒い手袋をそっと脱ぎ捨てると、熱を持った自身の生の指先でひんやりと冷たい剥製の肌を撫でた。
二度と動くことのない冷ややかな肉体の質感を愛おしそうに、ねっとりとした手つきでどこまでも愛でていく。
やがて伏兵は、ゆっくりと自らの仮面の下部に手を掛けた。
持ち上げられた仮面の隙間から覗く、血色の薄い唇。
伏兵は愛おしそうに持ち上げたリリィの右腕から、細くしなやかな人差し指を——自らの口内へと滑り込ませた。
——ジュプ、チュパ……と。
静まり返った室内に指先を絡め取り、吸い上げる唾液音が響き渡る。
体温のない冷たい肌を、熱く湿った自らの舌で根元から爪先までねっとりと慈しむように舌で舐めていく。
かつて何度もフランニュ国軍を追い詰めた不敗の姫騎士。
その圧倒的な強さの命の残骸を、今や自分が完全に支配し味わい尽くしているという優越感。
「……お前も好きだな。また『それ』を出して弄んでいるのか」
ワイングラスを優雅に傾けていたグスタフが、あきれたように呟く。
「その常軌を逸した狂気には反吐が出そうになるが……まあいい。我が右腕として働く限り、どこで何をしようと咎めはせん」
グスタフは残りのワインを喉に流し込むと、くだらないと言わんばかりに立ち上がった。
「では行くぞ。我が覇道のために次の侵攻プランを練る」
伏兵は、水気を帯びてあやしく光るリリィの指先を口からゆっくりと引き抜いた。
自身の唾液が纏う冷たい指を仮面の奥の瞳で見つめると、無言のまま首を縦に振る。
そして愛しい右腕を革箱の中へと優しく戻し、漆黒の革箱の蓋を閉じると足音もなくグスタフの後を追うのだった。
◇◇◇
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