行く先もわからぬまま
固く閉ざされた巨大な城門を背に、少女は冷たい秋風に震える細い肩を隠すように、深く黒いフードを被り直した。
背中まで届く艶やかな金糸の髪も。
痛々しく結ばれた、右肩のぽっかりとした空洞も。
すべてを不格好な黒布の陰に隠し通す。
ドイス国の誰もが知っていた『戦場の姫騎士』の容姿を完全に削ぎ落とし、ただの身寄りのない少女として、リリィはゆっくりと踏み出した。
城壁の重い影を抜けると、そこには王都の広大な繁華街が広がっていた。
ヘッケ平原の凄惨な地獄や、遠い前線で流された鮮血など嘘であったかのように、街は相変わらず明るく、溢れんばかりの活気に満ちあふれている。
色鮮やかな果物が並ぶ市場の露店。
焼きたてのパンが放つ、香ばしく温かな匂い。
買い物に興じる家族連れの、無邪気で幸せそうな笑い声。
かつて——白銀の甲冑を身に纏い、愛馬に跨ってこの街を巡察していた頃。
人々は争うように道を開け、憧れと敬意の眼差しを向けて歓声を上げていた。
「リリィ少将!」「私たちの『姫騎士』様!」と叫ぶ愛おしい声に、幼い照れくささを覚えながらも、彼女は凛と胸を張って応えていた。
だが、今——。
黒いフードを深く被り、気配を殺すように道の端を歩く少女に視線を向ける者は、誰一人としていなかった。
人々は笑顔のまま、リリィのすぐ脇を通り過ぎていく。
そこにあるのは、敵意や意地悪な視線すらなく。
ただ道端に転がる不格好な小石を見るような、完全なる無関心だった。
自分が命を賭して守ろうとした、この国。
己の右腕を差し出し、血を流して繋ぎ止めた、この穏やかな平穏。
その平穏の中で幸せそうに笑う街の人々の姿は、どこか誇らしくもあると同時に、リリィの胸を狂おしいほどの孤独感で刺し穿つ。
誰も、自分を必要としていない。
自分がこの場で消えてしまったとしても、この街は何事もなかったかのように回っていくのだという、あまりにも残酷な現実。
人波に洗われるように歩いていた、その時だった。
「っと、危ねえな」
対面から歩いてきた、体格のいい男とリリィの左肩が強くぶつかり合った。
かつてなら——どれほど体格差のある巨漢相手であっても、洗練された体幹と完璧な足さばきで、滑らかにいなしていただろう。
だが、右腕という身体の半分を失った少女のバランス感覚は、脆く崩れ去っていた。
「あっ……」
石畳の床に膝をつきそうになりながら、リリィは必死に左足を踏み出して耐える。
よろめいたリリィに対し、男は歩みを止めすら見せなかった。
「すまんな、お嬢ちゃん」
気持ちの露ほどもこもっていない、ただの形式的な一言。
男は振り返りもせず、連れの男たちと談笑しながら人波の奥へと消えていった。
「……いえ……」
かすれた声で小さく返し、リリィは不器用な左手でフードを直した。
怒りすら湧いてこなかった。
ただ、己の存在の不確かさと冷たい虚無感が、澱のように心の底へ溜まっていく。
雑踏を擦り抜けるように歩き続け、リリィはようやく目的の場所にたどり着いた。
王都の東端に位置する、乗合馬車の発着場。
大小さまざまな馬車が並び、商人や旅人たちが慌ただしく行き交っている。
「どこへ行くんだい、お嬢さん」
受付の男に声をかけられ、リリィはフードの奥から深く小さく答えた。
「……一番……遠くへ行く馬車を……お願いします」
「一番遠くだと? 東の辺境行きか。次の便がすぐ出るが……何もねえ田舎町だぞ?」
「それで……構いません」
行く先など、どこでもよかった。
ただ、ドイス国の中心から。
己の名を知る者がいる場所から、一刻も早く離れたかった。
自分を傷つける苦しい記憶も、過去の儚い栄光も、すべてを置き去りにできる誰も知らない遠い場所へ。
金貨を一枚差し出すと、男は怪訝そうな顔をしながらも一枚の乗車券を手渡した。
案内された、古びた乗合馬車の後部座席にリリィは静かに乗り込んだ。
狭く薄暗い車内の隅っこに腰を下ろし、身体を小さく丸める。
誰の目にも留まらぬよう、存在感を消すように膝を抱え込んだ。
黒い外套の下——左手で固く抱きしめているものが、二つあった。
一つは、先ほど文官から手渡された、重苦しい手切れ金の革袋。
そして、もう一つは——白銀の飾りが施された、一振りのレイピア。
あの惨劇の日。
右腕とともに泥の中に落ちた愛刀を、不憐に思った副官ライラが命懸けで回収し、密かにリリィの荷物に含めておいてくれたものだった。
ポツリと、車内の暗がりの中で己の手元を見つめる。
手切れ金という名の冷たい金貨と、もう右手で振るうことのできない一振りの細身の剣。
十五歳という若さで、人生のすべてを戦場に捧げてきた。
血の滲む努力を重ね、不敗の伝説を打ち立て、国民の希望とまで呼ばれた結果。
残されたのは——たった、これだけだった。
(……はて……。私の十五年間は……一体なんだったのでしょうね……)
心の中で呟く口癖が、虚しく胸の奥で反響する。
失われた右腕の感覚。
そこにはもう何もないはずなのに、今も右指が凍えて痛むような、冷たい幻肢痛が胸を締め付ける。
ガラガラと——馬輪が石畳を叩く重々しい振動とともに、馬車がゆっくりと揺れ始めた。
ギギギと車体が軋む音を立て、馬車は王都の巨大な東門をくぐり抜けていく。
小さく開いた車窓の隙間から、遠ざかっていく王都の壮麗な城塞が見えた。
かつて自分の家であり、誇りであり、生きる世界のすべてだった場所。
それが一歩ごとに小さくなり、やがて夕暮れの赤黒い霞の中へと溶けて消えていく。
リリィは深く目を閉じ、膝の中に顔を埋めた。
流す涙すら、もう残っていなかった。
捨てられた少女を乗せた馬車は、己の過去を置き去りにするように。
果てしない東の街道へと、ただひたすらに走り続けていくのだった。
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