町はずれのカラクリ技師
やわらかな午後の日差しが、ライツの町をあたたかく包み込んでいた。
リリィは風にさわさわと揺れる並木道を、ひとりでのんびりと散歩していた。
足取りは軽く、小鳥のさえずりを聴きながら歩いていると、向こうから元気な足音が近づいてくる。
「あ! リンちゃんだーっ!」
駆け寄ってきたのは、町の子どもたちだった。
男の子と女の子が弾むような笑顔でリリィの左右に並ぶと、迷いなくその手を伸ばしてくる。
左側にいた女の子が、リリィの左手をぎゅっと嬉しそうに握りしめた。
そして右側にいた男の子も、いつものようにごく当たり前のように手を伸ばす。
けれど、そこにあるのは風になびく空っぽの右袖だけだった。
「あっ……」
男の子はハッとしたように手をとめ、少しだけきまずそうに頭をかいた。
「ごめんね、リンちゃん。またうっかり……」
「ふふ、いいんですよ」
リリィは優しく目を細めると、からっぽの右袖をそっと見つめた。
散歩の途中、こうして子どもたちと手を繋ぎあって歩く時間はとても愛おしい。
左手を握る女の子のぬくもりを感じながら、リリィの胸の奥に、ふっとささやかな思いが広がる。
(右腕があったら、二人ともいっしょに手を繋いであげられるのに……)
片手で過ごす毎日には、もうすっかり慣れたつもりでいた。
掃除も洗濯も、大抵のことは一人で上手にこなせるようになっている。
けれど、子どもたちの笑顔に挟まれて歩いていると、ほんの少しだけ「右手があったら」と思う瞬間がある。
決して悲しい気持ちではなく、ごくささやかな願い。
リリィは女の子の手を優しく握りなおし、空を見上げてそっと微笑んだ。
「……ふふ、欲張りはいけませんね」
「リンちゃん、なにか言った?」
「いいえ、なんでもありませんよ。さあ、みんなでお散歩を続けましょうか」
二人に優しく言葉をかけると、リリィは子どもたちと並んで、楽しそうに歩き出した。
◇
子どもたちと「また明日ね」と手を振って別れたあと、リリィは夕食の買い出しのために市場へと向かった。
今日の装いは、淡い生成りの柔らかなブラウスに、落ち着いた色のロングスカート。
飾り気はないけれど清潔で可愛らしいその姿は、すっかりこの穏やかなライツの町になじんでいる。
市場は相変わらず活気に満ちあふれていて、焼きたてのパンの甘い香りや、みずみずしい野菜の匂いがどこからともなく漂ってくる。
あれもこれも美味しそうだな、と誘惑に負けそうになりながら市場を回った。
買い物を終えたリリィは、パンや野菜の詰まった大きな竹籠を、左腕だけでしっかりと抱えて歩いていた。
片手で荷物を持つことにも、すっかり慣れていた。
けれど、今日は少し欲張りすぎたらしい。
籠の中には、丸々としたじゃがいもや大きなキャベツ、それに焼き立ての長いパンがぎっしり詰まっていて、歩くたびに重みでぐらぐら揺れる。
気をつけて歩いていたつもりだったけれど、角を曲がった拍子に、籠の端からじゃがいもがひとつコロコロと落ちてしまった。
「あっ……」
リリィは足を止めて、足元に転がったじゃがいもを見つめた。
拾おうと思って屈もうとすると、左腕に抱えた籠が大きく傾いて、今度は上に乗っていた焼きたてのパンが滑り落ちそうになる。
「…………はて」
困ったことになった。
しゃがめばパンが落ちてしまうし、しゃがまなければじゃがいもが拾えない。
リリィは少し考えたあと、顎をぐっと突き出してパンの端を押さえつけ、そのままゆっくりと膝を折り曲げていこうとした。
顎と左腕だけでなんとか荷物を固定しようとするその姿は、一生懸命ではあるけれど、どこかクスッと笑ってしまうような不思議な体勢。
「おいおい、リンちゃん。何やってんだ、そんな恰好して」
威勢のいい声が聞こえて振り返ると、大きな工具箱を肩に担いだゲンさんが立っていた。
日焼けした顔に白いタオルを巻き、呆れたような、でもあたたかな苦笑いを浮かべている。
ゲンさんは見かねたように歩み寄ってくると、膝を折った。
「だから言ったろ、荷物くらい持つって」
「いえ、大丈夫ですよ。このくらいなら一人でも――」
そう言い切るより早く、顎の力が少しだけ緩んでしまう。
コロコロコロ。
今度は二つ目のじゃがいもが、楽しそうに転がっていく。
リリィは顎を引いた姿勢のまま固まり、遠ざかっていくじゃがいもをじっと見つめた。
そして、ゆっくりとゲンさんを見上げる。
「……お願いします」
「最初からそう言えばいいんだよ」
ゲンさんはガハハと豪快に笑うと、落ちたじゃがいもをふたつとも手際よく拾い上げ、リリィの籠のすき間にそっと戻してくれた。
「ありがとうございます、ゲンさん」
「気にすんなって。……そういやあリンちゃん、あいつに頼んでみたらどうだ?」
「……何をですか?」
首をかしげるリリィに、近くを通りかかった八百屋のおじさんも会話に混ざってきた。
「ああ、町外れのカラクリ技師のことだね。確かあのカラクリ技師なら、何かいい道具を作ってくれるかもしれないね」
「カラクリ技師……」
リリィはその言葉を口ずさむ。
複雑な仕掛けの機械を作る職人のことだということは知っていたけれど、この静かなライツの町にそんな人が住んでいるとは知らなかった。
「町外れに小さな工房があってな。壊れた道具を直したり、妙な仕掛けを作ったりしてるんだ」
「凄い方なのですね」
そう言うと、ゲンさんと八百屋のおじさんは顔を見合わせ同時に唸る。
なんだか評価が少し複雑そうだ。
「腕は確かだから。腕は。そこは文句なしだ」
ゲンさんが困ったように首の後ろをかいた。
「頼みに行くなら、覚悟しとけよ」
「……怖い方なのですか?」
「いや、怖くはないんだがな……」
八百屋のおじさんが苦笑いしながら答える。
「お金だね、お金」
「あの技師、こっちが世間話とか長話をしようとすると露骨にめんどくさそうな顔をするんだがな、金貨を見た瞬間だけ急に気を良くするんだ」
「『見積もりの話なら銅貨二枚』って言われたねぇ」
「お話しするだけでも、お金が必要なんですか……!?」
リリィは目を丸くした。
この町の人々はみんな温かく、困ったときはお互い様という雰囲気が強い。
だからこそ、会話そのものにお金を要求する人がいるなんて、少し驚いてしまった。
「まあ、親父さんも腕のいい技師らしいから、血筋かねえ。とにかく腕だけは確かなんだが、なんというか……お金にがめついんだよ」
「でも、私には特にカラクリは必要ないような……」
そう首を振ろうとしたリリィに、ゲンさんが優しく笑いかける。
「別に腕を作れって話じゃないさ。ほら、今日の買い物みたいにさ、片手でも荷物が崩れない特別なカゴとか、それくらいならあいつなら簡単に作れるんじゃないかって話だ」
リリィはハッとする。
大掛かりな仕掛けではなく、「日常をほんの少し便利にする道具」と思えば、とても身近なものに感じられた。
じゃがいもを転がさずに済んだり、生活がほんの少し快適になったりするのなら、話だけでも聞いてみる価値はあるかもしれない。
「わかりました。せっかくだし、相談だけでもしてみます。銅貨を二枚持って」
「おう、身ぐるみ剥がされないようにな!」
ゲンさんたちの温かな笑い声に見送られ、リリィは一度荷物を家に置きに戻ることにした。
◇
夕暮れ時。
空が優しい茜色から、ゆっくりと深い紫色へと移り変わっていく。
リリィは町のはずれを目指して、一人でのんびりと歩いていた。
賑やかな市場や可愛らしい家々を通り過ぎると、少しずつ建物が減り、あたりは静かな緑に包まれていく。
木々が心地よく風に揺れる道を少し進むと、ぽつんと一軒だけ、不思議な建物が見えてきた。
「……あそこでしょうか」
町の中にある木造のあたたかな家々とは違って、そこは石と鉄が無骨に組み合わされた、少し歪な形をした工房だった。
窓はどれも内側から厚い木の板で閉め切られていて、中の様子は窺えない。
庭と呼べるスペースには、何に使うのかわからない不思議な金属のパーツや、大小さまざまな歯車、乾いた木片が雑然と転がっている。
そして、中からは時折、妙な音が聞こえてきた。
ガンッ!
ガラガラガラ……。
何かを金属で叩くような音や、重いものが転がる音が、不規則に静かな夕暮れに響いている。
リリィは足を止めて、ふしぎそうにその建物を見上げた。
「…………」
脳裏に、ゲンさんたちの言葉が蘇る。
『腕は確かだから。腕は』
リリィはブラウスの裾を握りしめた。
「……なんだか、少し不安になってきました」
けれど、ここまで来たのだから引き返すのももったいない。
リリィは小さな足音を立てながら庭を通り抜け、頑丈そうな扉の前へと向かった。
コンコン。
左手のこぶしで、優しく扉を叩いてみる。
けれど、返事はない。
中からは相変わらず、ガコンという重い音が聞こえてくるだけだ。
作業に夢中で気づいていないのかもしれない。
リリィはほんの少し息を吸って、もう少しだけ大きく叩いてみた。
「ごめんくださーい。どなたかいらっしゃいませんか?」
やはり返事はなかった。
しかし、中で誰かが動いている気配だけは確かに感じられる。
コンコンコン。
「…………」
リリィは困ってしまった。
鍵はかかっていないようだけれど、勝手に入るわけにもいかない。
もう一度だけ叩いてダメなら出直そうかと思った、その時だった。
ガチャ。
重々しい金属の音が響いて、不意に扉が内側から開いた。
建物の隙間から漏れる薄暗い明かりの中に、ひとりの少女が立っていた。
リリィは思わず目を見開く。
町の人たちの話を聞いて、勝手にもっと年上の気難しそうな職人さんを想像していたからだ。
目の前にいたのは、自分とほとんど変わらない年頃の少女。
だぼついた作業着を着て、薄汚れた革のエプロンを身につけている。
柔らかそうな髪は適当に後ろでひとつに結ばれているだけで、跳ねた毛先があちこちに飛び出していた。
頬や細い手には、拭いもせず残された黒い機械油のあとがついている。
そして何より印象的だったのは、その目だった。
少し眠たそうで、ものすごく「面倒くさそう」な光を宿した瞳。
少女は億劫そうに頭をかきながら、目の前に立つリリィをじっと見つめた。
ふたりを取り巻く静かな空気の中で、数秒間の沈黙が流れる。
「…………」
「…………」
夕暮れの風が、ふたりの間を吹き抜けていく。
やがて作業着の少女は、いかにも面倒そうに小さな眉をひそめた。
「……誰だ、お前?」
それがカラクリ技師――ルチアとの初めての出会いだった。
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