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陽だまりに芽吹くもの


朝の澄んだ光が、小さな借家の窓から優しく差し込んでいた。


リリィはゆっくりと寝床から身体を起こすと、大きく息を吸いこんだ。

少しばかり冷えた朝の空気が胸の奥まで満ちていき、残っていた微睡みが少しずつ薄れていく。


「ん……」


深呼吸の後、リリィは自分の左手へと視線を移す。


握って、開く。

もう一度確かめるように握って、開く。


指先までしっかり動く。

これがリリィの朝の日課だった。


(うん、今日も大丈夫そうですね)


小さく満足気にうなずき、ぐっと背筋を伸ばす。

それからベッドを降り、ゆっくりと窓辺へと歩み寄った。


窓の向こうに広がる青い空。

木々や草花が穏やかな風に揺れ、小鳥のさえずりも聞こえてくる。


「いい天気ですね……」


と、リリィは呟いた。


空になった右袖を慣れた手つきで綺麗に結び、朝の空気を吸おうと玄関扉へ手をかけ外に出る。

少し散歩でもしようかな、と思っていたが、すぐにその歩みは止まることになった。


「……はて……?」


リリィの瞳が丸く見開かれる。

戸口の前に小さな籠が二つ、ぽつりと置かれていたのだ。


籠の中には、朝露を弾いてみずみずしく光る新鮮な大根と、不格好だが丸々と太った大きなジャガイモ。

そして別の籠には、焼きたての香ばしい匂いを漂わせる小さなパンが添えられていた。


名前も、手紙もない。


「……どなたが……置かれたのでしょうか……?」


首を傾げ、周囲を見回してみる。

山裾の静かな道には爽やかな朝風が吹き抜けるばかりで、誰の姿もなかった。


あの日、買い出しの帰り道で荷物を争うように持とうとしてくれた町人たちの笑顔が、脳裏をよぎる。

八百屋の店主だろうか、それともパン屋の夫婦だろうか。あるいは、優しく指を握っていたルカだろうか。


名乗りもせず、ただ自分を気遣うようにそっと置かれた温かな贈り物。


「困りましたね……お礼の言いようがありません……」


リリィの口元に、柔らかな笑顔が浮かぶ。


戸惑いながらも、胸の奥がじんわりと温かいもので満たされていくのを感じた。

そっと左手で籠を抱え上げると、深くお辞儀をしてから一度家の中へと運び入れた。


——さて、と。


今日もしなければならない大切な日課があった。


背中まで届く金糸の髪を朝風になびかせながら、リリィは庭へと足を踏み出す。


かつては雑草が伸び放題の荒れ地だった庭も、今では柔らかい黒土が広がる立派な畑へと姿を変えていた。

土の表面からは、数週間前に植えた「白カブ」の鮮やかな緑の小さな芽が、幾つも可愛らしく顔を出している。


庭の隅に立てかけてあった古びた鍬を、左手ひとつで固く握りしめた。


ザク、と硬い土を穿つ音。

これは彼女にとって、ただの農作業ではない。


失われた右腕の代わりに、残された左手を少しでも器用に、そして力強く動かせるようにするための、大切なリハビリであり鍛錬だった。


重心の位置を意識し、左足を踏み込み、左腕の筋力だけで重い鉄の刃を打ち下ろす。

一振りごとに、背中にすっと汗が伝い落ちていく。


左手だけで身体を動かす感覚を、この泥臭い作業の中で少しずつ身につけていく。


(ふかふかの土にしたら、カブも大きく育ちますね……)


真剣な眼差しで汗を拭い、今度は水やりをしようと大きな木製のジョウロへ手を伸ばした、その時だった。


「リンちゃーーん!!」


「あ! 本当にいた! リンちゃんだーっ!」


賑やかな歓声と、大地を蹴る元気な足音が山道を駆け上がってきた。


振り返ると、そこには町の子供たちが目を輝かせながら柵を飛び越えて庭へと雪崩れ込んでくるところだった。

先頭にいるのは、あの日診療所でリリィの左指を宝物のように握りしめていた男の子――ルカだ。


「みなさん……? おはようございます」


リリィが優しく目を細めると、子供たちは一目散に彼女の元へ駆け寄ってきた。


「リンちゃん、なにしてるの? おやさいのお世話?」


「ええ、カブの芽が出てきましたから、これから水やりをしようかと……」


リリィがジョウロを持ち上げようとした瞬間、一番大きな男の子が「ボクがやる!」と割り込んできた。


「えっ……? あ、待ってください……」


「ボク、力持ちだもん! リンちゃんは怪我してるんだから、休んでて!」


「あ! ずるいぞ!!」


「じゃあボクは雑草抜く!」


あっという間の出来事だった。

子供たちは競い合うように作業を分担し始めた。


重いジョウロをふたりがかりで抱えてカブの芽にパシャパシャと水をやり、小さな手で畑の雑草を器用に摘み取っていく。


「あ……あの……私、自分でできますから……」


「だーめ! リンちゃんは町を守ってくれたヒーローなんだから、今日はお休み!」


「そうだよ!お父さんがね、リンちゃんを困らせちゃダメだけど、お手伝いはたくさんしなさいって言ってた!」


元気いっぱいに笑いながら、一生懸命に土をいじる子供たち。

不器用ながらも楽しそうに動く小さな背中を見つめ、リリィはぽつんと取り残されてしまった。


「……はて……」


左手が虚空を泳ぐ。


やろうとしていたことが、すっかり子供たちに奪われてしまった。

自分の出る幕が完全になくなってしまったリリィは、困ったように眉を下げつつも、優しく微笑む。


「もう……みなさんったら……」


仕方なく、リリィは庭の隅にある日当たりのいい大きな切り株へと歩み寄った。


ちょこんと腰を下ろし、膝の上に左手を置く。

やわらかな木漏れ日が、彼女の美しい金髪をきらきらと黄金色に照らしていた。


(本当に……不思議な経験ですね)


切り株の上で小さく体を丸め、リリィは子供たちの姿を静かに見守った。


「見て見てリンちゃん! こっちのカブの芽、おっきくなってる!」


「あーっ! そこ踏んじゃダメー!」


「リンちゃん、お水かけ終わったよ!」


賑やかな泥だらけの歓声。


かつてドイス国軍の少将だった頃、彼女の周りにあったのは冷たい鉄の匂いと、重苦しい軍律、そして殺伐とした死の気配。


子供らしく誰かと遊ぶことも、日だまりの中でぼんやりと空を仰ぐことも、これまでの人生ではほとんどなかった。


それが今——自分を「英雄」と呼び、無邪気な好意を向けてくれる子供たちが、自分のために汗を流してくれている。


ただただ、平和で、あたたかな時間。

リリィの唇から、小さな、心のこもった言葉が零れ落ちる。


「……ありがとうございます、みなさん……」


静かな風が、カブの青々とした葉をゆらゆらと揺らしていった。


——やがて。

空がゆっくりと茜色に染まり始め、山裾の木々が長い影を地面に落とし始めた。


「……あ、もうお空が赤くなっちゃった」


畑仕事に夢中になっていた子供たちが、ハッと顔を上げた。


「みなさん、今日はここまでにしておきましょう」


リリィは切り株から立ち上がり、子供たちの元へ向かう。

そして泥だらけになった子供たちの服や手を、左手で丁寧に払ってあげた。


「えー、もっとリンちゃんと一緒にいたい!」


「ふふ、またいつでも来てくださいね。ですが、もうすぐお日様が沈んでしまいます。暗くなると危ないですから……お家まで、お送りしますね」


「わーい! リンちゃんとお散歩だ!」


子供たちは大喜びでリリィの周りを取り囲んだ。


ルカが、リリィの左手をぎゅっと握って並んで歩き出す。

夕焼け空の下、ぽつぽつと歩む小さな足跡。


「リンちゃん、今度はカブが大きくなったら、一緒に食べようね!」


「ええ、そうですね。きっと甘くて美味しいカブになりますよ」


リリィは子供たちの賑やかな声に耳を傾けながら、ゆっくりと坂道を歩いていくのだった。








◇◇◇

読んでいただき、ありがとうございます。

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◇◇◇

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