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七光り


「えっ、あはは……。 わ、私が、指揮官を……ですか……?」


ユイの上擦った声が、重厚な執務室に虚しく響く。


アスタナ家は、三代にわたって高位の将校を輩出してきた軍人の名家。

建国の功臣から始まり、現当主であるルカク中将もまた、幾多の激戦で武勲を立ててきた軍の重鎮であった。


その一人娘であるユイは、本来なら四代目として、周囲から大きな期待を寄せられる立場にある。

だが、彼女には父のような武才も、兵を率いる指揮官としての才覚もない。


それでも軍服の肩には、金糸で縫われた少尉の階級章が輝いていた。

己の実力や功績で得たものではなく、ただ『アスタナ』という家名と血筋によって与えられた飾り。


ユイ自身、そのことを誰よりも痛いほど理解していた。


「その通りだ」


ルカクの傍らに立つサジ副官が、感情のない声で答える。


「一週間後、第三演習場で実戦を想定した模擬戦を行う。五十対五十。その片方の指揮を貴様に任せる」


「サ、サジ副官……ご冗談、ですよね……?」


冷や汗がじわりと滲む。

自然と息も上がり、肩が上下していた。


「私なんて、いつもドジばっかりで皆さんの足を引っ張ってる出来損ないです……。 五十人の指揮なんて、私にできるわけが……。 な、なんて……」


「もう片方の指揮官は、マルス大尉だ」


ユイの言葉を遮るように、サジが言葉を続ける。

その視線の先には、ユイと共に呼ばれたマルスの姿があった。


「はっ。ご期待に必ずや応えてみせます」


マルスは淀みなく返答する。


マルス大尉。

若手の中でも頭角を現し、ルカクから直々に目をかけられている新進気鋭の将校だった。


特別な家柄ではなく、ごく一般的な家庭の出身。それでも地道に功績を積み重ね、今の地位を勝ち取った。

血筋だけで階級を与えられたユイとは、まさに対極の人物だった。


「相手が何者であろうと、全力をもって叩き潰します」


「ひっ……」


ユイの顔から血の気が引き、頬がぴくりと引きつる。


マルスはルカクを心の底から尊敬していた。

だからこそ、その血を引きながら、いつもへらへらと媚びた笑みを浮かべているユイが許せずにいた。


他の兵士たちのように、単なる「親の七光り」として蔑んでいるのではない。


偉大なルカクの娘でありながら、その名に恥じぬ人間になろうともせず、ただ笑ってへりくだる。

その姿が、マルスには不甲斐なく映っていた。


「お、お父さ……、ルカク中将……」


耐えかねたユイは、執務机の向こうへ助けを求めるように視線を向ける。

しかしルカクは何も言わず、ただ手元の書類に目を落としたままであった。


「マルス大尉はともかく、私には絶対無理、です……。 私はいつも足手まといで……それに指揮なんて一度もしたことありません……。 そんな私に兵を預けたら皆さんに大変なご迷惑をかけてしま、しまいます……」


そこで初めて、ルカクがゆっくりと顔を上げた。

鋭い眼光。ユイは思わず固まってしまう。


「――決まりだ」


それだけだった。

ルカクは話は終わりだと言わんばかりに、再び手元の書類へ視線を戻した。


「あ……」


「聞こえなかったのか」


サジが低い声で告げ、入口の扉を顎で示す。


「一週間後だ。さっさと出ろ」


絶対の拒絶。

もうユイに食い下がる余地は残されていなかった。


◇◇◇


冷え切った執務室を出るなり、前を行くマルスが不意に足を止め、振り返った。


二人の間に、張り詰めた沈黙が落ちる。

やがてマルスが、低い声を放った。


「覚悟しておけ、ユイ少尉」


「あ、あはは……マルス大尉、そんなこと言わずに……。 私、本当に何も分からなくてぇ……」


「気安く呼ぶな」


マルスの低く鋭い一声に、ユイの貼り付けたような笑みが凍りつく。


「貴様のその見苦しい笑い方を見るだけで、虫唾が走る」


「…………」


「ルカク中将の娘でありながら、何一つ成果も残せず、媚びへつらうばかり。 自分を恥ずかしいとは思わないのか」


「あは……はは……」


「本番でも手加減は一切しない。 覚えておけ」


マルスは冷ややかな一瞥を残し、硬い軍靴の音を廊下に響かせて去っていった。


呆然と立ち尽くすユイ。

やがて辺りから人の気配がなくなると、冷たくなった自分の頬を両手でパン、と強く叩いた。


「……だ、大丈夫。大丈夫ですよぉ、私。 えい、えい、おー、です」


笑う。


傷つかないために。

これ以上、心が壊れないように。


いつものように。


「えへへ……」


笑うのだった。


◇◇◇


地下の薄暗い軍議室。

そこでユイは割り振られた五十人の兵士たちを集め、作戦を説明することにした。


前に立つユイ。


誰も自分を見ず、まるでそこにいないかのように周りと談笑をしている。

気にしてはダメだと、いつもの笑顔を作った後、意を決し話し出した。


「え、えーっとぉ! 皆さん、よろしくお願いしますぅ!」


ユイは壇上で勢いよく頭を下げた。


「私みたいなのが指揮官で本当にごめんなさいね! えへへ……」


「でも、でも……一生懸命頑張りますので、皆さんの力を貸してくださーい!」


返ってきたのは、重苦しい沈黙だけ。

椅子に座った五十人の兵士たちは、冷え切った目でユイを見つめていた。


「お遊びじゃねえんだぞ」


前列の男が、吐き捨てるように呟いた。


「相手はマルス大尉だろ。最初から勝負になるわけねえ」


「そんでもってこっちはお飾り少尉だ。始まる前から終わってるぜ」


堪えきれないとばかりに笑い声が広がっていく。

ユイは聞こえなかったふりをして、汗ばんだ手で机に広げた地図を指差した。


「え、えっとですね。地形を見ると、この右側の森が使えそうなので――」


古参兵が椅子に深くもたれかかり、泥のついた靴を机に乗せた。


鋭い目つき。

ユイは思わずたじろんでしまう。


「少尉殿は後ろで引っ込んでいろ。やり方は俺たちが決める」


「で、ですが……やっぱり最低限の陣形だけでも……」


「俺たちは今まで何度も実戦で血を流してきたんだ」


「ーー温室育ちのお嬢ちゃんとは違ってな」


再び笑いが起こる。

小馬鹿にするような笑い。


ユイもまた、汗を流しながら口角を持ち上げた。


「あはは……そ、そうですよねぇ。私なんかが言うことなんて……」


そして震える指先で地図へ目を戻す。


「でも……一応、少しだけでも聞いてもらえると嬉しいなぁ……なんて」


最後まで、ユイの言葉に答える者は一人もいなかった。


◇◇◇


ーー一週間後。


湿った風が吹き抜ける演習場に、百人の兵士が集結した。

両軍の本陣には、大きな太鼓と鉦、そして軍旗が用意されている。


太鼓は進撃。

鉦は撤退。

広い戦場で遠く離れた部隊を動かすための道具だ。


空を裂く号砲が鳴り響く。

始まりの合図。


直後、マルス陣営から腹に響く太鼓の音が轟いた。

ドン、ドン、ドン、と。


その音に反応するように、整然と並んだ五十人が一斉に動き出した。


軍旗が上がると同時に右翼が展開し、それに合わせて中央が前進する。

一糸乱れぬ進軍だった。


「み、右です! 右の部隊、前に出すぎです……!」


対するユイの部隊は、早くも隊列が崩れ始めていた。

マルス隊とはまるで対照的な前線の動き。

歩幅すら合わせようとしない乱れた隊列を見て、ユイは慌てて伝令を呼ぶ。


「右に伝令です! 一度止まって、列を整えてくださいって伝えてきてください!」


砂塵が舞い始める戦場の中を、伝令が駆け抜ける。

だが前線の兵士は、駆け寄った伝令を乱暴に押し退け聞く耳を持たなかった。


「うるせえ! あんな七光りの指示なんか聞いてられるか! 一気に攻めて終わらせるぞ!」


右隊はそのまま前のめりに突き進んでいく。

命令を無視して動く右隊に、ユイの思考が追いつけずにいた。


(どうしようどうしようどうしよう……!)


嫌な汗が吹き出て止まらない。頬を流れ顎の先へと垂れていく。

その間も無秩序な集団となった前線部隊は、闇雲に前に出て止まらずにいる。


何か手を打たないとーー。

そう思った時、マルス隊から太鼓の音が規則正しいテンポで戦場に響き渡った。


何か意味が込められたであろう合図。

そして次の瞬間、その太鼓の意味を思い知る。


「えっ……ま、まさか……?」


ーー伏兵。

森の陰からマルス隊の伏兵が雪崩を打って現れた。

誘い込まれた右隊が、左右から挟み込まれる。


計算された包囲攻撃。

徐々に飲み込まれていくユイ隊の前線。


「そんな……!」


ユイの顔から血の気が引いていく。


「退かなきゃ……! いったん退いてください! 鉦を! 早く鉦を鳴らしてください!」


カーン、カーン。


甲高い金属音が響く。


ーーしかし。

鉦が鳴っても、右隊は退こうとしない。

包囲されながら、なおその場に踏みとどまって戦い続けている。


「き、聞こえてないんですか……?」


怒号にかき消されているのだと思い、ユイは鉦を担当する兵士へ振り返った。


「も、もっと強く鳴らしてください!」


「聞こえてますよ」


鉦を担当する兵士が、面倒そうに鼻を鳴らした。


「これ以上強く叩いたって同じです。あいつら、聞いてやしませんよ」


「で、でも……このままじゃ……!」


右隊が目に見えて崩れていく。


「じゃ、じゃあ左を……左隊を援護に回して……っ!」


ユイは混乱した頭で戦況を見渡す。


今から左を動かせば中央が手薄になる。

でも、このままでは右隊が全滅する。


「どうしよう……」


呼吸が浅くなる。


「どうしよう、どうしよう……っ」


マルス隊の太鼓が再び響いた。


ドン、ドン、ドン。


ユイが混乱している隙を見逃さない。

敵の中央本隊が一気に動き出す。


「ひっ……!」


このまま見ている訳にはいかない。

でもどうしたらーー?


考えがまとまらない。でもやるしかない。

指揮官だから。自分はみんなをまとめる指揮官なのだから。


「た、太鼓を鳴らしてください!」


「い、いややっぱり鉦の方が……!」


「でもでもそうしたら押し込まれるだけ……やっぱりた、太鼓を!」


進撃を示す太鼓と、撤退を示す鉦が交互に響き渡った。

前線の兵士たちが、戸惑ったように足を止める。


「何がしたいんだあの七光り!」


「進むのか退くのか、はっきりさせろ!!」


「えっと、違うんです、私、私今混乱しちゃって……!」


前線に届くはずもない声。

ユイは汗ばんだ手で采配を握り締めながら、ガタガタと全身を震わせていた。


「あは……あはは……」


笑わなければ。

怖くても、いつものように笑っていなくては。


「だ、大丈夫です……。 えへへ……まだ、まだ何とか――」


だが、戦況は待ってくれない。


蹂躙されていく前線。混乱して何もできずにいるユイ。

そしてそんなユイを呆れ果てたかのように見る周り。


右隊は崩れ、中央も突破されていく。

ユイは采配を握ったまま、もう次の指示を出すことすらできなかった。


それからほどなくして、終了を告げる銅鑼が鳴った。


ーーー

ーー

ー


◇◇◇


濡れた土の匂いが漂う演習場の中央に、両部隊が整列した。


ほとんど隊列を乱さず、堂々と胸を張るマルス隊。

対するユイ隊は泥にまみれ、誰もが不満げな表情を浮かべている。


サジ副官が、その前をゆっくりと歩く。


「……話にならん」


重苦しい沈黙の中、誰も口を開こうとはしない。


「指揮官を無視し、独断で突撃した者。指示の伝達を怠り、合図を疎かにした者。貴様らは本当にドイス王国の軍人なのか」


ユイ隊の兵士たちが、悔しげに俯く。

やがてサジは、いつも以上に縮こまっているユイの前で足を止める。


「そして――」


ユイの細い肩が、びくりと跳ねる。


「戦況を見失い、混乱し、何もできずに立ち尽くす指揮官」


「あ……あはは……」


「命令に従わない兵は論外だ」


サジは冷徹に言い放つ。


「――だが、兵を従わせることもまた、指揮官の責務だ」


「…………はい」


「今日が実戦であれば、貴様らは全滅していた」


ユイは何も言えず、ただ地面の泥を見つめた。


そのとき。

規則正しい、重い軍靴の音が近づいてきた。


兵士たちが一斉に背筋を正す。

ユイが途切れ途切れの息の中で顔を上げた。


ルカク中将だった。


胸が大きく跳ね上がる。ルカクが、まっすぐこちらへ歩いてくる。

ユイは泥と汗で汚れた袖で、慌てて顔を拭った。


笑わなければ。

怒られないように。

見捨てられないように。


いつものように、笑わなければ。

しかし恐怖で喉が引きつり、呼吸がうまくできない。


「お……ル、ルカク中将……!」


ルカクの足音が目の前まで近づいてくる。


「ご、ごめん、ごめなさ、ごめんなさいルカク中将……! わたわ、私、またしっししししっぱ、いしちゃって……」


何か言わなければ。そう思うほどうまく口が動けない。

自分でも何を言おうとしているのかわからない。


近づいてくる父。

必死に口角を持ち上げ、涙ぐんだ目で父を見上げる。


「次はちゃちゃんとしまます……! もももっと勉強して、ちゃんと皆さんのの言うことも聞いて、それででそれで――」


すっ、と。

ルカクは一度も視線を下げることなく、ユイのすぐ横を通り過ぎた。


「…………え?」


足音が止まる。

ユイの隣。


誇らしげに胸を張るマルスの前で。


「マルス」


「はっ!」


ルカクは、マルスの肩に静かに手を置いた。


「見事な指揮だった。期待している」


「はっ! 身命を賭して期待に応えます!」


それだけ告げると、ルカクは背を向けた。


「あ……」


ユイの手が、僅かに伸びる。


「お父……」


遠ざかっていく軍靴の音。


ルカクは最後まで、一度も振り返らなかった。

怒鳴られることすらなかった。


「解散!」


サジの号令が響く。

兵士たちも、次々とその場を立ち去っていく。


「最悪だったな」


「二度とあいつの下で戦うのはごめんだ」


そんな声も、やがて遠ざかっていった。

演習場に冷たい風の音だけが残る。


ユイだけが、ぽつんとその場に立っていた。


「あは……」


引きつった喉から、乾いた声が漏れる。


「あはは……っ」


笑おうと口角を上げる。


それなのに、大粒の涙が次々と溢れ出す。

涙は泥のついた頬を伝い、地面へ落ちていく。


ユイは袖を上げかけ――震えながらその手を下ろした。


冷たい風だけが、ユイの頬を撫でていく。

ユイの頬についた泥は、拭われることもないまま、ゆっくりと乾き始めていた。


読んでいただき、ありがとうございます。

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