第三十三話「四十四日目」
「うん、口の傷ももう大丈夫そうね」
ユイシェに殴られ、口の端と中のほうが少しだけ切れており、あの日から一週間エーレが治療してくれたおかげで、完治した。
最初口の中を消毒しようと、アルコールを瓶一杯分入れられそうになった時は、夜更けまで逃げ回る羽目になったが……。
エーレも案外不器用だ。
それに、こんな傷ぐらい魔法で治せるんじゃないのか?
もちろん聞いたが、その時のエーレの回答はこうだ。
『犬の世話をするのも主人に課せられた義務なのよ? 魔法じゃなくて、私がこうやって世話をしたいの』
どうして、そんな回りくどいことをするのか。
聞いて呆れる。
「それで? 結局、ユイシェと何があったの?」
やっぱりな……と心の中で呟く。
エーレはこう見えて、人のことをよく見ている。
あの時俺の殺気に気づいたときもそうだし、それはきっと王家がエーレを蔑ろにしているのと何か関係があるんじゃないかと、そう思う。
「別になんもねぇよ。言っただろ、転んだだけだって」
「じゃあ、なんで私の目を見ないの?」
両頬を掴まれ、強制的にエーレと目を合わせられる。
「……」
「嘘吐くの下手すぎ。いつも遠慮なく私に暴言吐く君はどこに行ったの? 嘘を吐くなら、私の目を見て言って」
腹が立つんだよ。
何って、こうやって真っ直ぐ俺の核心を突いてくるエーレにでも、俺のことを殴り足蹴にしたユイシェでもない。
食事会に見たあの顔、ユイシェの言葉一つ一つに頭の中が掻き乱され、衝動を抑えられなかった俺自身に。
「だから、なんもねぇっつってんだろ」
「嘘、ユイシェに何か言われたんでしょ? あの子、いっつも喧嘩腰で外でもよく問題起こすから。なんで、解雇されてないのか不思議よね。多分ビアが結構気に入っているのよ」
グラグラと揺れる感覚がする。
違う……やめろ、詮索するな。
自分の中に知らない自分が居るようで、気持ち悪い。
こんなの……!
「ねぇ、ゲル……」
「うっせぇな!! いちいち聞いてくんな!! 目障りなんだよ!!」
俺の怒号が、この小さな部屋に響き渡る。
ユイシェに言われたことを思い出した。
『お前みたいなやつはなんと言おうと、誰からも信用されない』
そうだ、所詮王家の生まれとそれに拾われた貧民街の子ども。
住む世界が違う。
俺にいたっては、「死神の子」だ。
そんなやつが言う事なんて、誰も信じやしない。
なのに、なんで……こんなにも苦しい?
「お前はいつも、そうやって何も考えずに人の中に勝手に入り込んでくる!! なんでだ!? お前には何の得も……」
「やっと、目が合った」
なんで……笑ってる?
こんなことを言われてもなお、笑っているこいつが俺には理解できない。
なんで……なんでなんでなんで……!
「その方がゲルらしくて、私は好きだよ」
……お前は、俺と違って嘘を吐くのが上手いんだな。
好きなんて、愛なんて、わからないって言ってたクセに。
そういうとこが、イライラして、どうしようもなく……。
殺したくなる。
「お前は……俺のことを信じてくれるのか?」
「どういうこと?」
当たり前のように俺の隣に座り、こちらの顔を伺うように首を傾ける。
「だって、俺は……生まれは、どこだか覚えてないが、育ちは貧民街で……それに『死神の子』だ。厄災だと普通の人間どもからも忌避される存在が、王家なんかに信じてもらえるわけないだろ……だから……」
「ゲル!!」
さっきよりも強い力で、両頬を掴まれる。
痛くはないが、なんだろう。
なぜか、安心する。
「言ったでしょ? 私は、王家だから、庶民だからって差別されるのが一番嫌いなの。みんなともっともっと、仲良くしたい。君は、そんな私の言うことを信じてくれないと言うの?」
「でも、それは……」
「私ね、君と会ってから君に信用されていないなんて、一度も思ったこと無いよ」
瞳が、いつもよりも紅い。
その中に、嘘偽りがないことに、なんで今までの俺は気づかなかったんだろう。
「まあそもそも、低脳だの、殺したいだの馬鹿正直に伝えてくる君が、人のことを信用しないという器用なことができるなんて、それこそ信じられないよ」
「おい」
「でもさ」
頬から手を離したと思ったら、今度は両手を掴まれ立たされる。
「信用されたら、信用し返す! それが人間の性というものだよ!」
俺は、人間について今少しだけ知れた気がする。
でも、先が読めない行動をするこいつになぜか、心がスッと軽くなった。
────心か。
俺にもまだあったんだな、そんなもの。
ハア……。
「……敵わねぇな」
「ん? 何か言った?」
「気のせいだろ」
「あ! またそうやって隠す! 話してくれるまで、日が暮れても追いかけてやるんだから!」
「は!? ちょ、おい! やめろ! しつけぇ!! こっちくんな!! 聞いてんのか!? おい!!」




