第三十二話「三十七日目」
本宮で一番でかいらしい部屋の中央に長い机が置かれている。
長いというより、大きいというか、横幅は人1人横たわれるぐらいあるし、縦幅も何メートルあるのかもよくわからない。
奥にはガルディアン国王、横にはウェルナ王妃とビア、ビアの婚約相手であるファトナー王女、ビアの護衛とファトナー王女の護衛、ファトナー王女の一族の者、そしてエギナ家の伯爵たち諸々。
当然俺は、誰か誰だか全然わからない。
ビアの護衛だって、今初めて見たぐらいだ。
それに……。
「さて、食事も揃ったことだ。それでは」
ガルディアン国王の言葉で、皆フォークとナイフに手をかける。
ガルディアン国王の向かい側、つまり机の端、一番遠い場所にエーレが座っている。
そんなに、エーレが怖いか?
ここが本宮であり、エーレがいるところは一応王宮ではあるが、国王と王妃がいるところから一番離れた場所に位置している。
それだけ、国王たちはエーレを遠ざけたいのだ。
住む場所、机の位置。
そこに王家の心理が表れているのだと思うと反吐が出る。
今も、皆和気藹々と会話をしながら食事しているというのに、その会話の中にエーレの名前は一切出てこない。
その中にエーレが入れる余地などないのだ。
エーレはというと、一言も喋らず黙々と食べ続けているだけ。
俺もそれに合わせ、食べていく。
────味がしない。
貧民街にいた頃よりもずっと、ずっと……味がしない。
毎年毎年、こんな食事会を続けていたのか……こいつは。
強がりなことを言って、それでこの様。
世話ねぇな。
「ゲル」
カチャっとフォークとナイフを置いた、エーレは横目でこっちを見る。
「そんな顔で、あの人たちを見ないであげて」
瞬間的に下を向く。
俺は今……どんな顔をしていた?
皿の端に、自分の顔が反射して映る。
顔を真っ赤にし、食いしばった歯、眉を吊り上げたその目はまるで獣のような姿だった。
なんだ……なんだよ、これ……。
こんなの、俺じゃない。
グシャッと髪を掴み、顔を隠す。
「ゲル、私は大丈夫だから。ね?」
その顔で、何が大丈夫だ。
俺でもわかるような嘘を吐きやがって。
いつもみたいに笑ってみろよ。
俺と初めて会った時みたいに……俺に話しかける時みたいに。
お前がそんな顔をしてると、こっちの調子が狂うだろ。
ふざけんじゃねぇよ。
ああ、クソッ……なんで、俺がこんなこと考えなきゃいけねぇんだ。
最悪な空気の中、俺達は食事会を終えた。
「じゃあ私、ちょっと外の空気吸ってくるね」
あの中にずっといると、外に出たくなる気持ちは少しだけだがわかる。
あいつに同情するとか、虫唾が走るほどしたくないが、俺でも今外に出たいぐらいだ。
廊下の柱へともたれかかる。
あいつがいないと、離れに帰れないから待ってやるか。
空を飛ぶ鳥をなんとなく眺めていると。
「君が、エーレ様の護衛かな?」
その声に振り返る。
緩くウェーブした金髪を一本の紐で無造作に結び、薄く笑った顔がどこか胡散臭い。
無駄に装飾したコートに陽の光が反射して、目障りなほどに眩しい。
「そうですが」
こいつは確か、ビアの護衛の……。
「お初目にかかります。ユイシェと申します」
ペコリとお辞儀する姿は、まるで模範のように素晴らしい礼儀だ。
俺は正直、今誰とも話したくない。
だが、ミシェルにきつく言われてるから仕方ない。
「こちらこそ。ゲルデッドと申します」
同じようにお辞儀をする。
ミシェルに徹底的に叩き込まれた作法。
あれはきつかったな。
「そうですか。では、早速……」
その瞬間、俺の視界は反転し、気づけば目線は床へと向いていた。
ゴツッと音が聞こえたが……今分かってるのは右頬が痛いことだけ。
床にポタッと血が垂れる。
「痛いか? 苦しいか? 安心しろ、お前みたいなやつはなんと言おうと、誰からも信用されないからな」
髪をグッと掴まれ、無理やり顔を上げられる。
「私は名の高い家族の出でね。貴様のことは色々調べさせてもらった」
さっきの笑顔はどこに行ったのか、今はまるで汚物を見つめるような目で見つめられる。
「下賤の者風情が、なぜエーレ様の護衛をしている?」
髪が、頭皮が引っ張られて痛い。
貧民街にいた時も、こんなんだったな。
「それに、貴様『死神の子』なんだろう?」
痛みなんて、ずっと忘れてた。
ここにきてから、そんな物とはずっと無関係だったから。
「汚い、臭い、醜い……そんな奴がなぜ王宮という神聖な場所に立ち入れると思った? 場を弁えろ、このゴミが」
睨むことすらもできない。
痛みも忘れて、今は殴られ、罵倒され続けている。
俺は、こんなにも弱くなったのか。
「政府に『死神の子』のことを告知しようとは思っていない。使えそうな情報だしな。だが、どうも気に食わん。貴様は今日、あの場に出席していてどう思った? エーレ様に無礼だとは思わないのか? お前は、エーレ様のことを何も知らない」
髪から手を離し、顔を踏みつけられる。
「エーレ様は優しいお方だ。だから、ここに匿われていることも分からないのか?」
────さっきから、何を言っているんだ?
「人間にもなれず、普通の魔法使いにもなれない半端者が、入って良い場所じゃねぇんだよ」
走馬灯のように、俺の脳裏にエーレの顔が浮かぶ。
あの言葉と重なる。
『私は……人間にも普通の魔法使いにもなれない』
頭の中で、何かが切れる音がした。
ユイシェの足を掴み、思いっきり薙ぎ倒す。
不意打ちに受け身を取れず、そのまま転がる。
「貴様……何を……」
「さっきから好き勝手に言わせてりゃあ、よくもまあ……あいつが優しいだって? お前こそ、あいつのこと何も知らねぇんだな」
あいつがなぜ本宮から離れたところにいるのか、あの場でなぜ実父と離されているのか……こいつは何も知らない。いいや、もはや知る価値もない。
あの場で、あいつらと……エーレがどんな顔をしていたかも知らず、ヘラヘラ笑いながら喋っていたこいつには。
「何?」
俺を拾った理由も、俺が護衛になった理由も、初めて会った時に感じたがことが全てだ。
「あいつは、自分の願望、欲望のためならばどんな手を使ってでも……たとえ相手が下賤のヤツであっても利用する、どうしようもねぇほどのクズで、正真正銘の悪魔だ」
最初からそうだ。
あいつには優しさの欠片もない。
犬になれだの、観賞用の道具になれだの、俺をまるで人として扱わない。
でも、それでも────。
エーレの手は、暖かかったな。
「貴様……!」
「ゲルー!」
遠くから聞こえてくる、エーレの声。
気分はすっかり良くなったのか、軽快なステップでこっちに向かってくる。
「エーレ」
「って、どうしたの!? その傷! あれ? ユイシェじゃない。どうしてこんなところに。さっき帰っていくの見えたのに……」
ユイシェと目が合う。
『お前みたいなやつはなんと言おうと、誰からも信用されない』
「いや、ただぶつかって派手に転んだだけだ。なんともねぇよ」
「そう? ならいいや。さ、帰ろ!」
エーレに手を掴まれる。
やっぱり、こいつの手は春の日差しのように……暖かかった。




