第三十一話「三十日目」
エーレと会って、一ヶ月ほどが経過した。
なんだかんだ、短いようで長いようで……。
さて、今日は何をやるかと言うと、なんと言うか……。
「また間違えた! じゃあ、罰ゲームね!」
俺は今、ニコニコの笑顔のエーレに縄で吊し上げられていたのだった。
って……。
「なんでこうなる!!」
縛る力が強くて、体が痛い。
跡がつきそうだ。
「えー? 言ったじゃん。読み書き教えるけど、間違えたら罰ゲームで吊し上げて、私の鑑賞用の道具になってもらうって」
にしてもだ。
こっちは、何も知らない状態で1から勉強してるってのに、これはスパルタすぎるだろ。
「ていうか、ゲルも了承したじゃん」
「それは……」
その条件を提示された時、俺は断るべきだったのだ。
なのに。
『受けてやるよ、まあ俺は絶対に間違えねぇけどな。逆に俺が正解したら、エーレが吊し上げられるってのはどうだ?』
「これでゲルは0勝145敗。私が吊し上げられる時は来なかったと言うわけね」
フフンとドヤ顔を浮かべる。
こんなんになるハズじゃなかったのに。
「でも、私がこんなにも一生懸命教えてて、何にも吸収しないじゃない。披露宴の踊りの習得は早かったのに。私、悲しくなるよ」
「それは、お前の教え方が悪いんじゃないのか?」
「酷い! 私の教え方がミシェルより劣ると言うの!?」
「今この状況を踏まえるとそうしか考えられないだろ。この低脳」
「低脳はどっちよ!」
ハアとため息を吐きながら、「今日の授業はここまで」と俺の縄を解いていく。
何回も縛られて、このままだと体がおかしくなりそうだ。
肩を回したり、首を曲げたり。
うん、今のところは大丈夫そうだ。
「ほんと、私にここまで口を聞けるのはゲルぐらいだよ」
エーレの読み書きが終わり、10人近く座れそうなソファへと2人で並んで座り、エーレが注いだ茶を飲む。
教え方は下手だが、こいつが作る茶はうまい。
なんでそう感じるかわからないが、他の使用人が作るやつとは、少し違う。
何が違うかと言われたら、説明ができない。
でも、飲むのならエーレが注いだやつを飲む。
「俺じゃなくても、街のやつらもこんな感じだろ」
「違うよ。確かに親しく接してはいるけど、それでも王家の人間だからって気を遣われているの。だからゲルみたいに、正直にズカズカものを言う人は初めて」
それは、褒められてるのか?
「でも、その方が良かったりするんだけど」
エーレが小さく呟く。
「なんでだ?」
純粋な疑問だ。
俺は育ち方からか、庶民の頭が下がれば自分の地位を再認識できる上、誰も自分に逆らうことができないという優越感に浸れる。
それでは、エーレは満たされないということなのか。
「私は王家の人間っていうだけだよ? それだけの違いだけで、なんで他人が私に媚びを売る必要があるの? 決してそれが、悪いとは言わないけど、私はみんなともっと仲良くしたい」
なぜか、既視感を感じる。
そうだ、これは。
「もしかして……羨ましいのか? 普通の人間たちが」
エーレの動きがぴたりと止まった。
「今のお前の顔は、この前『魔法に何を与えれば人を幸せにできるのかを知りたい』って言った時と同じだ。生まれ持った力に囚われ、それでも街の人間たちみたいな、ごく普通の人間になりたい……そういう意味じゃないのか?」
それだけじゃない。
エーレが王家の人間から恐れられ、義母にも実父にすら愛されなかったと告げた時も。
同じ顔をしていた。
「だったら何? 悪い? こんな嫉妬は醜いって、そう言いたいの?」
声が段々と低くなり、苛立ちを含んでいく。
「いや、別に良いと思うけどな。むしろ、そう思えるお前が良いなというか……その……羨ましい……んだと思う」
最後は聞こえるか聞こえないかの声だったが、エーレは目を見開いて、ポカンとしている。
「どうして、そう思うの?」
どうして。
どうしてかと言われたら、どうしてなのか。
長考しても、答えが出てこない。
「なんとなくだ」
出た答えは、まるで幼児でも出せそうなものだった。
それだけ返すと、突然エーレは吹き出した。
「フ、アハハハハハ!! 何それ!」
目尻を押さえながら笑う。
笑い続けるこいつに、顔が段々熱くなる。
「な、何がおかしい!」
「フフ……いいや。なんか色々考えてたこっちが馬鹿みたいだなって……でも、うん、そうね。その答えの方がゲルらしいや」
エーレと過ごしたこの一ヶ月の中、初めてエーレは心の底から安心したような、まるで木漏れ日が葉の間から落ちるような、柔らかい笑みを浮かべた。
その表情に俺は思わずドキッとする。
なんだ……これ。
「あ! そういえば、来週王家の人間だけでの食事会があるんだった! ゲルにも参加してもらおうと思ってて、言うの忘れてた!」
……それをこのタイミングで言うか、普通。
「あ、安心して! この前の披露宴みたいに踊りとかあるわけじゃないから! ただご飯を食べるだけ。王家との親睦とか深めたり、ゲルとかもまだ顔合わせてない人いっぱいいるでしょ? そのための食事会」
そういうわけじゃないのだが。
でも、その内容だとそれは……。
「お前は、いいのか? その食事会」
エーレにとってそれは、なんというか……。
「え、もしかして心配してくれてるの?」
「は? 自惚れるのも大概にしろよ、この性悪女が」
「ゔっ、言うねぇ……でも今までにも、こういう食事会はあったし、別に何ともないよ」
本当にそれでいいのか?
そう言いたいのに……言えなかった。
俺も出席をする旨を伝え、そしてあっという間に1週間が過ぎ、食事会の日がやってきた。




