第三十話「二十三日目 其の二」
俺は数秒間、口も動かせず、瞬きすらできなかった……多分。
やっと、そこでやっと理解できたんだ、エーレの言っていることを。
「き……」
「き?」
「気持ち悪っ!!」
な、なな、何を言ってるんだ、こいつは……!
頭イカれてんのか?!
……いや、それはいつものことか?
そうだとしてもだ!!
「酷い! そんなこと言わなくてもいいじゃないの!」
「やめろ!! こっち来んな!!」
この狭い部屋でドタドタと走り回る。
こいつを殺したいのは本当だが、そんなことを面と向かって言われると全身の毛が逆立つ。
「お前、それ本気で言ってんのか!?」
「だから、そうだって言ってるでしょ!? とりあえず、座ってよー!」
両肩をガッと強く捕まれ、強制的にソファへと座らされる。
「え、で、いや、エーレはその……死にたいってことなのか?」
言葉が詰まりすぎて、自分で自分の言っていることがよくわからず、それしか聞けない。
「うん、そうだよ」
心を落ち着かせるため、深呼吸をする。
「……で、なんでだ? 死にたいんなら自分で勝手に死ねばいいだろ」
ま、そうなったら、俺が困るんだけど。
「わかってないなー、ゲルは」
片手で頭を支える。
「……?」
「さっきの話を聞いててわかるでしょ? 私は、誰からも愛されなかったし、必要ともされなかったの。お父様は、私と距離を置いてる。ゲルがここにいるのを許してくれたのだって、自分がいかに慈愛のある人間かを国民に示すためのよ。『可愛い愛娘の要望を聞いてあげる良い父親だ』ってね」
フッと鼻を鳴らしながら、さっき開けた本をまた片付けていく。
俺はそれを見ているだけ。
「だから、ゲルが『殺したい』って言ってくれた時、初めて誰かに必要とされたって感じたの。まあ……私がいるせいで、家族の仲もギスギスしてたし……私はいないほうがいいんだよ、結局ね」
その時のエーレは嬉しそうで、悲しそうな……なんか複雑だった。
俺には、その気持ちがよくわからない。
俺は、エーレみたいに愛する努力をされたことがない。
ずっと一人だった。
だから、「愛」が何かもわからないのだ。
それはきっとエーレも同じなのだろうか。
「お前は、家族を恨んでるのか?」
エーレは少しだけ考えて。
「うーん、わからない。恨むも恨まないも、好きも嫌いもよくわからなくなっちゃった。だからさ、ゲル」
本をあらかた片付け終わって、俺の前に立ち止まる。
ワンピースの裾がふわりと舞った。
「君が、私の死に場所になって」
幸せそうに笑っているはずなのに……そう思えないのは、目がそんなふうに見えないから。
「ハッ……何勘違いしてんだ?」
俺の顔へと手を伸ばしてきた、エーレの手を掴む。
「俺がお前を殺すのは、俺が決めたことだ。お前に指図される筋合いはねぇんだよ」
俺が、人間を……エーレを殺したいのは、ただ単に殺したいだけじゃない。
人間に対する、死という名の「報復」を与えるためだ!
「お前が俺に命令するんじゃない。俺がお前に命令するんだ」
今のでわかった。
エーレも俺と同じ矛盾の中で生きていいる。
だから、俺のこの気持ちもわからなくて当然なのか……。
とんだ期待外れだった。
この世界では、誰かを恨むことでしか、人間は生きていけない。
少なくとも俺はずっとそうだった。
他に生きる術を俺は知らない。
俺は……俺達はどうすればいいのか。
「生きろ」
俺の言葉に、顔をこっち向ける。
「わからないなら、いっそのこと生きろ。それで、王家の人間どものことを、どう思っていたかわかったその時は、俺に跪いて懇願しろ。『殺してくれ』ってな。そしたら、お前の望み通りに殺してやるよ」
今のエーレの言葉だと、エーレが死ねば王家はそれで幸せになれる……みたいな言い方だった。
だが、それは王家の思う壺だ。
俺なら絶対にそうはしない。
生きることで、王家に自分ができる精一杯の「復讐」をする。
民衆からの評価をあげるために利用する人間など、俺のプライドが許さない。
俺は俺のやりたいようにやる。
他人に使われるとか、冗談じゃない。
「犬が主人に命令するなんて、趣味悪すぎー」
「お前に言われたかねぇよ」
「フフ、それもそうね」
体を起こし、赤い目を細めて笑った。
「じゃあ生きるよ、その日が来るまでね」
今になって思う。
あの時のエーレとの「約束」の意味が、こんな歪んだものじゃなかったら、きっと今こうはならなかったんじゃないかって。
そう考えてしまう。
あれは、そういう意味じゃなかった。
俺もエーレも何もわかってなかったんだ。
魔法を持っていても、俺達はただ無力だった。
エーレは俺に何を与えたのか。
俺はエーレに何を与えれたのか。
魔法と感情が、俺達を狂気という名の迷宮へと誘う。




