第二十四話「六日目 其の一」
「昨日は、その……悪かった」
何か書き物をしているエーレにそう言うと、ギョッとした目で俺を見た。
「ゲルが謝ってる……明日は雪でも降るの?」
「真面目に聞け」
自分でもよくわからなかった。
多分あれは、エーレが急に変なこと言うから、それで、それで……少し困惑しただけで。
実際俺は、人に抱きしめられるのも初めてだったし、昨日はいろんなことがありすぎた。
だからか、頭の中がぐちゃぐちゃになって夜はよく眠れなかった。
「ああ、あれね。謝らなくていいよ。むしろゲルの弱みを握れたみたいで嬉しい」
そうか、こいつはそんなやつだった。
謝った俺が馬鹿みたいだ。
「何、その顔」
「俺はやっぱりお前が嫌いだ」
「私は、そんな面白いゲルがだーいすき!」
ハアというため息しか出てこない。
でも、ここずっと俺は変だ。
エーレの一つ一つの言動に振り回されている。
調子が狂う……。
気分転換に一人で外に出るのも良いかもしれない。
「ちょっと出かけてくる」
「え! じゃあ私も……」
「ぜっっったい、ついてくるなよ」
「えー!!」
それから「行く」「来るな」という会話を散々続けてやっと諦めたのか、ムスッと膨れてしまったエーレを置いて、俺は王宮を出た。
門をくぐり、麓の街を見下ろす。
風で周りの木々がザアッと揺れた。
目を閉じれば、近くに流れる川のせせらぎも聞こえてくる。
ゆっくりと深呼吸をした。
久しぶりに一人になれた。
心地いいのに……なぜか落ち着かない。
俺は気を紛らわすため、麓の街へと降りた。
「あら、君はエーレちゃんの護衛の子よね! 一人? これ食べていかない? 新作よ!」
そう話しかけてきてくれたのは、この前エーレが買っていたパン屋の女性。
「いや、いい」
「そう? また来てねー!」
俺は逃げるようにその場を離れた。
一人になりにきたのに、やっぱりエーレが王族だからか、街の人間は俺がエーレの護衛の子だという情報が一気に広まっていた。
だから、行く先々でいろんな人間たちに話しかけられ、自分たちの店のものや手作りの品を押し付けられそうになる。
俺は片っ端からそれらを断り、一目散に街を駆け抜けた。
なんなんだ、一体……。
俺はエーレが拾っただけの元貧民街の人間だ。
こんなふうにもてなされる器じゃない。
俺にはそんな資格はない。
もう、一人にしてくれ……。
「……ここはどこだ?」
俯きながら考え事をしていたら、見たことない景色が目に飛び込んできた。
どこかの森の中のようだが、俺がさっきいた街はもうとっくに過ぎたのか、街独特のざわめきが一切聞こえない。聞こえるのは、木々が蠢く音とキーキーと奇妙な鳥の鳴き声。
来た道を戻ろうと思い歩いてはみたものの……街が一向に見えてこない。
どうしたものか。
……いや考えても仕方がない。
少し休憩しよう。
木陰に座り、上を見上げる。
王宮を出たのが午前ぐらいで、今は昼頃のはずなのに森が太陽光を遮って薄暗い。
地面へ直に座るのなんて、いつぶりだろう。
エーレと会ってからまだ1週間も経っていないというのに、椅子じゃなくて地面に座ることがこんなにも異様だとは……。
季節は春から夏に移り行く時期だというのに、風が肌寒く思わず身震いをする。
どんどん空が暗くなっていく。
俺はずっとこのままなのか?
貧民街にいたころの記憶が蘇る。
あの時は、こんな日々が普通だった。
誰も助けてくれない。誰も俺の名前を呼ぼうともしない。
抱きしめてもくれない。
「……エーレ」
胸の中にある欠けたものを埋めるように俺は彼女の名前を呼んだ。
ふと悟った。
俺は……あいつに会いたいのか?
なぜ?
俺がここに来たのは、一人になりたかったからだ。
なのに────。
その時、俺の後頭部にゴツっという鈍い音と共に強い衝撃が走った。
痛い……というより先に俺の意識はそこで途切れてしまった。




