第26話 餓鬼道の債務者 その三
しかし、花坂が気づかないまま、浮橋によって気絶させられていたということだ。
「どうして、餓鬼道で二人の姿が見られなかった?」
『私の力で、幻覚性のガスを使って見えないように暗示をかけたからです』
「そのガスとやらはスプレー缶か何かに入れていたのか?」
『いえ、私の身体そのものから好きに出せます』
浮橋もまた、市宮や夢矢と同類というのが明らかになった。これでは、借金取りが次から次に返り討ちになるのも当然だ。
「そんな力があれば、何だってやりたい放題だろうが」
『隊長から制裁されるので、無理です』
「隊長って誰だ?」
『三辻 一道という人です』
「どんな力があるんだよ」
『悪魔です』
「悪魔?」
『はい。私も夢矢さんも、三辻さんの手でこうした能力を授かりました』
「つまり、人の倫理を踏み外しているから悪魔なのか?」
『そうです』
「なら、お前らは元は一般人だったのか?」
『そうです』
「三辻っていうのは、TWCの社員か?」
『はい』
「肩書きは?」
『情報部の実行隊長です』
「性別は?」
『男です』
「年齢は?」
『三十歳くらいです』
「お前の役目は?」
『要人誘拐です』
「夢矢はここの衛生担当だろう。どうして情報部に所属しない」
『社員によっては、表の肩書きを与えられることがあります』
これは、願ってもない新情報だった。まだ聞きたいことは山ほどあるが、時間も押している。それに、小角や塚森の心身も、まっとうに復旧できるのかは把握していない。
「とにかく、あの二人を倒せたなら、俺もすぐにやっつけられたはずだろう」
『二人が分け与えていた力のせいで、幻覚が中途半端にしか効きませんでした』
「餓鬼道も幻覚だったのか?」
『あれ自体は私の力とは関係ないです』
口にはしなかったが、塚森と小角は最大限のバックアップを花坂に届けていた。結果論的に、どうにか二人の誠意に報いられたのは良いが、手放しでは喜べない。
「良し。解毒剤はここにあるはずだな?」
状況によっては、悠長に待ってばかりもいられない。即座に覚醒させる品は常に所持するはずだ。
『私の上着のポケットに、解毒剤の入った注射器があります』
「素人でも使えるのか?」
『はい。そのまま針を刺してポンプを押すだけです』
「そうか。断っておくが、俺が満足する結果にならなかったら、痛い目を見るどころじゃすまさないぞ」
『わかっています』
花坂は、ここで残り時間を見た。あと十五分。
注射器は、浮橋の上着からすぐに入手できた。二本あり、いずれもプラスチックのパックに封印されている。解毒剤であろう薬品が入っている。
夢矢は、性格的にも職務としてもロッカーに消毒薬を構えていた。それを使って、まず塚森の腕を消毒し、パックを破って注射針を刺した。ポンプを押して一気に中身を流しこむのに、二秒とかからなかった。
「う……ううう……」
「先生、気がつきましたか」
塚森を気遣いつつも、時間が惜しい。すぐに小角に取りかかる。
「うーん……」
小角もうっすらと目を開けた。
「小角さんも。早く起きて下さい。浮橋は確保してます」
これで第一段階は成功したはずだ。花坂は、椅子に拘束したままの浮橋にちらっと目をやった。
浮橋は、椅子を脇にして立っていた。足元には、彼女を拘束していたはずのベルトとズボンがちぎれて落ちている。
これまでの態度が演技だったとは、とうてい思えない。少なくとも、肉体的にはただの凡人だった。解毒剤もまっとうに効いた。
ならば、これも彼女の幻覚か。いや、何かがおかしい。幻覚を使って得をするとしたら、塚森達は無力化していたのだから、花坂に自分を自由にさせるようしむけるのが妥当だ。このとき、塚森達をわざわざ覚醒させるのは馬鹿げている。
「花坂君、油断しないで! 様子がおかしい!」
いちはやく緊張感を取りもどした塚森が警告し、立ちあがりざま自らの力で浮橋を燃やした。
浮橋は、自分の衣服が炎上していくのをぼんやりと眺めている。髪にも眉にも火が移っているが、悲鳴どころか熱がりさえしない。
いきなり、彼女は口を開いた。喉の奥から、何か硬い物が硬い物の上を転がる音がする。まるで、体内にスピーカーが内蔵されているようだ。
燃えているまま、かつ、口を開いたまま、浮橋の頭の上半分が左右に割れた。脳が露出するかと思いきや、小指の爪ほどしかない銀色の丸い玉が噴水のように噴きだした。さらに、口からも。
次いで、彼女の両足が馬のそれになった。大きさこそ変わらないが、もはや衣服はまとってない。
最後に、両手が自転車のタイヤになった。
「パチンコ玉か!」
足元に転がってきた銀玉から、花坂はようやく察しをつけた。馬の足は競馬、両手のタイヤは競輪だといいたいのだろう。
浮橋の借金の原因がギャンブルなのは当然として、どんな方法でこんな姿になったのかは理解に苦しむ。
「大当たり! 大当たりいいい!」
口からパチンコ玉を吐きだすのをやめたかと思ったら、浮橋は、芯から嬉しそうに大声を放った。
「何の騒ぎですか!?」
やっと眠気が消えた小角は、浮橋が変化した瞬間をはっきり掴んでない。だから、もっとも動揺が激しかった。
「小角さんも! まだ敵は倒れてないから!」
塚森がゲキを飛ばした。花坂は、無言で二人を背にして浮島の前に立ちはだかっている。
「ああっ三辻様! これで私は名実ともにあなたの理解者になれたんですよね!? 素敵な生け贄です!」
頭から湧いていたパチンコ玉も、ようやく止まった反面、頭蓋骨は左右に別れたままだ。
「こいつ、いい加減に……」
「先生、待ってください! 小角さんも! 俺達の力を逆手に取っているかもしれないです!」
三辻なる名前は、さっき浮橋を尋問したときに挙がっていた。彼は、ただ幻覚のみを浮島に与えたのではなかったようだ。恐らくは、彼女が任務に失敗したときの保険を構えておいたのだろう。彼女もそれは承知している風ではあるが……。
「さぁっ! あなた達は、私と三辻様の結婚式に捧げられる食材なのです!」
浮橋はうっとりしている。ものの例えではなく、本当に花坂達を調理しかねない。
「私は最年少幹部候補生!」
その誇らしげな言葉は、一つの口から発されたのではなかった。小さく甲高くはある反面、何百何千もの口からいっせいに告げられたものだ。
「私は三辻様の伴侶!」
最年少云々と寸分違わぬ要領で、浮橋の宣言が繰りかえされた。
「は、花坂先輩! 下! 下!」
小角が、震えながらも注意を促した。
足の爪先にかすかな衝撃を感じ、小角の意見もあって、花坂は床を見た。さっきまであふれかえっていたパチンコ玉の一つ一つが、サイズは同じなままミニチュア版変身浮橋になっている。その何体かが靴の上に乗ってきた。
「うわぁっ!」
花坂は一歩下がった。
「キモい! キモーい!」
小角は目をつぶりながら、背をロッカーにあずけて真横に移動した。はずみで三体のミニチュア浮橋を踏みつぶした。
その直後、小角は不自然に直立不動の姿勢となった。彼女の両目から瞳が消え、新たに、虹色に輝くアルファベットのVが現れた。
「お、小角さん! くっ!」
花坂は、急に両足の甲を襲った痛みに顔をしかめた。ミニチュア浮橋が大量によじ登っている。いきなり巨大な重しを積まれたようなダメージだ。
床はほとんどがミニチュア浮橋によって埋まっている。小憎らしいし、一向に収まる気配もない。花坂は、怒りに任せて、ミニチュア浮橋を自分の両足の餌食にしようとした。危うく思いとどまった。
「ひ、膝まで登ってきたよ!」
塚森の方がもっとひどい状況だ。
「連チャンいきますよ! 次はあなたの番ね! 激熱リーチかかってますから!」
「いい加減にして!」
塚森は、本人の性格からすれば、超人的な忍耐を果たしている。だが、それならそれで、どのみちひしゃげるまでまとわりつかれるのは簡単に想像できた。小角はもう、うんともすんともいわない。
小角が元通りになったとしても、花坂は、浮橋を無傷で捕えるつもりがこれっぽっちも認められなくなった。




