第三章
佐伯信一のバスが再び山道を走り出し、車内は静けさに包まれた。
咲は、ノートを胸に抱きながら、窓の外の枯れた山肌をぼんやりと見つめていた。
冷たい風がガラス越しに響くたび、ふと胸の奥にしまっていた記憶が、こぼれ落ちてきた。
あの日、東京のカフェの窓際。
薄暗い店内で、咲はPC画面を前にため息をついていた。
地域活性化の論文を書いていた大学時代の夢。
「過疎地域を救いたい」なんて、あの頃は純粋に信じていた。
けれど、就職活動で現実を知り、同級生たちは次々と都会の企業に就職を決めていった。
自分だけが、何かに取り残されたような感覚。
そんな時、偶然目にしたのが「地域おこし協力隊募集」の小さな広告だった。
―人口わずか60人。風見村で、あなたの力が必要です。
「必要としてくれる場所があるなら、行ってみよう。」
あのときの決意は確かだったはずなのに。
いざ村に来てみれば、現実は厳しく、イベントを企画しても人は集まらず、村の人たちはどこかよそよそしい。
何かを変えたいのに、何も変えられない。
「私、ここで何をやってるんだろう。」
咲は、何度もそう思った。
都会に戻った友人たちのSNSには、キラキラした生活が溢れていて、それを見るたびに胸がチクリと痛んだ。
バスの振動に、咲ははっとして我に返った。
佐伯の言葉が耳に残っていた。
「お前が変えようとしなくても、この村は、なんとかなるもんだ。」
「なんとかなるもんだ……。」
咲は小さくつぶやいた。
心の奥底で、何かが少しだけ軽くなるような気がした。
彼女はノートを開き、ふと走り書きのようにペンを走らせた。
「村を変えるんじゃなくて、私がここで何を感じるか――それを書いてみよう。」
紙の上で、インクの線が踊り始めた。
冷たい冬の朝、バスの中で、咲の心に小さな灯りがともったような気がした。




