第95話 境界のウィル
心地よい柔らかな風がウィルの肌を撫でる。
うっすらと目を開けたウィルは、よろよろと体を起こし、まだよく見えない目であたりを確認する。
見慣れぬ風景の中、すぐそばに人が倒れているのが目に入った。
小さな手、細い腕、華奢な肩、美しい金髪。髪の隙間から先の尖った形の良い耳が見えている。
ウィルは倒れているリンの肩に手をやり、揺さぶった。
「リン、リン、しっかりして」
「う……ん……」
リンが薄く目を開く。
起き上がったリンはまだ意識がはっきりしないのか、うなだれてじっとしていた。
ウィルはリンの垂れ下がる長い髪をかきあげ、背中に回す。
リンの顔に傷は見えない。体も怪我などはしていないようだった。
リンはウィルの方を向き、記憶がはっきりしたのか、目を大きく見開く。
「ウィル!? あなた怪我は? 大丈夫なの!?」
「あ、ああ、なんともない。リンの方は?」
「私も大丈夫みたい。あのとき、アウレクスの魔法で街が破壊されたように思ったんだけど、私たちなんで生きてるのかしら」
「それにここは」
二人は周囲を見渡した。
ウィルたちがいるのは見渡す限り何もない空間だった。暑くも寒くもなく、爽やかなそよ風を感じる。
地面は土ではなく、白いふわふわしたものが敷き詰められている。
王都アウレクスではないことは確かだ。
『それは今から説明しよう』
突然声をかけられた二人は驚いて飛び上がった。
見ると、一人の青年が立っている。
年の頃はウィルたちより少し上に感じるが、姿がぼやけよく見えない。
ウィルは手で自分の目をこするが、やはり姿ははっきりとは見えなかった。
『二人とも怪我はないかな』
「あ、は、はい」
『それはよかった。結構ぎりぎりだったからね』
「あの、あなたは」
『僕の名はスペドール。ウィル、君は僕の名前を聞いたことがあるかな?』
「スペドールって、スペドラ族の祖神の」
『そう。スペドラ族を生み出したのは僕だ。ヴェトスたちの間ではスペドール神と呼ばれている』
「か、神さま」
『神様といわれると、ちょっとむず痒いけどね』
そう言うと、スペドールは二人に手を差し伸べ立ち上がらせる。
掴んだ手の感触はあるのに、形はよく見えない。不思議な感覚だった。
『さあ、よく見て。僕たちは君たち二人に話があるんだ』
「うっ……」
スペドールが指し示した方向を見た二人の目にまばゆい光が飛び込んでくる。
ウィルがなんとか目を凝らして見ると、六人の人影が光の中に立っていることがわかった。
スペドールがウィルたちから離れ、その列の端に並ぶ。
『境界の子ウィル、そして、エルフの娘リンヴァリエル』
七つの人影の中央に立つ、ひときわ大きな光を放っている影がウィルたちに語りかけてきた。
音なのか、また別の何かなのか、不思議な響きを持つ声がウィルたちの体を震わせる。
『我はオリゴ。大陸に新たな世界を作り、ここに並ぶ我が子らを作った神である』
オリゴ。ウィルはかすかに記憶に残るその名を思い出す。
スペドラの里に滞在していた際にカスティガルから聞いた名だった。
ヴェトスを生み出した六柱の部族神を生み出した主神と言われる存在だった気がする。
「あの、ここはいったいどこなんですか? 私たち王都でアウレクスと戦っていたはずなんです。王都はどうなったんでしょうか?」
リンがオリゴに問いかける。
ウィルは神を名乗る存在が現れ面食らっていたのだが、リンは特に戸惑った様子はないようだ。
エルウィンヌ神と会っていたようだし、神様慣れしているのかな、とふと思う。
『汝らは小神アウレクスの蛮行により、かの都とともにその生涯を終えるところであった』
「かの都とともにって……じゃあ、王都は」
『すでにあの地に都はあらず。そこに住まう人の子らともども消え去った』
「そ……んな……」
ウィルとリンの血の気が引いていく。
メアウェンもセオルもフローラも、アウレクスの生み出した光球によって消滅させられてしまったというのだ。
「なんで……こんなことに……メアもせっかく助けられたのに……」
リンが地面にへたり込む。
『かの小神は遠く離れた地より来たる天空の目により生み出されし者。我らが世界に仇するために異世界より呼び寄せられた魂。小神とはいえ、捨て置けばいずれ大陸の人の子らに害をなそう』
「天空の目……あれは一体なんなんですか?」
『……』
返答をしないオリゴ神にリンは訝しげな顔をする。
『古い話をしなければならぬ。我にとっては少し前の、汝らにとっては遠い過去の話だ』
オリゴが語り始めた。
今を遡ること数千年。一万に届こうかというほどの昔。
オリゴはとある国の研究者だった。幼少の頃より才を見出され、国家の管理のもとで育てられた彼は、長ずるにつれその才をいかんなく発揮し様々な成果を上げていった。
獣が発する気と人が発する気の性質の違いの発見、それを活用した術式の構築、獣の気や人の気を器物に蓄積し再利用する方法。
獣の気は後に魔力と、人の気は神気と呼ばれるようになり、民の生活を便利にする一方、軍事力にも応用される。
世界でも飛び抜けた力を持ったその国は、敵対国だけでなく、友好国までをも飲み込みその版図を広げていった。
力でねじ伏せられた周辺国には、飲み込みきれない恨みの火がくすぶり続ける。
征服地では反乱が度々起き、人々は戦いの火の中に焼かれていった。
軍事力を独占していた国は、反乱が起きるたびにその力で鎮圧、その地域の民を下級国民として貶め、権利を奪い多くの義務を課す。
かくして、強大な国家の中に階層が生まれ、富める者と貧しい者に分かれていった。
オリゴは苦悩していた。
彼は民の中に格差が生まれることを好んではいなかった。
様々な研究成果は民を幸福にするためのもののはずだった。しかし、現実には幸福な者と不幸な者を生み出してしまっている。
職を辞し、研究から身を引くことも考えた。だが、才能あふれる彼を国が手放すはずもなく、見えない鎖に繋がれた彼は研究を続けることしかできなかった。
そんな折、オリゴはまた新たな発見をする。
異世界への扉。
人の発する気を利用し、自らの世界とは次元の異なる世界への扉を開く。
オリゴは新たな世界に足を踏み入れ、一人の少女と出会った。
名をテルミナという。
その世界では人の営みがあり、そこではオリゴたちと変わらない人々が幸せに暮らしていたのだ。
テルミナの協力を得て、オリゴは新世界の調査に没頭した。
彼女はオリゴに匹敵するほどの才があり、次々と知識を吸収していった。
二人の天才がかかりきりになって数ヶ月、新世界の姿が明らかになる。
それは、新世界が生まれてまだ数ヶ月しか経っていないということだった。
「それって、どういう――」
『我が発見したのは、異世界へ移動する術式ではなく、異世界を創造する術式だったのだ』
新たに世界を創造する。
この神の御業のごとき術式に、オリゴは興奮した。
これまでのどの発見、発明よりも素晴らしい成果だ。
それと同時に不安を覚える。
この術式が国に知られればどのようなことが起こるか。
欲望のままに膨らみ続けるこの国は、新たな世界にもその食指を伸ばし、資源を人を奪い尽くすだろう。
そしてその不安は現実となった。
研究成果を隠し続けるオリゴの態度を不審に感じた管理官が、彼に無断で研究資料を持ち出したのだ。
異世界の創造という、とてつもない術式を目にした国の上層部は、その成果に沸き立つ。
これがあれば無限の領土、無限の資源が手に入る。もはや生産や節約の必要もない。奪い、底をつけば新たな世界を作ればいいのだ。
そう考えた国は、手始めにテルミナの世界に攻め入った。
生まれたばかりの世界と、成熟した文明の戦争は戦争とも呼べないただの略奪だった。
鉱物資源、生物資源、ありとあらゆるものが新世界から奪われた。
人々も例外ではなく、労働力として、あるいは魔力を生み出すための存在として連れ去られた。
テルミナはオリゴの助手の地位を得ていたため、手を出されることはなかったが、彼女の家族、友人たちは皆連れ去られ、彼女の故郷は人もいない荒涼とした廃墟と化してしまった。
オリゴは自らの発見を後悔した。テルミナに合わせる顔がなく、研究所から逃げ出した。
悲劇の発端となった術式を使い、新たな世界を創造する。その中に逃げ込み内側から封印したのだ。国が、テルミナが追ってこられないように。
「ひょっとして、その世界って」
『然り。我が新たに作った世界こそ、汝らが住む大陸。そして、天空の目こそ、我があの世界で出会った少女、テルミナ』
「その、話し合うことは出来ないんですか? きっかけを作ったのはあなたですが、テルミナさんの世界を滅ぼしたのはあなたではないはず」
ウィルの問いかけに、オリゴは首を振る。
『難しいだろう。彼女は我を恨んでいる。我のみならず、汝らもまとめて滅ぼそうとする可能性もある。それだけのことが起こったのだ』
ウィルは黙り込む。
「アウレクスはその天空の目、テルミナさんに作られたと」
リンが代わりに質問する。
『然り。テルミナは我の封印を破れず、その力の大半をこの世界で振るうことができない。別の異世界で死んだ魂を捕まえ、自らの代わりとしてこの大陸に送り込んだのだ。我への刺客として』
「アウレクスはヴェトスとして生まれたと聞きました。彼が神の力を得る前になんとかすることはできなかったんですか?」
ウィルが再び発言する。
『それはできた。異世界より紛れ込んだ魂のことも把握していた。しかし――』
『僕が頼んだんだ』
オリゴの言葉をスペドールが引き継ぐ。
『アウレクスは元々まったく別の世界の魂だ。テルミナによって我々の問題に巻き込まれただけなんだ。彼は力を得てもことさら我々を狙ったり、大陸に破壊をもたらすようなことはなかった。ただ、国を作り、しばらくは平和に暮らしていた。彼はスペドラ族の生まれだ。自分の眷属として生まれた彼を、何もしていないうちに裁くなんて、僕には見過ごせなかった』
『だが、結局やつは行動を起こした。テルミナにそそのかされ、我らの眷属の国ヴェトス国に攻め入ったのだ』
次兄フリオン神が指摘する。
野性を司るフェロン神、怒りを司るフリオン神、死を司るウンブリオン神、愛を司るフォヴォラ神、理性を司るラティオン神、そして希望を司るスペドール神、オリゴの前に並ぶ六柱の兄妹神はヴェトスを生み出した部族神たちだ。
『平和に暮らしていれば、そのままにできた。だが、彼は自らの国を滅ぼした。あれほどの力を得てしまっては、もはや放置はできない。あの力が大陸に住まう者たちに向かうことを阻止せねばならなくなったのだ』
三兄ラティオン神が朗々と発する。
「アウレクス……」
リンの絞り出すような声を聞きながら、ウィルが問いかける。
「アウレクスが里に残っているヴェトスの人たちにも手を出すと言うんですか」
『然り。神の力を持つ未熟な魂は再び混乱を引き起こす。ヴェトスだけではない。エルフ、ドワーフ、オーガ、みな等しくかの者の手にかかるやもしれぬのだ』
「アウレクスがまた多くの人の命を」
『然り。しかし、我ら神々は肉体を失って久しく、汝らをこの神界に呼び寄せることはできても、現界に顕現する神を討つことはもはや叶わぬ』
オリゴが言葉を切る。
『ことの発端が我にあることは承知の上で、汝に頼みたい』
ウィルは七柱の神々の視線が自分に集まっているのを感じた。
『ヴェトスの血と人間の血を併せ持ち、さらに異世界人の魂をも宿す、種族と世界の境界に立つ者ウィルよ。我らの力を託す。我らに代わりアウレクスを討ち取ってくれ。ヴェトスと人間、いずれにも属さず、またいずれにも属し、エルフやオーガ、様々な種族と交流を持った汝こそ、大陸に住まう人の子らの代表としてふさわしい。受け取れ、我らの力を。そして再び神となれ』
ウィルの指先をそっとリンが掴んだ。
「リン」
「また……アウレクスと戦うの?」
「……」
「最後のアウレクスはすごい力を持っていたわ。あの強かったメアもアルドさんも何もできないまま殺された。勝てるの? それに勝ったからってみんなは――」
「でも……まだ、大陸に生きている人たちがいる。アウレクスを止められるのが俺だけなら、彼らの命を守れるのが俺だけなんだったら」
「ウィル……」
「リン、俺たちは傭兵騎士団、人々を守るのが仕事だろ?」
振り向いたウィルの目を見て、リンは微笑んだ。
「……そうね。わかった。でも、私も行くから!」
「ああ! アウレクスを止めよう!」
『汝、境界のウィルよ。人の子らの代表よ。我ら神々の力を以て、かの災禍を除き、我らの世界を救うのだ』
七柱の神々から光があふれ、その力がウィルに注ぎ込まれる。
神の力はウィルの体を変化させ、にじみ出していた魔力が神気に変わった。
ヴェトスの紋様は黄金に輝き、溢れる光があたりを照らす。
その背に翼はない。
「さっきとは違う。すごい力を感じるけど、林檎のものとはまた違う感じだ」
ウィルが自分の手を見て言う。
そこには溢れる神気が目に見えるほどの濃度で漂っていた。
『ウィルよ。神の力の本分は破壊にあらず。それを忘れるなかれ』
オリゴがウィルに言う。
「はい、破壊は必要なときだけに」
『僕が現界へ送ろう』
スペドール神が進み出た。
「行こう!」
ウィルがリンに手を差し伸べた。
頷いたリンがウィルの手を取る。
ウィルとリンは、スペドール神の力で現界へと飛び立った。
感想やリアクション、お待ちしております。
☆☆☆☆☆評価や、ブックマークもぜひよろしくお願いいたします。
Xやってます。
@fumikiao




