第94話 完全なる神の顕現
白一色の世界は、少しずつ少しずつ色を取り戻し始めた。
ウィルの体から放たれた光は収まり、破壊された王都の街が見えてくる。
王都最奥の大聖堂前広場の上空に浮かぶのは、林檎によって神の力を得た少年ウィル。
眩しさに腕で目を覆っていたリンが、ウィルの姿を見て驚きの声を上げる。
「ウィル、あなた――」
「……そうみたいだ」
リンはウィルが変わってしまったことを感じ取っていた。
命を落としたあと精霊の世界で出会ったエルウィンヌ神、アイユンと同じものをウィルから感じる。
「アイユン様と同じ感じがする。神に……なったのね」
ウィルは輝く光を纏い、背には十四対、二十八枚の翼を携えている。
その体からは絶え間なく神気が溢れ出し、ウィルとリンのいる空間を満たしていた。
ウィルが翼を発現する際にはわずかに混ざった神気が魔力とともにあふれていた。
しかし、今のウィルからはもはや魔力は感じられない。
そのすべてが神気に置き換わっていた。
しかし変化はそれだけではなかった。
「ねえ、リン。体が――」
ウィルに言われたリンは、違和感に気づいた。
先程までと感覚が違う。
はっとして、自分の手を見た。そこにあったのは向こう側の透けた霊体の手ではなく、生きていた頃と同じ肉体を持った手だった。
「これって……」
「リン、生き返ったの!?」
「いいえ、そうじゃない。これはたぶん――」
「たぶん?」
「私もなっちゃったみたい。神様みたいなものに」
エルウィンヌの試練をこなしていたとき、彼女から聞いたことがあった。
守護霊にはさらに上の段階があるということを。
守護霊がその力を高め、昇華し神性を帯びたとき、さらに上位の霊になることがある。
それこそが霊威と呼ばれる神霊だ。
姉ルーセリエンが堕ちた暗き霊威と対になる存在。善性を持ち、神の如き力を備えた霊体の頂点。その力をもってすれば、自らの肉体を取り戻すことなど造作もない。
ウィルの神気を全身に浴び、リンはこの霊威に進化したのだ。
「お、お前は……お前は林檎の力を」
わなわなと震えるアウレクスに二人は向き合う。
「俺の力を返せぇぇええええッ!」
アウレクスがウィルたちに向かって突撃した。
神の怒りが込められた拳が音速を超え、ウィルたちに殺到する。
空気の壁を打ち破る轟音が鳴り響き、大地が揺れ動く。
ウィルは右手を差し出し、掌を開いた。
ドゴンッという音とともに、アウレクスが弾き飛ばされる。
アウレクスは高速で地面に叩きつけられ、ベオルスリック大通りに大穴を穿った。
「神になんてなりたくはなかったけど、今はこの力、使わせてもらう。アウレクス、俺はあなたを止められる。この世界はもうあなたの思い通りにはならないんだ」
大穴の底からアウレクスが這い出してくる。見事な金髪は薄汚れ、金糸が織り込まれた服はあちこちが裂けていた。
「もう、あきらめろ。これ以上暴れるつもりなら、俺はこの力であなたを滅ぼす」
「許さない」
アウレクスが再び空へ昇る。
「許さん! 俺の力を盗んだ泥棒野郎が、俺に指図するなんて絶対に許さん!」
アウレクスが両手両足を大きく広げる。
「人間たちよ、国民たちよ! お前たちに与えた魂を俺のもとに寄越せ! 魂の力でこいつを討つ! それに協力するのがお前たち被造物の義務だ!」
アウレクスの体から神気を帯びた光が放たれる。それは無数の光の矢に分かれ、民たちの元へ飛翔した。
そのうちの一本が瓦礫の中に倒れていたキネムドに注がれる。
キネムドの体は大きくのけぞり、霞のような何かを放出して、ぐったりと動かなくなった。
キネムドから出た何かはアウレクスの元へ飛び、その体に吸収される。
キネムドの魂は、力としてアウレクスに奪われたのだろう。
「まずい、このままだとみんなが!」
「私がやる! まかせて!」
リンが祝歌を詠唱する。
その歌はウィルがこれまで聞いた祝歌の中でも一際暗く、悲しい響きをもっていた。
「現れて! 光喰らう影ラーフ!」
首だけの姿の闇の上位精霊ラーフが、アウレクスの放った光を追う。
中央広場で、正門前で、王都のいたるところで、光に撃ち抜かれ魂を奪われた人々が倒れていく。
ラーフはセオルたちをはじめとしたまだ無事な人々に取り付き、闇でその体を包んでいった。
遅れて届いたアウレクスの光が、闇に食いつかれて消えていく。
アウレクスの元へ戻ってきた魂は、国民の五分の一にも満たない数だった。
「こ、こんな、こんな量じゃ――こいつには勝てない」
「量ですって! その魂一つ一つがそれぞれの命なのよ! 神だからって、そんな扱い許されないわ!」
「アウレクス! 奪った魂をみんなのもとへ戻せ!」
「クソッ! クソックソックソックソックソォオオオオオオオオ!!」
「アウレクス!」
「なぜなんだ! なんでいつもこうなる! 俺は、俺が思うことをやりたいだけだ! なぜいつも邪魔ばかり入る! なぜ俺を否定するんだ! ずっとそうだ! アウレクスでもアレックスでも! なぜやらせてくれないんだ!」
「身勝手な理屈で、人を人とも思わないやり方が止められないわけがないわ!」
喚き散らすアウレクスをリンがたしなめる。
「認めないッ! ここは俺の国だァーーー!!」
両腕を光の刃に変え、アウレクスがウィルに襲いかかった。
国民の五分の一とはいえ人の魂で力を増したアウレクスの刃は、一振りでも街を壊滅させられるほどの威力を秘めているはずだった。
しかし、ウィルが構えた神気をまとう二刀、メアウェンの剣とタレンの剣にあっさりと受け止められる。
「っこ、このォッッ」
アウレクスはさらに力を込めるが、微動だにしない。
ウィルが二刀を跳ね上げ、体が開いたアウレクスは大きく弾かれる。
「アウレクスッ!」
振り下ろされた二振りはアウレクスの両肩から胸にかけてを深々と切り裂く。
体液を噴出させたこの国の神はゆっくりと地面へ落下していった。
アウレクスを追って、ウィルとリンも地上に降りる。
仰向けに倒れたアウレクスは天を仰ぎ、その目からは涙が流れ出していた。
「……クソッ……どうして……こんなことに……」
「終わりだ、アウレクス。神なんだからその傷では死なないだろう。これからは、国をみんなのために運営するんだ。自分のやりたいようにじゃなくて、みんなが幸せになるように」
「私たちがあなたを見張るわ。また、あなたが暴走を始めたら私たちが止める」
「クソッ……お前はウォーデンブラウンなんだろう……エミリーの子孫なんだろう……ウォーデンブラウンは王を助けるのが役割なんだ……」
ウィルがアウレクスを見下ろして言う。
「だからって、間違っていることまで手伝うのが正しいとは思わない。その人を正すことだって助けることになるはずだ」
「エミリー……助けてくれ……お前はいつも俺の味方でいてくれたじゃないか……エミリィィーーーーーー!!」
アウレクスの絶叫がこだまする。
その時、ウィルの胸元にぽつりと光が灯った。
「え――」
ドクン、とウィルの体が跳ねる。
「あ、あ、ああ」
ウィルの背が反り、がくりと地面に膝が落ちる。
「ウィル!? どうしたの!? ウィル!!」
震えるウィルの肩をつかみ、リンが声をかける。
ウィルの目は見開き、何も見ていない。
声をかけ続けるリンの眼前、ウィルの胸元から女性の霊が現れた。
微笑みをたたえたままリンを一瞥すると、ウィルの体からするりと抜け出す。その胸には光る珠を抱えていた。
『アレックス。今行くわ』
女性霊はアウレクスの元へ飛翔する。
のけぞっていたウィルは意識を失い、膝を折ったまま地面に倒れ込んだ。翼は消え、神気も魔力に変わっている。
「ああ、エミリー……やっぱりお前は……」
アウレクスがエミリーと呼ばれた霊に手を差し伸べる。
その手を取ったエミリーは持っていた光の珠をアウレクスの胸に押し当てた。光の珠はアウレクスの胸に沈んでいく。
『さあ、立って。アレックス。私はいつでもあなたの側にいるわ』
倒れていたアウレクスの体から神気が一気に溢れ出す。その勢いはウィルとリンを吹き飛ばした。
地面に打ち付けられ、痛みをこらえてリンが顔を上げる。
「あれは……守護霊……それに、ウィルの力を……!」
アウレクスがゆっくりと立ち上がった。ウィルに斬られた傷はすでになく、その体からは虹色の光とともに濃密な神気が溢れ出している。
アウレクスはエミリーの腰に腕を回し、背に生えた二十九枚の翼を羽ばたかせる。
空を見上げると、一気に上空へ昇った。
「は、はは、ははははは! 全部だ! 全部の力を手に入れたぞ! エミリー、お前のおかげだ。やっぱりお前がいなきゃ始まらない」
『役に立てて嬉しいわ。アレックス』
エミリーはアウレクスの首に手を回し、体を寄せる。
「もう俺を止められる者はいない。この国も必要ない。終わらせよう、エミリー」
アウレクスが左手を高く掲げる。その掌の先に巨大な光球が現れた。大きさを増す光球は、すでに大聖堂をすっぽり覆えるほどのものになっている。
「ウィル! 目を覚まして! ウィル!」
リンがウィルを覚醒させようと必死に揺さぶる。
「消えてなくなれ!!」
アウレクスが光球を街に向かって投げつけた。
巨大な光の球が建物を、人々を押しつぶしていく。
傭兵騎士団本営もウィンステッド商会もばらばらに砕かれ、消え去っていった。
光球は王都アウレクスをすべて飲み込み、超高温と超高圧の力で灰燼に変えていく。
光が消えたその後には、見渡す限りの瓦礫しか残らなかった。
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