第88話 公爵の罪
空には暗い雲が広がっていた。
時刻は正午を回った頃のはずだが、そうは思えないほどあたりは薄暗い。
ジメジメとした湿気が肌にまとわりつき、雨の到来を予告していた。
雷鳴と共に稲光が走り、大聖堂に入り込んだ光がバラ窓のステンドグラスによって色づき、放射される。
色とりどりの光はバラ窓の前に立つ巨大な人影を浮かび上がらせた。
赤光宿る両眼が浮遊する人魂のように揺れている。
「ようこそ」
大聖堂前広場に乗り込んだウィルたちは冷徹な声に迎えられた。
大神像の足元、大聖堂のゲート前に人影が姿を現す。
「神の宝物に手を付けた盗人の諸君。私はお前たちの蛮行を一人の信仰者として悲しく思う」
「キネムド!」
「キネムドっていうと」
反応したフェイにウィルが尋ねた。
「聖騎士団の団長であり、現教皇だよ。前教皇の死が陰謀ってんなら、こいつが一番の容疑者だ」
「俺たちを嵌めた張本人ってことか」
「しかし、神は仰られた。咎人といえど罰ではなく慈愛をもって接せよ、と」
こちらの声が聞こえていないのか、キネムドは朗々と響く声で話し続けている。
「今すぐ宝物を返還すれば、お前たちの罪を赦すと神は仰せだ。その慈悲に感謝し、為すべきことを為せ」
「……断ればどうなる」と、ウィル。
「ぐぅおッ!?」
ウォーデンブラウン公爵の口から苦鳴が漏れ出した。
大神像が公爵の体を締め上げているのだ。
「やめろッ!! 人質を取るなんて卑怯だぞ!」
「人質ではない。我が同輩ウォーデンブラウンは、彼個人の罪がある。だが、お前たちが善行を行うならばこの者は返してやろう。神はお前たちが善なる者に変わることを望まれている。己が罪を悔い、神に忠誠を誓え。宝物の返還はその証左となろう」
「くっ」
神の宝物『アウレクスの林檎』を返してしまうと、こちらの手札がなくなってしまう。
ウィルやメアウェンたちの冤罪を消し去るには、交渉のための手札が必要だ。
今、林檎を手放してしまえば、この先疑いを晴らすことが難しくなるだろう。
ウィルが逡巡している間も、公爵の苦悶の声は続いていた。
すでに大神像の手の中にある公爵を無理やり救出することは不可能に近い。
ウィルたちに打てる手はなかった。
「わかった」
ウィルが物入れから林檎を取り出す。
「これは返す。だから、公爵様を解放してくれ」
魔力の淡い輝きを放つ宝珠が、ウィルの手から離れてふわりと飛んでいく。
それは大聖堂前広場を横切り、待ち受けていたキネムドの手に収まった。
「よい善行だ。お前たちの盗みの罪は赦されたぞ」
大神像が石の擦れる音を上げながらかがみ込む。
地上に公爵を下ろすと握っていた右手を解放した。
「公爵様!」
こちらに向かって駆けてくる公爵を迎えるようにウィルが走り寄る。
あと少しでウィルの手が公爵に届こうかというとき、赤い光条が走り公爵の腹部を両断した。
つんのめりうつ伏せに倒れる公爵にウィルが駆け寄る。
「そんな……そんな、公爵様!」
「ウィ……ル……」
腹部からおびただしい量の血を流し、ウィルに抱きかかえられた公爵は虚ろになっていく瞳でウィルを見つめる。
「愛しい……我が……孫……」
「こ……お祖父様!」
「お……まえの、幸……せを……ね……がう。エ……ディスと……とも……に……」
公爵の体から力が抜けていく。すでに目の光は失われていた。
ウィルは大神像を睨みあげる。
その瞬間、大神像の右目が強く輝いた。
ウィルは咄嗟に後ろに跳び、着地する。
赤い光条が先程までウィルがいた場所を穿ち、石畳が白煙を上げていた。
「キネムド!!」
「言ったはずだ。盗みの罪は赦されたと。その男はウォーデンブラウンの名を賜りながら神に逆らった。その罪まで赦すとは言っておらん」
キネムドが右手を高く上げた。
その手が煌めくと、上空から空気を切り裂く地鳴りのような音が鳴り響く。
厚い雲を突き破り、落下してきたそれらが広場に着弾すると、とてつもない轟音と石畳の波を作り出した。
「うわああああああッ」
衝撃波に煽られ、公爵を抱いたままウィルが吹き飛ぶ。
広場の建物にぶつかり、壁に亀裂が入った。
「くっ」
なんとか体を起こしたウィルが見たのは、新たに現れた二体の大神像の姿だった。
「そして、教皇をその手にかけたという大罪! いかなる善行を積もうとも、その恐るべき罪は赦されることはない! その生命を差し出し、贖罪への贄とするのだ!!」
三体になった大神像が、ウィルと仲間たちの抹殺のために動き出した。
「皆、早く立て! ぼやぼやしてるとあっという間に踏み潰されるぞ!」
メアウェンの声が聞こえる。
ウィルは公爵の亡骸を横たえると、瓦礫を押しのけ広場に戻った。
右端の大神像がこちらを見ている。
大神像の右目の輝きに反応し、ウィルは横っ飛びに体を投げ出した。
地面を転がり、体を起こしたウィルの眼前に巨大な平手が現れる。
石壁がぶつかってきたような衝撃にウィルの骨がみしみしと音を立てた。
「っく」
弾き飛ばされたウィルは地面を何度もバウンドし、再び建物の壁にぶつかって止まった。
頭がくらくらする。
なんとか立ち上がり、前を見た。
先程の大神像がこちらに向かってきている。
大きい。
ウィルは改めて、大神像の巨大さを認識した。
三階建ての建物よりも頭の位置は高いのだ。こんな物と戦って勝てるのか。
逃げるか。メアウェンを助け、祖父を失った今、ここに留まる理由はない。
しかし、逃げても神像たちは追ってくるだろう。王都の建物をなぎ倒しながら。
今や、やつらの目的はウィルたちの抹殺なのだ。被害を増やさないためにはここで倒すしかない。
「おぉぉぉぉぉおおおおお!」
ウィルの魔力が高まり、触手が活性化していく。
それとともに、触手が白色化していった。翼に変化させられれば。だが、どれだけ魔力を高めてもウィルの翼が顕現することはなかった。
「だとしても!」
ウィルは触手を伸ばし、大神像の首に巻き付けると、自らの体を宙高く持ち上げた。
◇
「あぁぁぁあああああ!」
ドラヴァルの体が紋様に包まれていく。
それと同時に強化フィールドがドラヴァルを中心に広がっていった。
「フローラ! 来い!!」
ドラヴァルは振り返り、走り込んでくるフローラを迎える。
両手を組み、フローラのための踏み台を作った。
「ドラヴァルさん!」
フローラが勢いをつけてドラヴァルの両手に足をかける。
フローラの体がドラヴァルの強化を受けて光を帯びた。
「いけえええええ!」
フローラの跳躍に合わせドラヴァルは彼女を上空に投げ上げた。
舞い上がったフローラの右手に光が集まる。
「でえええええええい!!」
凝縮した魔力とともに、渾身の拳を大神像の顔面に打ち付ける。
フローラの一撃は大神像の頬の一部を粉砕する。しかし、それは巨大な神像にとって痛手となる規模のものにはならなかった。
(硬い……)
落下するフローラを狙い大神像が左手を振り上げる。
直撃を喰らう寸前、フェイの放ったシルフがフローラを抱きかかえ、その軌道からフローラをそらした。
「おぉぉおらぁぁああああ!!」
地上では、ドラヴァルが金棒を大神像の脛に叩きつけていた。
族長家の力で強化されたドラヴァルの打撃でも、少しヒビを入れる程度にしかならず、足をへし折るのはとてもできそうにない。
「ってぇえええ」
金棒から衝撃が伝わり、ドラヴァルの手を痺れさせる。
危うく金棒を取り落としそうになったドラヴァルはなんとか握り直し、足を振り上げた大神像の攻撃から逃れるように後ろに下がった。
隣にフローラがすとんと着地する。
「ったく、誰だこんなもん作ったのは」
「神様――ですかね」
「そっちはどうだった?」
「一部は破壊できたんですけど」
ドラヴァルはフローラが攻撃した大神像の頭部を観察した。
左頬が壊れ、中の歯列が見えている。とはいえ、動きに制限を与えるほどの傷ではなかった。
「上等上等。俺の力で底上げすりゃ、足の一本くらいはいけそうだな」
「さっき使ったあの力が使えればいいんですけど」
「あの力?」
フローラが自分の掌を見つめる。
「聖騎士と戦ったとき、すごい力が出せたんです。セオルが命をかけて作ってくれた機会で。紋様が赤くなっていつもの数倍以上の力が出せました」
「ああ、赤い紋様か。やめとけ。ありゃヴェトスの最後の力みたいなもんだ」
「最後の?」
「普段俺らは紋様にも力の上限を設けて使ってんだ。無意識にだけどな。だが、時々、その上限を外せることがある。それが赤い紋様だ。発動条件はわかっちゃいねえが、大体が切羽詰まったときだな。確かにすげえ力が使えるようになるが、それだけじゃ済まねえ。強すぎる力は体の負担も大きい。ちょっと使うだけでも内部では損傷が起きてるはずだ。それに、際限なく魔力を消費した場合、俺らヴェトスは死んじまう。ありゃ使っちゃいけねえ力だ」
「そうですか……」
「振りじゃねえからな。使うなよ、フローラ」
ドラヴァルがフローラに指を突きつける。
「わかりました」
「とりあえず、今ある力で戦おうや。さっき左足にヒビを入れといた。そこをもう一度狙うぞ」
「はい!」
ドラヴァルとフローラは大神像に左足めがけて走り出した。
大神像は右目の赤い光条で迎え撃つ。一本の線と化した高熱の魔力が、ドラヴァルたちを追う。二人は左右に避けながら、光条によって不可思議な模様が描かれる石畳を走り抜けた。
「あそこだ!」
大神像の左脛の下あたりに、先程ドラヴァルがつけた亀裂が見えた。
二人が足元に走り込む。
「行くぞ! フローラ!!」
「はい!」
大神像が左足を振り上げ、二人めがけて叩きつける。
ドラヴァルとフローラは左右に分かれてそれを避けた。
「っつぅ!」
顔の前に両腕をかざし、飛び散る石畳から身を守る。
「今だ!」
大神像が重心を左足に移したのを見計らい、二人は飛び出す。
フローラの右手に光が集まっていった。
「思いっきり行け!」
「はい!」
大神像が右手を二人に向かって振り下ろす。
ドラヴァルは金棒を掲げ、巨大な石壁のような拳を受け止めた。
強力な圧力がドラヴァルの体を伝い、足元の石畳を砕く。
「行けええええ! フローラァァァアア!」
「おぉぉぉおおおお!」
フローラの渾身の一撃が大神像の足に突き刺さる。
大きく鋭い亀裂が一気に広がり、大神像の左足首が砕け散った。
「やった!」
「フローラ、下がれ!」
支えを失った大神像の体が大きく傾ぎ、雷鳴のような音とともに横倒しになる。
押しのけられた空気が二人を襲い、厚い土煙があたりに立ち込めた。
「くっ」
見通しが極端に悪くなる中、土煙の向こうに大きな光源が現れる。
「魔砲!?」
「盾魔法だ!」
発動させた強化盾魔法を前面に掲げる二人を、極太の光条が包み込んだ。
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