第87話 幻の家族
「オースウォード伯」
近衛騎士団長ヘレワード・オースウォードは王宮の廊下で立ち止まった。
声をかけてきたのは侍従長だ。
侍従長は王の側に侍り身の回りや執務の補佐をする侍従の長だ。
王の警護を担当する近衛の長であるヘレワードとは、担当範囲の近さもあり協力して仕事を進める間柄だった。
髪に白いものが混じるこの初老の男は、実直で勤勉、王への忠誠心も厚くヘレワードは彼に信頼を寄せている。
「侍従長殿、何か?」
近づいてきた侍従長に要件を尋ねる。
「魔族軍に城壁が突破されたと聞きました。ここの安全は……」
「近衛と聖騎士団、衛士たちで守りは固めてある。心配なされるな」
「しかし、万が一のことがあれば……オースウォード伯、陛下のご家族に避難いただいてはと思うのですが」
提案を受けたヘレワードは思案する。
王宮の守りは万全だ。城壁こそないものの、高台にあり、周囲に大軍を配置できる場所はない。
大規模盾魔法の魔法具も設置されているため、散発的な攻撃ならびくともしない。
ただ、こういう状況だ。備えはいくらしていても損はないだろう。
「ふむ、では陛下にご裁可を賜って――」
言いかけたヘレワードの脳裏に最近の王の言動が浮かぶ。
ここのところ、王の様子がおかしい。裁可を求めても、捨て置けなどと言われるかもしれない。
だが、王の家族、特に次代の王となる王太子は何があっても守らなければならない。
万が一が起これば、王家の存続が危うくなってしまう。
「いや、先にご避難いただこう。陛下には後で私から伝える」
「おお、では王妃様と姫様のご避難の手配を頼みます」
「姫……?」
姫。王女。
言い方は違えど、王の娘のことだ。
だが、今の王に娘がいたか。長年、近衛として務めてきたヘレワードの記憶には姫の存在はなかった。
「何を言っておられる。陛下に御息女はおられぬ。王子の間違いではないか?」
「オースウォード伯こそ、どうなされたのです。陛下のお子は姫様お一人。ゆくゆくは婿を取られて、とこれまでさんざん話をしてきたではないですか」
ヘレワードは記憶を探るが、やはり姫の記憶はない。
あるのは、幼い王子に剣の手ほどきをした記憶のみだ。
あれは、しばらく前のことだったと思うが、王子は今いくつになられたのだろうか。
あの可愛らしかった少年は――、そこまで考えてヘレワードはあることに気づく。
王子の顔はどのようなものだったろうか。名前は? なぜか靄がかかったように思い出せない。
王子がいるというのは、自分の勘違いなのか。
ヘレワードは目の前の侍従長を見る。
初老の男は不思議そうな顔でこちらを見返している。
「侍従長殿。おかしなことを尋ねるが、姫様の御名はなんと仰る?」
「それは確かにおかしなことですな。姫様は――む……?」
侍従長の表情が混乱したようなものに変わる。自分も今同じ顔をしているのだろうか。
「姫様の御名は……これは、どうしたことか。お名前が思い出せん」
「では、王妃殿下の御名は?」
「いや……わかりませぬ」
「そうか、実は私もだ。おかしなことだ」
「と、とりあえず、ご家族の居室へ行ってみませんか。お顔を見ればきっと思い出すはず」
「ふむ、それもそうか。では、共に行きましょう」
二人は連れ立って、王の家族の居室へ向かった。
居室の扉の前には、近衛騎士の歩哨が立っていた。
「陛下のご家族に避難いただく。ご家族はご在室か?」
「これは団長。は、お二人とも今日はお部屋から出られておりません」
(二人……か)
一人は王妃として、もう一人は王子か王女か。
「では、入らせてもらうぞ」
ヘレワードは控えの間に入り、居室の扉に手をかける。
「失礼いたす。王妃殿下、王子殿下。近衛騎士団のヘレワードです。火急の用があって参りました」
部屋の中から返事はない。
「ご免」
白い豪華な扉をヘレワードは押し開けた。
ヘレワードの目に飛び込んできたのは――
「な……これは、一体」
ヘレワードと侍従長が見たのは、家具も何もないがらんとした空き室だった。
床には厚く埃が溜まり、この部屋が長年使われていないことを教えている。
「ここはご家族の居室のはず……どうなっているのだ」
ヘレワードは部屋の中に入り、奥の間への扉を開く。
しかし、そこも何もない部屋だった。
「どうかなさいましたか?」
先程の歩哨が後ろから声をかけてくる。
「あれ、お二人ともいらっしゃいませんね。おかしいな、今日は部屋から出てこられた方はいないはずなのに」
ヘレワードと侍従長の足跡が埃に残るのみの部屋に、歩哨の不思議そうな声が響いた。
◇
その像は巨大だった。
ウィルはこれまで二度、動くアウレクス神像と相まみえている。
三度現れた神像はこれまでのものよりも二倍、いやそれ以上の大きさがあった。
二階建ての建物の屋根が、神像の腰の位置にある。
「フェイ! 公爵を安全な場所へ!」
メアウェンが指示を出している。
「セオルはオスリックさんを!」
ウィルも傍らにいたセオルに指示をだした。
「わかった! お祖父様こちらへ!」
セオルとオスリックが広場の端の方へ下がっていく。
ウィルは、こちらを見ている神像を見上げた。
通常、巨大な相手と戦うには脚部を破壊し、行動を制限するのが定石だ。
しかし、これまでの神像は足を破壊しても宙に浮き、動きを制限することができなかった。
アウレクス神像の背部に巨大な翼が見える。
あれは、石羽根を飛ばし、かつ飛行の機能も備える部分だ。
まず狙うは翼。
ウィルは触手を伸ばし、神像の腕に絡み付ける。触手を戻す力を利用し逆に自分の体を神像に引き寄せた。
空中で触手を神像の腕からほどき、続いて狙う翼に触手を伸ばそうとしたとき、神像に変化が起こった。
巨大な神像が腰をかがめ、伸び上がると同時に跳躍したのだ。
「跳んだ!?」
ウィルは触手を絡める対象を失い、そのまま地面に落下する。
なんとか両足で着地し、衝撃に耐えながら見失った神像を探した。
ウィルが神像を見つけたとほぼ同時に、神像は広場の西側に着地する。
轟音と共に、巨大な重量物が地面にぶつかり地震のような振動が発生した。
石畳が液体のように波打っている。
広場にいた面々は立っていられず、波打つ地面に翻弄され転げ回った。
振動が収まった頃、各々が起き上がり互いの無事を確認し合う。
「皆、怪我はないか!」
メアウェンがあたりを見回しながら叫んでいた。
広場に隣接する建物がいくつか崩れている。
舞い上がった土煙があたりの見通しを悪くしていた。
「無事な者は声をあげてくれ! 土煙で皆が見えない」
次々と生存の名乗りが上がる中、フェイの声が聞こえてくる。
「公爵! 公爵はどこだい! あたしの側にいたはずなんだ!」
公爵の姿が見えない。動揺のざわめきが広場を埋める中、ウィルは土煙から起き上がる神像の上半身を見た。
その手の中に――
「ぐ……私は、ここだ……」
巨大な神像の右手にウォーデンブラウン公爵は捕らわれていた。
握り込まれた神像の拳から公爵の肩より上がのぞいている。
「公爵様!」
ウィルが叫び神像に駆け寄ろうとしたとき、神像は広場の面々を一瞥し、大通りを西に向かって走り出した。
神像の太い足が大通りの石畳を打つたびに、地面が揺れる。先程の大振動よりはましなものの、立っているので精一杯だった。
「くそ、閣下を連れ去るとは!」
メアウェンが神像の背を睨みながら言う。
その背が遠ざかり、地面の揺れが収まるとメアウェンは皆を集めた。
「閣下を奪われたまま王都を離れるわけにはいかない。やつを追い、閣下を取り戻す。すまないが、動ける者は手伝ってくれ。戦える者はどれくらいいる?」
メアウェンが集まった皆の顔を順に見ていった。
皆、先程の大振動で多かれ少なかれダメージを受けているようだ。
「行けるぜ」
アルドがガーから受け取った大剣を背負い手を上げる。
隣にいたフローラも頷いた。
「あたしも行くよ。シルフの力が必要だろ?」
フェイも進み出てくる。
「すみません、先程の揺れでお祖父様が怪我をしてしまって。僕はお祖父様についています」
セオルがオスリックに肩を貸している。オスリックは左足から出血をしていた。崩れた建物のから飛んできたのか、木片が突き刺さっている。
メアウェンが頷いた。
「他には」
「俺も行くぜ」
「ドラヴァル殿!」
驚いたメアウェンが目を見開く。
「あのおっさんはウィルの爺ちゃんなんだろ? だったら助けなきゃよ」
「すまない。助かる」
最後にメアウェンがウィルを見た。
ウィルも真っ直ぐにメアウェンを見る。
「行けるな?」
「もちろんだ!」
ウィルの力強い返答に満足したのか、メアウェンは笑顔で頷いた。
「ガーはすまないが、他の皆を連れて避難してくれ。この地は戦場になっている。誰が敵になるかわからん。気を抜くなよ」
「はい!」
「よし、では追撃だ! 大通りを西に向かう!」
メアウェン、アルド、フェイ、ドラヴァル、フローラ、そしてウィルの六人はベオルスリック大通りを走り出した。
神像が通った大通りはひどい有様になっていた。
普段は平坦な通りの石畳がめくれ上がり、神像が踏んだ場所は土がえぐれ窪地のようになっている。
大通りの両側に立ち並ぶ商店はかなりの数が崩れていた。
巻き込まれたと見られる王都民が倒れているのが見える。
リンの好きだった、スウェルテセルト菓子店も建物が大きく崩れていた。
ウィルは走りながら、敵の狙いを考える。
あの神像は魔法具だ。それ自体がなにかの意志を持っているわけではない。これまで、神像はあらかじめ命じられた指令に従って動くのみだった。
それも基本的には防衛行動を行うだけだ。
しかし、今回は人を攫って逃げている。神像を操る何者かがそういう指示を与えているのだ。
「おそらく、狙いは君だろうな。ウィル」
並走するメアウェンが話しかけてくる。
「君を逃さないため、君の持つ宝物を取り返すための人質なのだろう。我々をおびき寄せ、宝物との交換を迫るつもりかもしれない」
「神像を操っているのは教会か、王宮の誰かってこと?」
「そうだろうな。十中八九これは罠だ。気をつけるんだぞ、ウィル」
「うん!」
大通りの終着点は大聖堂前広場だ。そこで待ち構えているのか、それともさらにどこかへ公爵を連れ去るつもりなのか。
大聖堂の尖塔が見えた。
何があろうが、公爵を助けてみせる。
やっと会えた実の肉親なのだ。こんな所で失うわけにはいかない。
一行は終着点である大聖堂前広場にたどり着く。
正面に美しい大聖堂、そしてその前には先程の大神像が立っていた。
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